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備忘録 「ネーション」の定義について

ちょっと頭の中を整理するために書きます。

 

「ネーション」の定義について。ネーション nationって日本語で訳せば「国家」とかになるんだろうけどこれはちょっと違和感あって国家ともまた違う何かなんではないかと思ってた。

そんなときに「ああなるほど」って思える論理に出会った気がする。

 

ナショナリズムの生命力

ナショナリズムの生命力

 

 アントニー・D・スミス『ナショナリズムの生命力』。この冒頭で「ネーション」の定義について書かれていたので整理してみる。

彼の考えからすると「ネーション」っていうのは以下のように定義づけられる。

歴史上の領域、共通の神話と歴史的記憶、大衆的・公的な文化、全構成員に共通の経済、共通の法的権利・義務を共有する、特定の名前のある人間集団(Smith 1991: 40)

これだけ見ると何を言っているかわからないなとなるが、 簡単に言えば「ネーション」というのは近代化の過程で生成された概念であるということである。

前近代において人々を連帯させていた枠組みというのは主に宗教的共同体であった。前近代に生きていた人たちは自分たちが「何人なのか」「どこで生まれたのか」というようなことを気にするよりは「○○教を信仰しているか」ということであらゆる人々と連帯して共同体を作っていたのである。しかし、そういった共同体の中では理念として平等をうたっているものもそうでないものも、ほとんど先天的にヒエラルキーのようなものが構成されており、実体としてはかなり不公平なものでしかなかった。そんな中、近代化の過程でいろんな方法(それがエスニシティ(民族的出自)、神話や記憶、文化(宗教的分派も含む)etc)で分派する集団が生まれていったのだ。

そしてこれらの分派の発生(ナショナリズムの勃興)を様々な論者はエスニシティ、神話と記憶、文化、経済的階級、法と義務など多くの方法で説明しようとしてきたがそれぞれの論のどれが正しいということではなく、スミスはそれらを折衷して、すべての次元において考察されるべきであると提案しているのである。

 

またスミスは「ネーション」を「国家」とは明確に区別することも述べている。

国家の場合、もっぱら公的な諸制度に関連しており、それらは他の社会的な諸制度とは区別され、それ自体自律的であり、所与の領域内部では強制と搾取の独占権を行使しているものである。他方、ネイションとは文化的・政治的な紐帯を意味し、それが歴史的文化と故国を共有するものすべてを、単一の共同体のなかで結びつける(同 : 40)。

これはつまり、「国家」とは制度・法などでその人を自国の人間であるかどうかを決定するシステムのことであるのに対し、「ネーション」とはそういった法的な制度を飛び越えて波及しうる非常に曖昧で可変的なつながりのシステムのことを意味するのだ。これはこの前ニュースで見た在日タイ人の強制送還に関するニュースを想起してもらえればわかりやすい。

www.huffingtonpost.jp

彼は「国家」の法に基づき、「日本人ではない」という烙印を押され国家の外部にはねだされるのだが(これがあってはならないことなのは自明)、日本で生まれ日本語も流暢に話す彼は文化的には完全に「日本人」であるという見方からすれば「ネーション」(これが日本という国家と版図が被るのかどうかはわからない)の中に内包されるべきであるという論理になるのである。「国家」と「ネーション」どちらの見方をするかで完全に意見が割れてしまうのでこの両者の見方は明確に区別されるべきである。