佐藤成基「国家の檻」

 これまた佐藤成基先生の論文だが、今回は「国家の檻ーーマイケル・マンの国家論に関する若干の考察」という論文を取り上げる。以下にPDFを貼っておく。http://www.t.hosei.ac.jp/~ssbasis/53-2sato.pdf

 マイケル・マンは正直日本ではあまり知られていないが、アメリカではかなりの著名な歴史社会学者らしい。私もまだマンの邦訳すら読んだことないので、ここではそのための予備的な整理をしておきたい。

 

 マンはウェーバーやギデンズの国家論を下敷きに独自の国家論を構築し、「社会的力social power」という概念をもとに近代以前から国家の発展史を描き出している(邦訳はいまだに半分しか出ていないらしい。2,3年前にやっと最後のパート3,4が原著で出ている)。

 本論稿では、まず整理のために、ウェーバーとギデンズの国家論が述べられている。ウェーバー社会学的な立場から初めて「国家」を研究の俎上に載せた人だが、彼が考えていたのは、官僚制によって支えられた上意下達式の「命令」にもとづいて統治された組織としての国家であった。「鉄の檻」という比喩からも分かるように、それは上から下へ、そして合理的・合法的な、没人格的で強固な統治体系であった。

 一方、ギデンズは『国民国家と暴力』の中で、ウェーバーの「国家は唯一合法的な暴力を独占する組織である」というテーゼを下敷きにしつつ、新たにフーコーが『監獄の誕生』の中で表した「監視」の概念を国家に応用して独自の国家論を構築している。近代的な国家は常に上から下への命令に基づいて運営されるだけではやっていけない。むしろ、組織の成員が自己規律的に行動してくれたほうがよい。そこで、国家は「命令」ではなく、「監視」(この場合の「監視」は言わずもがなフーコーの「パノプティコン」的な監視を指す)をもとに人々の行動をルーティン的に規律化する統治体系を築いていったのである。

 (余談だが、ギデンズのフーコー理解は正しいとは言えない。フーコーは「権力」の作用は上から下へと伝わっていくものではなく、個人間で網の目のように張り巡らされ、誰が支配者で、誰が服従者なのかもはや分からないようなより複雑なものだと捉えているからである。)

 いずれの国家論も、①国家の権力の一方向性、②国家の一体性、③国家の完結性という点では一致しているが、マンの国家観は全く異なる。以下、詳しく見ていこう。

 上の二人の国家論を仮に「専制的国家論」と名付けるのならば、マンの考える国家は「多形性的polymorphous国家」である。マンは、「社会的力」を「経済的力」、「イデオロギー的力」、「軍事的力」、「政治的力」の四つの力が絡み合うことによって発揮されると捉える。この中で国家は「政治的力」(権力)に対応する領域である。

 多形性という表現からも分かるように、マンは国家をウェーバーやギデンズのように一方向的な権力(支配)の押し付けによって成り立っているとは考えない。むしろ、国家は社会の諸アクターとの相互連関によって作動するものなのである。その点で、国家は暴力や脅しのような「むき出し」の権力ではなく、マンが言う「インフラストラクチャー的権力」を駆使することで社会に存在感を示している。この「インフラストラクチャー的権力」とは、国家の諸機能を担うエリート層と社会の諸アクターとの間の関係を調整する権力のことを指す。この権力が作用する場面としては、例えば、議会、裁判所、学校、保健所、、、などの政治家や市民、または市民の代表団体が一堂に会するような場が思い浮かばれるだろう。

 そのため、「インフラストラクチャー的権力」は、ウェーバーがいう権力とは違ってしばしば諸アクターからカウンター、反発をくらうこともある。しかし、その反発も含めて、国家と市民社会が相互に浸透し合うことで、国家は市民社会を組織化(国家帰属化=自然化naturalize)するのである。

 同時に、国家の社会的な機能の増大(「民政管掌範囲」の拡大)によって、「誰がその権力を統御するのか」という権力配分をめぐる闘争も政治家間だけでなく、市民社会(この中にはNPOや企業、労働組合などが含まれる)も巻き込んで激化していく。これによってシティズンシップの議論も拡大していく(民族に限らず、労働者、性的マイノリティなども)。しかし、これらの激化する社会紛争もまた、国家の「形」を変える要因にもなる。これが「多形性的国家」たる所以である。

 

 以上が本稿の中で取り上げられていたマンの国家論であるが、ウェーバーやギデンズのそれと比べてはるかに国家の変化を規定する要因が増えていることが分かる。この中で議論されていることは正直「確かに」と首肯せざる得ないものだと思うが、国家の規定要因が増えていき、「これら全部が国家の変化に影響を与えているんだよ」と言ってしまえば、かえってその正否を検証できないというデメリットも生じるはず。マンの議論をいかに経験的検証の中に落とし込むかが課題だろう。

 また、「多形性的な国家は、その内部に紛争を内包した権力闘争・利害闘争の場」であるという記述があったが、この「場」という言葉からは、ブルデューのそれを思い出した。もしかしたらブルデューの国家論とも接続可能なのではないだろうか(最近ブルデューの晩年の国家論が英訳で出たらしい)。ここらへんは要確認である。

佐藤成基「ナショナリズムの理論史」

 今回もナショナリズム論の整理のために記しておきたい。

 今回は佐藤成基著「ナショナリズムの理論史」という論文についてまとめる。これは大澤真幸氏が編集した有斐閣から出ている『ナショナリズム論・入門』という本に挿入されている短い論文である。

 

ナショナリズム論・入門 (有斐閣アルマ)

ナショナリズム論・入門 (有斐閣アルマ)

 

  ウェブサイトでも入手可能。以下、PDF。

(www.t.hosei.ac.jp/~ssbasis/nationalism_theories.pdf)

 

 冒頭は、いわゆるナショナリズムの古典(アンダーソンやゲルナー、スミスといった80年代以降に出版されるナショナリズム理論)を境にして、ナショナリズム理論がどういうふうに発展を遂げていったのかを記述している。これは前回のブログにも書いたので、ここでは省略。

 注目すべきは、終盤の理論の整理、とりわけ、いわゆる「近代主義」と「反近代主義(歴史主義)」以降のナショナリズム理論の動向である。この本自体は2009年に出版された本なので、最新の知見であるとは言えないかもしれないが、議論の足取りをつかむためには十分有効な整理だと思う。

 

 佐藤の整理によると、古典以降のナショナリズム研究には大きく分けて、「文化論的アプローチ」と「国家論的アプローチ」の二つがあるという。

 前者の「文化論的アプローチ」は、アンダーソンが提示した「想像の共同体」が具体的に当事者たちの中で「どのように想像されているのか」を解明しようとするもので、主に意味形成・意味解釈の過程を分析するものである。その点では明確に「構築主義」の立場を堅持し、ポスト構造主義の見地を取り入れ、当事者(ナショナリズムを掲げる人々)の「言説」(フーコーデリダ)やまた、理解社会学ウェーバー)などの業績を駆使して分析を行っている。

 つまり彼らは「ネーション」の意味を「語り」の産物ととらえ、それは当事者による様々な相互作用を通じてそのつど構築・再構築・再解釈されていくものだとしている。要は、分析するべきはその「解釈」の過程なのだ、ということである。

 また、言説には「生産」する側と「消費」する側が存在することを忘れてはならない。生産する側は、例えば政治家、作家、マスコミ、知識人などのナショナリズム的言説をメディアに乗せて広く市民に伝えることができる側である。その際、注目すべきは、文学的テキストや歴史書、議会における言論などである(例えば小熊英二による一連の研究を思い浮かべてもらえるとわかりやすいだろう)。反対に、消費する側は市井の一般市民などの、生産者が作り出したナショナリズム的言説を享受する側である。具体例としては、吉野耕作の『文化ナショナリズム社会学』で行われていた「日本人論」を享受するサラリーマンなどが想定できる。

 次に、「国家論的アプローチ」は、「想像の共同体」が「どのように動員されるのか」を、国家権力をめぐる政治闘争の中で分析しようとするものである。したがって、分析の視点は、より国家などの政治領域に寄ることになる。

 このアプローチでは、ネーションの概念やシンボルは、政治闘争の中で世論や住民の支持を糾合し、国家に対する要求や主張を正当化するための公共の理念として利用される。つまり、政治領域の議論の中で、世論や住民は「ネーション」の理念のもとに動員されていくことになる。

 例えば、「公共財」の配分をめぐる住民同士、または住民と国家、地方自治体などの政治的闘争などの分析を通してナショナリズムや民族的な対立などが激化したり、民主化期のポスト植民地国家においてポピュリスティックな政治家による呼びかけで人民が動員され、ナショナリズム感情が勃発したりする過程からその地域の「ネーション」概念を分析する研究などがある。

 ほかにも、以前のブログで挙げたブルーベイカーの研究のように、国籍法の制定・改正の際に議会内外で政治的論争が勃発し、「ネーションの自己理解」がどのように政治家や党派の中に用いられたかを検討する研究もある。

 「国家論的アプローチ」は、ネーション概念の内在的な意味や日常生活の中の人々のネーション理解を把握しきれないという欠点はあるものの、何らかの事件eventが起こったときに噴出する「ネーションの自己理解」を分析する際には参照されるべき研究である。

 

 佐藤も述べているように、上述の二つのアプローチは決して対立してるわけではないが、見事に分析の視点が異なっている(それはそのままミクロ-マクロ社会学の対立に対応しているようでもある)。そのため、両アプローチを折衷する理論的視座が必要になるのだが、佐藤はその手立てとして、ブルーベイカーとアンドレアス・ウィマーの二人を挙げている。ブルーベイカーは以前書いた通り、「文化論的アプローチ」を「下からのアプローチ」、「国家論的アプローチ」を「上からのアプローチ」として整理して両者を折衷しようと試みている。ウィマーに関しては、邦訳はなくこれから文献をあさらなければならないが、「文化の語用論」という概念を用いてイラクのクルド・ナショナリズムを研究したりしているそうだ(読まねば)。

 ブルーベイカーも「下からのアプローチ」をもとに研究を試みた著作の邦訳はなく、まだ確認できていないが、「認知的カテゴリー」という概念を用いてルーマニアハンガリーで実際に現地調査を行い、現地住民が実際に「民族」のカテゴリーをいかに理解し、用いているのかを検証している(これまた読まねば)。ブルーベイカーはもともとウェーバー研究で業績をスタートさせた研究者なので、こういった「理解」を分析する枠組みも持ち合わせているのだろう。

 この論文を読んで、今自分が何をすべきが少しはクリアになったと思う。①まずは、「国家論的アプローチ」、とくにブルーベイカーの視座を詰めていかなければならないだろう。で、個人的には「上からのアプローチ」による分析が必要だし、今の自分にはそれをやるので精いっぱいだとは思うが、②ブルーベイカーの「下からのアプローチ」、または手つかずであったウィマーの研究を参照するのがとりあえずのところ第二の課題だろうか。

 以上、思考の整理のために。

ロジャース・ブルーベイカー『フランスとドイツの国籍とネーション』

 もう一冊、ブルーベイカーの『フランスとドイツの国籍とネーションーー国籍形成の比較歴史社会学』について雑感をまとめる。

 

フランスとドイツの国籍とネーション (明石ライブラリー)

フランスとドイツの国籍とネーション (明石ライブラリー)

 

  本書は、アメリカの社会学者ロジャース・ブルーベイカーが初期の論文として発表したもので、ナショナリズム、シティズンシップ研究の中でもかなり有名な本ではあるが、日本では(B・アンダーソンやE・ゲルナーなんかと比べると)あまり注目されていない。しかし、個人的に、彼が独自の路線で構築しているナショナリズム理論はこれまでのナショナリズム研究に一石を投じる(硬直した議論枠組みを破る)ものであると思うので、今回一読してみた。詳しくは以前書いたブログのエントリの後半部分を参照(http://cnmthelimit.hatenablog.com/entry/2017/09/18/183245

 

 本書のテーゼははっきりしている。すなわち、フランスとドイツという隣接する国家間で全く異なる国籍法が形成されているのはなぜなのか、その形成過程を両国を比較しながら解明しよう、というものである。

 しばしばいわれるように、フランスは「出生地主義」を、ドイツは「血統主義」をそれぞれ国籍法の特徴としているが、ブルーベイカーは、こうした国家間で全く異なる国籍法が採用される背景には、それぞれの国家の「ネーションの自己理解」が深く関係していると捉える。つまり、国籍は政治家などのアクターを通して国民のネーションの自己理解に規定されるため、翻って言えば、国籍の形成過程を見ることでその国家のネーション観を解明することができるというわけである。

 これはネーション、ナショナリズム研究において、それまで一貫した分析方法が定まっていなかった時期に、一つの明確な分析枠組みを提供したという意味で非常に有益な功績である(個人的には、ブルーベイカーはこのように独自の新説を作るというよりも、それまでの議論の交通整理をするのが非常にうまいと思う。いわば、理論のサポーター役である。そのため理論としては退屈なところもあるのだが、理論研究にとっては重宝される存在だと思う)。

 内容自体はさほど難しくなく、上述のように議論は一貫している。フランスにおいては出生地主義が国籍法において採用された背景と、ドイツのそれとを交互に通時的に記述していく、というオーソドックスな歴史社会学的分析である。

 個人的に興味深かったのは、フランスで出生地主義が採用された背景には、世界市民的な崇高なイデオロギーがあったからというよりも、国民皆兵の必要とフランス市民による移民二、三世に対するルサンチマンにもとづいていたという指摘。つまり、移民の子供たちが、国籍として「フランス人」から除外されることで、フランス国民がみな負わなければならない皆兵義務から免除されていることに対する不満から出生地主義が採用されたというわけである。これは世界市民的なイデオロギーというよりも、全く反対にナショナリスティックなイデオロギーにもとづいている。

 このように、またブルーベイカーが指摘するように、フランスがドイツと比べて崇高な理念を掲げていたというわけではない。むしろ、フランスの中にもルペンの国民戦線を代表とするような極右勢力は一貫して存在感を放っており、彼らのナショナリスティックな言説はずっと根底に存在していた。だが、フランスの場合は、自由、平等、友愛というスローガンが深く根付いており、それが国籍法の議論においても強く影響していたのである。

 

 議論の内容に関しては、それほど異論はない(監訳者解説にあるように、またこの本の後の世界に生きている我々にとっては、このようなフランスとドイツの単純な図式化はできないことは分かってはいるが)。

 むしろ、個人的に興味をそそられたのが、「文化イディオム」という概念である。これはアメリカの歴史社会学シーダ・スコッチポルが用いた概念でブルーベイカーが援用したものだが、いまいち本書の中だけの説明では把握できなかった。というのも、本書の中では、「文化イディオム」とは、「イデオロギー」と比べてより長期的で、より匿名性が高く、より党派的でない言説であると述べられているが、果たしてそれがイデオロギーとどういった点で具体的に違うのか、はっきりとは分からない。

 また、ここで言われている「言説」とは、フーコーのいうような「言説 discourse」とは異なるものなのだろうか、もし異なるとすればどういった点で異なるのか、が個人的には引っかかる。

 さらに、本文ではこの「文化イディオム」が「イデオロギー」とは異なると述べられているが、この「イデオロギー」とはマンハイムが言うところのそれなのか、もし違うのであれば、「文化イディオム」はマンハイムが言うところの知識社会学の要領で分析することは可能なのだろうか。

 個人的には、この「文化イディオム」という概念を用いて行われている本書の分析は、一般的に行われている知識社会学の分析手法と何ら変わらない気がするので、あえて両者を区別して用いる理由はどこにあるのだろうかと疑問である。

マックス・ウェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』

 久しぶりの投稿、血沸き肉躍る。

 今回はマックス・ウェーバーの有名な論文『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(いわゆる「客観性」論文)について。

 

社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫)

社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫)

 

 言わずと知れた名著ではあるが、実は読んだことがなかった。。。

 今回、意を決して(さすがに読まんといかんだろうという焦りもありつつ)読んでみたわけだが、どうしたことかこれがなかなか面白い。ウェーバーは『プロ倫』なんかを大学2年生の時に読んで勝手に苦手意識を持っていたんだが、いやはや人間ってのは成長するもんだなぁと感慨にふけっている。

 

 さて、この「客観性」論文だが、有名な「理念型」や「価値自由」といった概念がどのように分析の中で使われるのか、ウェーバー流「文化科学」(ウェーバーが言うところの「理解社会学」)の説明とともに論じられている。また、後半にはウェーバー研究で名高い折原浩先生による丁寧な解説がついており、一冊でほとんどウェーバーの思考体系を概観することができる、実はかなりありがたい本なのである。

 今回は個人的に読んでいて重要だと思った個所を簡単に取り上げて整理しておきたい。

 

 まず、ウェーバーがこの本を『アルヒーフ』という雑誌に寄稿しようとした背景には、当時の社会科学全般が陥っていた方法論的限界が存在する。一例として本書の中で頻繁にとりあげられている「歴史学派」が挙げられるだろう。私は詳しい学説史的経緯をあまり把握できていないが、歴史学派は現実の世界にあまた存在する歴史的な事象を個別的に検証、解明していくというフェーズから抜け出し、それらの個別的検証をもとに「一般的法則」を構築して、最終的にその法則・理論から演繹的に現実世界の物事を説明する、という壮大な夢を掲げていた。

 だが、ウェーバーはこのような壮大な一般的法則から演繹的に物事を説明するという方法論に真っ向から反対する。なぜなら、現実の事象はそういった一般的な理論ではカバーできないほど多種多様で、無限だからである。それを理論を用いて説明したとしても、それは単なる科学者の欺瞞でしかない。

 さらに言えば、無限の現実群の中から研究者が必要だと思った要素を抽出し、理論を構築するという作業は、抽出する時点で研究者の恣意性が介在してしまうため、それは「客観的に妥当な」理論とは言えないのである。

 

 では、どうすれば社会科学における客観的に妥当な方法を確立することができるだろうか。ウェーバーは、その問いに「理念型」と「価値自由」という概念を用いて説明する。

 ウェーバーは「理念型」とは仮説ではなく、「手段」であると述べる。つまり、分析を行う上での「道具」でしかないのである。これはどういうことか。

 現実の世界には無限に経験的事実が存在していることは上述したが、理念型とはこれらの事象の中から「理想としての要素」、つまり分析を行ううえで重要であると判断される要素を抽出して再構成したものに過ぎない。そのため、理念型は必ずしも現実のすべてを反映したものではなく、理念型の構築をもって研究のゴール(目的)では決してないのである。よって、理念型を構築した後は、研究者は再度現実世界に立ち戻り、その理念型を分析の手段として使用しなければならない。それが、理念型≠一般的法則の所以である。

 その点で、ウェーバーマルクスとは一線を画する社会科学者である。なぜなら、マルクスが目指したのは、「唯物史観」に代表されるように、人間の歴史を物質と生産手段に還元する一般法則の構築だったのであり、それこそまさにウェーバーが戒める社会科学の態度だったからである。

 また、上記のことをもって、ウェーバーはやはり「比較(歴史)社会学」の創始者とされるべき人物である思われる。なぜなら、理念型を使った社会科学の分析方法は、絶えず「モデル」とフィールドの「経験的事実」とを比較することをその中に内在しているからである。ウェーバー社会学にとって「比較」というのは一つの重要なキーワードなのである。

 

 では、具体的に社会科学において「比較」を用いた分析方法とはいかなるものなのだろうか。本著解説を担当した折原の論稿では、まず自然科学における「実験」の方法を足がかりに論じられている。

 自然科学においては、実験室での実験は重要な分析手法の一つである。ある事象Yに一定の変化を与えるものは何なのかを検証するためには、想像されうる条件X₁、X₂、X₃、X₄、、、といくつかの条件を設定し、その中で人為的に制御を加えることでYに影響を及ぼすXを特定する。例えば、YとX₁との関係を調べたいのであれば、それ以外の条件X₂、X₃、X₄、、、以下を制御する、といった具合である。

 また、これは「比較対照実験」と呼ばれる手法でも同様である。比較対照実験では、まず諸個体を同質的な二群(実験群、対照群)に分ける。さらに、その中で実験群のX₁にのみ変化を加え、X₂以下を一定に制御したうえで、そこに生じる変化を観察して対照群と比較するのである。ここでもし、対照群にはない変化Y=1が生じれば、変化X₁=1が原因であるということが分かるのである。

 しかし、社会科学においては自然科学のように実験の対象を自由に制御したりすることはできないことがほとんどである。ここに社会科学の分析上の一種の「限界」が存在する。では、どうすればいいか。ウェーバーはこの限界を『プロ倫』の中で超えようとする。

 

 言わずもがな、『プロ倫』はプロテスタント、とくにカルヴァン派の教義が西洋において近代資本主義の発展に寄与したことを解き明かした論文であるが、この中で、上述の表記に従うならば、Y=近代的営利追求熱が、どんな条件(X)によって醸成されたのかを解き明かしているといえる。そして、ウェーバーはこの条件として、X₁=当事者の所属宗派(カトリックorプロテスタント)の社会的地位(彼らが所属集団の中で少数派か多数派か)、X₂=信仰内容の恒久的特質、をそれぞれ一方を制御し、交互に検証することで、YはX₁よりもX₂の変化に大きく影響を受けることを解明したのである。

 さらに、ウェーバーは『プロ倫』を執筆後、さらに比較対象の範囲を広げ、「西洋文化圏」以外の地域にまで分析の範囲を拡大したが、これは上述の「比較対照実験」の社会科学的応用に他ならない。つまり、実験群を「西洋文化圏」に設定し、西洋文化圏以以外(例えば「儒教文化圏」)を対照群として設定しているのである。ウェーバーの考えではプロテスタントの教義(X₂)が近代資本主義の創出に寄与したので、西洋文化圏以外の地域がX₂以外の条件が一致しているならば(または一致していると仮定して)、比較の対象となりうるのである。

 だが、多くの場合、比較をする上で異なる地域が見事に条件が一致するようなことはほとんどない。そのため、対照群は思考実験をもとに創出されることもある。そのさい、ウェーバー歴史学者エドゥアルト・マイヤーの概念を引きつつ(詳しくは『歴史は科学か』通称「マイヤー論文」を参照)、①史実的知識(史料に基づく特定の事実に関する知識)、②法則的知識(人々に流布した特定の経験則についての知識「人間はAという状況下においては通例Bという反応をするものである」)の二つを用いて対照群は反実仮想的に思考上で創作される。

 例えば、古代の国家が戦争を契機として繁栄を築いたという仮説が存在するとき、その繁栄の原因を戦争に帰属できることを証明したいのであれば、まず戦争が起きなかった場合にいかなる結果を生み出したのかを反実仮想的に想像することが必要になる。だが、その際にただ単純に夢想するのではなく、②法則的知識に基づいて(例えば、戦争が起こらない場合、民衆は一体的感情を抱くことはない、といった具合に)、さらに①史実的知識(それが実際に史実として起こりうるか)を用いて対照群を構築しなくてはならない。そしてこの対照群と実験群を比較することで、事象の因果帰属が解明するのである。

 

 さて、以上の方法がウェーバーがライフワークとした研究方法である。ウェーバーは無限の経験的事実の中から帰納的に事象を抽出し、誇大な一般理論を構築することには否定的であった(これは後年パーソンズによって試みられたが)。むしろウェーバーは、科学者は「理念型」を携えて、そのつどそのつど経験的事実の中に立ち戻っていなければならないとする。なぜなら、豊富な含意を持つ経験的事実の中から分析に必要な概念を抽出して再構成された「理念型」もやはり、その科学者が置かれている社会的環境、規範、無意識的な趣味嗜好、時代背景などによって拘束されているからである(第一、それが「社会問題」であると認識すること自体、恣意的で時代に要請された感覚にもとづいている)。

 つまり、「価値自由」という言葉でウェーバーが表したかったのは、決して科学者は自らの「価値理念」に対して自由になれるというわけではなく、それを自覚することでまやかしの「客観性」から解放されるということなのである。折原は「価値自由」という言葉には「価値からの自由」と「価値への自由」という二つの含意があると述べているが、後者の「価値への自由」、つまり無機質な事象と事象との間の因果説明を時には捨象して自らの「価値理念」に訴えることもまた科学者に許された「価値自由」なのである。

 しかし、だからといって科学者は完全に「客観性」を失っているということでも、社会政策を担う政治家などは科学者の仕事を無視して、自らの「価値理念」のみにもとづいて実践を行えばよい、というわけでもない。「理念型」と経験的事実との往還こそが時には危うく見失ってしまいがちな「客観性」を保つ、唯一の方法なのである。

 

 最後に、後年のウェーバーの結集点ともいえる「理解社会学」について少し言及しておくと、折原によれば、理解社会学とは、①社会的行為を解明しつつ理解し、②そうすることで当の行為の経過と結果がなぜそうなって別様にはなりえなかったのかを因果的に説明する科学である。つまり、ここには二つの分析の段階が含まれている。①は「解明的理解」で、これは「明証性」を基準として検証される。「明証性」とは、行為の当事者が主観的に抱いている意味が理にかなっていて明瞭に分かる度合いのことを指す。そのため明証性が高いと、誰でもその当事者の経験を追体験することができる。

 しかし、当事者の主観的な意味は経験的に妥当でない場合も存在する(というかその場合がほとんど)。例えば、有名なマートンの例を参照すれば、ある部族の雨乞いの儀式は当事者にとっては「雨を降らせる」という主観的な意味を持った行為ではあるが、違った結果(潜在機能、意図せざる結果)をもたらすこともある。そういった場合、これには当事者ではなく、科学者による「経験的妥当性」を基準とする説明を要する。これが②の「因果的説明」である。

 言い換えれば、理解社会学とは明証的に理解された意味連関(①)をまずは因果「仮説」として立て、その経験的妥当性を科学一般の論理・語彙にしたがって検証し(②)、①・②をともに満たす、つまり明証的に理解でき、かつ因果的に妥当な説明を目指す社会学的アプローチであるということができるだろう。

 折原が言うように、その際、理にかなっていて理解できる「合理的行為」を「理念型」として構成し、これを実際の経験的行為と比較するという手法を取ることになる。だが、これをもって、世界が最終的に合理的行為によって満たされるという事をウェーバーが言っているというふうに解釈してはならない。むしろ、世界は非合理的なこと、行為にあふれている。それらの非合理性を理解するのもまた、合理的に構成された「理念型」を通してしかできないのである。

 また、「理念型」は「理念(理想)の理念型」と混同してはならない。例えば、「国家」の「理念型」は、ウェーバーの定義によれば、「強制的暴力手段を保持する政治的装置」であるが、実際に国民(=当事者)が理念(理想)として心に抱いている理念型は異なるもの(例えば、「国家は人民の意志にもとづいて構築される」といった具合に)である。だが、両者はしばしば相互に関係しあいながら(多くの場合は後者が前者を参照しながら)、結びついている。そのため、科学者は当事者の「理念の理念型」をさらに分析し、必要とあらばさらにそこから「理念型´」を構築しなければならないのである(ここら辺の議論は知識社会学に接続可能な気がする)。

ナショナリズム・エスニシティ論における本質主義と構築主義

 最近、ナショナリズムエスニシティ研究について勉強しているので頭の整理のためにここに記しておきたい。

 

 まず、ナショナリズム研究には様々な主義主張の分野があり、それぞれ対立軸が存在する

 

文化ナショナリズムの社会学―現代日本のアイデンティティの行方

文化ナショナリズムの社会学―現代日本のアイデンティティの行方

 

 上の吉野(1997)によると、それは大きく分けて、「原初主義」と「境界主義」、「表出主義」と「手段主義」、「歴史主義」と「近代主義」である。

 「原初主義」は民族集団の歴史や宗教、文化といったものを媒介とした原初的絆が民族を結び付けているのだと主張する一方で、「境界主義」は民族を存続させているのはそういった絆ではなく、「境界」策定の過程にあるのだと主張する。さらに、「表出主義」は民族を単なる象徴体系の表出として扱う一方で、「手段主義」は「民族」といった概念やそれを標榜するナショナリズムは単にある集団が利害関心に基づいて利用している手段に過ぎないと主張する。そして、最後にもっとも論争的な三番目の対立では、「歴史主義」がネーション(らしきもの)は前近代にも存在していたとする一方で、「近代主義」はネーションは近代になってから創出されたと主張するのである。

 この著作が書かれたのが1997年で今より20年前の話だが、このナショナリズム論争は今でもホットなものとして続いているように思う。その中でも、上述のように「歴史主義」と「近代主義」の対立がよく取り上げられることが多いが、実はこの両者は別に対立しているわけではない。歴史主義者としてよくやり玉に挙げられるA・スミスは、近代主義の代表的論者であるB・アンダーソン、E・ゲルナー、E・ホブズボームなどの議論は一部では正しいし、参照に値すると述べている。だが、彼が強調しているのは、ナショナリズムが近代になって突然現れたという見方はあまりにも「近代」の能力を過信しているということである(そこで彼が主張するのがネーションの原型になった前近代の「エトニ」という概念である)。

 筆者としても、ナショナリズムが近代に入ってから爆発的に流行したことは認めざるを得ないが、かといってネーションが前近代に突然誕生したとするのには少し疑問がある。第一、このようにネーション、ナショナリズムの起源を探っていく作業は必然的に研究者の主義主張を反映させてしまい、「ネーション」というものをまず何と定義するかによってそこから導き出される答えも違ってくる。例えば、「ネーション」を「共通の歴史経験と愛着によって結び付けられた集団」というふうに広く定義してしまえば、それは前近代にも存在したことになるし、「共通の歴史・文化的経験を持ち、かつ同じ領域的・政治的単位に属する集団」と厳密に定義してしまえば、近代の産物であるといえてしまうのである。そのため、この対立(ネーションの起源をたどること)はいささか決着のつけようのないものだといわざるを得ない。

 

 

エスニシティを問いなおす―理論と変容

エスニシティを問いなおす―理論と変容

 

 

 次にいわゆる「原初主義」と「境界主義」の対立についても見てみたい。この対立はそもそもナショナリズム研究の中でなされたものではなく、どちらかというとエスニシティ(あるいは部族tribe)研究の中(とりわけ文化・社会人類学)で繰り広げられた議論である。人類学の中では、古くから民族という集団は自明のものとして存在するという考え方がなされてきた(これを「本質主義」という)。そのため、古くから人類学者は未開の「民族」を知るためにその民族の文化などを研究してきた。

 しかし、次第にそういった見方に一石を投じるような研究が出現する。それが、部族やエスニシティ、民族といったカテゴリーは本質的(アプリオリ)に存在するものではなく、可変的でアメーバのように変化していくものであるという主張である。これを「構築主義」という。構築主義は人類学に限らず、広い分野で採用されている考え方ではあるが、人類学においてそれを真っ先に取り入れたのがF・バルトであり、彼が提唱したのがBoundary Approach、いわゆる「境界主義」である(以下の著書に、バルトの唯一の邦訳が収められている。しかし、これを見ただけではバルトの主張は把握しづらいかもしれない)。

 

「エスニック」とは何か―エスニシティ基本論文選 (「知」の扉をひらく)

「エスニック」とは何か―エスニシティ基本論文選 (「知」の扉をひらく)

 

  「境界主義」は従来までの本質主義が「一人種=一文化=一言語、および一社会は他者を拒否し、他と区別される一単位である」というステレオタイプを見直す必要があると主張する。なぜなら、同じエスニシティを有していると目されている集団の中でも異なる人種で、異文化、多言語を操っていることは多々あるからである。さらに、同じエスニシック・グループが時間が経過するにつれて、もっと大きなグループに飲まれて変容することだってありうる。その時、そのエスニック・グループは以前の人種・文化・言語を完全に捨て去ることができるだろうか?

 そこでバルトは、民族やエスニシティを固定的なものと考えることはやめ、その集団の文化それ自体に注目するのではなく、二つ以上の集団の間にある境界に注目したのである。

エスニック集団は、ただたんにーーあるいは必ずしもーー排他的な土地の占有を基礎としているわけではない。集団が維持されていくさまざまな方法ーー一度かぎりの成員編入だけでなく、継続的な意志表明や認定によっても行なわれるーーについては、分析が必要である。(前掲書 1996: 34)

  つまり、バルトは、エスニック集団がどのように「われわれ」と「やつら」を区別し、境界を引いていくのか、その過程を分析する必要があると言っているのである。

 これは今まで民族とは所与の、本質的なものだと考えてきた「本質主義」を否定し、「民族」は時代ごとに構築されていくものだとする点で、ある意味で「歴史主義」に対する「近代主義」の立場にも少し似ている(実際は「歴史主義」は本質主義を否定するだろうが)。要するに、少々大雑把にナショナリズムエスニシティの議論を総括すれば、その大きな対立軸は「本質主義」か、「構築主義」かの二項対立になるというわけである。そして、現在ではどちらかというと「構築主義」の考え方が優勢であり、「本質主義」は軽視されている傾向にある。

 

 以上、これまでナショナリズムエスニシティの議論をまとめてきた。上述のように今では「構築主義」が優勢となっているが、「構築主義」はあまりにも語りやすく、キャッチーな立場であるため、すでにあらゆる場面に浸透しすぎてしまっている。しかも、「構築主義」はしばしば同様の結論に行き当たってしまい、問題の本質を覆い隠してしまうこともある(例えば、「民族は創られるものである」という結論を下すことで論を結んでいる論文は数多くあるが、それらはしばしば、なぜそのように創られたのか、その結論をどう実践の場で生かすのかを明確にしていないことがある)。

 そういった「構築主義」が陥ってしまった学問的な溢路を抜け出そうとしている研究者がいる。それがR・ブルーベイカーである。

 

フランスとドイツの国籍とネーション (明石ライブラリー)

フランスとドイツの国籍とネーション (明石ライブラリー)

 

 

 

グローバル化する世界と「帰属の政治」――移民・シティズンシップ・国民国家

グローバル化する世界と「帰属の政治」――移民・シティズンシップ・国民国家

 

 ブルーベイカーの日本語訳は以上の二冊だけ。実は私もまだ読んでいないので、今回はブルーベイカーの翻訳に携わり、ナショナリズム研究の第一人者である佐藤成基氏がまとめた論文(http://hdl.handle.net/10114/13318)をもとに、彼の分析枠組みを整理してみたい。

 ブルーベイカーは「今やだれもが構築主義者になってしまった」と述べ、その溢路を抜け出すためには構築主義者が軽視してきた「本質主義」をもう一度検討すべきであるとする。だからと言って、彼は「本質主義に帰れ」と言って時代の流れに逆行することを提唱しているわけではない。彼は構築主義が残した功績である「民族(およびネーション、エスニシティ、人種)は創られる」というテーゼは尊重したうえで、それが構築されていく過程を分析するべきであると主張しているのである。

 彼は自らが取るアプローチを「認知的視座(Cognitive Perspective)」と呼ぶ。これは「人種、エスニシティ、ネーションという概念によって理解されている現象を、実在する集団としてではなく、社会的世界を理解する際に人々が用いる認知のカテゴリーとして捉えるアプローチ」である(佐藤 2017: 21)。

 これはどういうことか。従来までのナショナリズムエスニシティ研究では、研究者の立場から「ネーション(あるいはエスニシティ)とは何か」を問い、それを客観的な視点から分析することを目指してきたため、しばしば実際にそういったナショナリズム運動などを行っている当事者の視点を置き去りにしてしまうことが多々あった。これを彼は「分析のカテゴリー」で研究を行っているという。そして「分析のカテゴリー」を用いて彼らの運動を見れば、現実とは乖離して形而上学的な机上の空論に陥ってしまい、分析がストップしてしまうことになっていた。

 そのため、彼は研究者が占有する「分析カテゴリー」から当事者の側に立った「実践カテゴリー」を用いて研究することを提唱している。つまり、「現実の社会で当事者たちがいかに「ネーション」というカテゴリーを用いて発言し、行動しているのか、それがいかにして社会過程の中で制度化され、広く共有され、あたかも実在の集団であるかのように『物象化(reification)』され、人々の行動を突き動かしているのか」を問うべきであるというのである(佐藤 2017: 22)。

 これは「何かが構築される」ということに注目してきた「構築主義」的な分析アプローチに対するアンチテーゼである。なぜなら、民族などを絶対的なものと見なす「本質主義」に対して、「そんなものは存在しない、構築されるのだ」と言い放った「構築主義」自身もいまだに対象を一つの実体的な「集団」として見なしているからである。認知的視座に立つというのは、「その何かが構築されていく過程において人々の用いる認知的カテゴリーの働きに注目していく」という点で新しいアプローチである(佐藤 2017: 26)。

 では、その具体的な分析方法はどういったものなのか。ブルーベイカーはそこには「上からのアプローチ」と「下からのアプローチ」があるという。前者のやり方としては、主として国家が公式に下すカテゴリー区分である。それは、法律、人口統計などを通して行われるため、そういった過程を分析していくことになる。さらに後者はインフォーマルな日常的実践を見るやり方である。それでは日常的な会話(エスノメソドロジー)や社会的なコンフリクトが発生した時に顕現化する言説などを分析の対象とする。

 そもそもブルーベイカーが当事者が選定する「カテゴリー」に分析の主眼を置く根拠は認知心理学認知人類学の研究業績に基づいてる。それらの研究では、人間には生来物事をカテゴライズする能力が備わっているという。さらに、単にカテゴライズするだけではなく、分類したそれぞれの事象を自らの経験や出来事と関連付け、世界を慣れ親しんだストーリー(筋書き)に沿って解釈していく能力(「図式(schema)」)があるという。人間のそういった能力は半ば無意識的になされるため、「手段主義」が主張するような当事者の狙いにそってカテゴリーが利用されることはあまりないという。

 一読するとこれはたしかに現在袋小路に入ってしまっているナショナリズムエスニシティ研究をすくい出す唯一の分析枠組みであるように見える。しかも、カテゴリーに主眼を置いているので、ナショナリズムエスニシティ研究を超えて、広い分野にまで波及しうる概念であるいえるかもしれない(例えば、ジェンダーや階級など)。しかし、佐藤もいうようにその是非はまだ定かではない。実際まだ生まれたばかりであるこの考え方は実際のエリアスタディに応用された例も少ない。さらに、社会学の枠を超えて心理学、人類学にまで架橋しているこの分析枠組みは、まだ社会学の分野内でどれほど影響を持ちうるかもわからない。だが、新たな社会学の道が開くのではないかと予感させる、ワクワクするような試みとして今後の発展を注視していきたい。

E・デュルケーム『自殺論』

 

自殺論 (中公文庫)

自殺論 (中公文庫)

 

 

言わずと知れた社会学の名著、『自殺論』について。

本書を初めて読んだのは、大学2年生の頃だったと思う。当時は社会学について専門的に学び始めたばかりで、ただただ退屈で通読するのが苦痛だったことを覚えている。

そして今読み返してみると、あら不思議。ここまで単純明快で、かつ社会学の基礎が詰まった本は他の入門書なんかを読んでみてもなかったのではないかとすら思える。

本書はタイトルが示す通り、「自殺」という社会現象を論じているわけだが、これが社会学の学部生の必読書として確固とした地位を占めている理由はそれだけではない。本書の「自殺」を論じるにあたって取られている分析・実証の方法が、今でも色褪せず模範として参照できるのである。それはどういうことか、以下で見ていこう。

 

デュルケームが本書で明かしたいことはつまりこういうことである。

「自殺とは社会の性質によってその促進率や抑制率が変化する」

今となっては、これは自明のことのように思えるかもしれないが、当時ではあまりポピュラーな考え方ではなかったようである。というのも、当時は(今もそうかもしれないが)自殺は気候や個人の性格、宗教、家族、民族的な気質などに起因していると考えられていたからである。だから、自殺者に対しては、「冬だから憂鬱で」とか、「あの人はよく思い悩む質で」などの言葉で済まされていた。

しかし、デュルケームはそれに異を唱える。そういった自殺の原因や分類は、全く科学的に立証されたものではなく、個人的な肌感覚で下された判断でしかないからだ。彼は前著『社会学的方法の基準』で、「社会も科学の対象となりうる」という命題を打ち出していた。それは本著でも一貫している。

社会学者は、社会的事実にかんする形而上学的思弁に甘んじないで、はっきりとその輪郭をえがくことができ、いわば指でさししめされ、その境界がどこからどこまでであるかをいうことができるような事実群を、その研究対象とし、断固それととりくまなければならない。また歴史学民族誌統計学などの補助的分野をたんねんに参照しなければならない。(p11) 

 自殺を論じるにあたって、主観的な価値判断や、また「自殺は反道徳的な行為だ」と倫理的な判断を下すことを避け、客観的なデータを用いて「社会的事実」のみから分析しなければならないとデュルケームは言うのである。

そしてそれを実践するために、本書でデュルケームは膨大な数の統計データを利用している。当時(19世紀後半)のことを考えると、分析に耐えうるだけの統計をまず収集すること自体が難しかったはずである。しかし、デュルケームは甥のマルセル・モースや論敵であったタルドの協力を得て、フランスだけでなくヨーロッパ各国の資料をかき集めている。そこに本書が100年以上経った今でも参照され続ける理由の一端がある。

 

 さて、では本書の分析の中身を見ていこう。

デュルケームは上に挙げた仮説を立証するにあたって、まず予想されうる反論や他の主張を論破していく。これが「第1編 非社会的要因」の中で行われているわけだが、ここだけで100ページ以上も費やしている。そしてそれらも、客観的な統計資料を使うことで行われるため、非常に明快でその主張には力強さがある。

例えば、デュルケームは自殺の主要因と考えられているものとして、「有機的・心理的傾向」と「物理的環境の性質」の二種があるという。前者は、個人の性格や人種、遺伝、精神病などが自殺の原因であるとする主張で、後者は気候や季節の気温によって自殺の発生率は決まるとする主張である。しかし、ここでは詳述しないが、どちらの主張もデュルケームの提示するデータを見てみると反論に耐えうるものではないことが分かる。すなわち、「自殺を増減させる原因は生来の不変な一衝動にではなく、社会生活の漸進的な作用にある」のである(p100)。

 

第1編では、自殺の要因では「ない」ものをバッサバッサと論破していった。いわば、消去法によって、自殺は「社会的要因」によって起こるということを証明したのである。そして次なる第2編では、その自殺の社会的要因とは何なのかを具体的に説明していく。すなわち、自殺の社会的要因をタイプ分けしていくのである。

しかし、そうはいっても自殺の原因をタイプ分けなど不可能ではないか。なぜなら、その原因を唯一知っているはずの本人がすでにいないからである。しかも、もし当の本人が生きていたとしても、内から沸き起こる葛藤や不安、恐怖の中で自分が自殺という方法を取った原因は本人にも把握できているとは限らない。それはフロイトが言う意味での、深層心理に入っていくことで初めて分かることであり、カウンセラーの力を借りて初めて分かることもありうるのだ。

では、どうやって自殺を分類するのか。自殺の際に取られた手法(絞殺、毒殺か、など)で分類するのも表層だけの分類に終わり、無理がありそうだ。そして試行錯誤の末、デュルケームが取った方法は、まず「自殺の増減をうながすさまざまの社会的環境(宗派、家族、政治社会、職業集団など)の状態がどうなっているか」を見ていくことだった(p170)。

 

まずデュルケームが検討したのは、宗教の違いが自殺に与える影響である。つまり、プロテスタントの国家が他にも増して自殺者が多いのはいかなる理由かということを検討するのである。

そして、その答えとしてデュルケームは、プロテスタンティズムには「自由検討」が認められていることを挙げる。これはプロテスタント(ルター)が堕落した教会に反発して「万人司祭」を唱えたことからも分かるように、従来の教皇を頂点とするヒエラルキーが確固として存在するカトリックのシステムと比べて、一信者に裁量の自由を与えられていることを意味する。つまり、カトリックでは人間がどうしようもない困難に対峙した時に「神(教皇)の思し召し」と一様に片づけていたことを、プロテスタントは自らの行いを省みながら、批判検討しなければならないということである(詳しくはM・ウェーバー『プロ倫』を見よ)。

しかし、だからと言ってプロテスタントの信者はみな自殺に走るというわけではもちろんない。その証拠に、プロテスタント国家であるイギリスは自殺率はさほど高くない。その理由は、イギリスがプロテスタントでありながら、旧来の階級化されたヒエラルキーを温存しているからである。つまり、英国の信者(国民)には批判検討する自由はドイツなどと比べてもあまりないということである。

では、カトリックにあって、プロテスタントにない特性とは一体何なのであろうか。それはつまり「社会的凝集力の強さ」である。デュルケームは言う。

宗教が人びとを自己破壊への欲求から守ってくれるのは、宗教が一種独特の論理で人格尊重を説くからではなく、宗教がひとつの社会だからなのである。その社会を構成しているのが、すべての信者に共通の、伝統的な、またそれだけに強制的な、一定の信仰と儀礼の存在にほかならない。そのような集合的状態が多ければ多いほど、また強ければ強いほど、宗教的共同体は緊密に統合されているわけで、それだけ自殺を抑止する力もつよいことになる。(p196-7)

宗派の比較によって明らかになったのは、どの宗派が良いか悪いかではなく、「社会的凝集力の強さによって自殺率の高低は決まる」という命題である。これは宗教に限らず、いろんな共同体にも適用できそうである。

そしてデュルケームはこれを「宗教社会」だけでなく、「家族」、「政治社会」にも適用して検証していく。ここでは詳細は省くが、それによって同様に、家族(政治社会)の密度が高いところでは自殺の発生率は低くなっていることが明らかになる。「すなわち、自殺は、個人の属している社会集団の統合の強さに反比例して増減する」(p247-8)。

このように、社会的凝集力が弱くなることによって個人が社会のくびきから解放され、依拠するものがなくなり自殺に及んでしまうことをデュルケーム「自己本位的自殺」と呼ぶ。これが第一の自殺のタイプである。

 

さて、次にデュルケームが試みた検証の対象は自己本位的自殺と、いわば相対するものである。いわく、「人は社会から切り離されるとき自殺をしやすくなるが、あまりに強く社会のなかに統合されていると、おなじく自殺をはかるものである」(p260)。このように「社会が個人をあまりにも強くその従属下においているところから起こる」この自殺をデュルケーム「集団本位的自殺」と名付ける(p265-6)。

さらに集団本位的自殺のなかにも、下部概念として「義務的集団本位的自殺」、「随意的集団本位的自殺」、「激しい集団本位的自殺」の三つが存在する。正直言って、これらの区分に明確な妥当性があるかは疑わしいが、参考程度に記述しておく(例えばデュルケームはこの三者の区分は自殺が法などによって明文化されているのか否か、自殺者が自発的か否かに基づいているというがそれを判断するのは難しい)。

いずれにせよ、集団本位的自殺を理解するのはさほど難しくないのではなかろうか。デュルケームが言うように、この自殺のタイプを理解するのに最も分かりやすい例は「軍隊」である。中でも、私が思い浮かべたのは「特攻」である。彼らは、集団、つまり国のために自らの死をいとわず敵に突っ込んで玉砕していった。これは「国家」という社会集団の中に無理やりにも埋め込まれていった者がたどる悲しき末路であり、集団本位的自殺を理解する上では最も分かりやすい事例ではなかろうか(これはまた「ナショナリズム」などの近代的な問題にも関わることである点で検証の余地がある)。

 

そして最後にデュルケームが注目したのは、ある社会的な危機に瀕した時に自殺率が大きく変動する点である。これは以上の二つの自殺の分類にも当てはまりそうもない。なぜなら、そこには社会と個人を離したり、結び付けたりする「遠心力」の効果ではなく、「個人の規制」という効果が深く作用しているからである。

これは一体どういうことか。注目すべき事例は経済危機である。経済危機が起こると自殺者の数が増えるということが統計によって明らかにされている。そして、それは経済危機によって生活に困窮し、追い詰められた人々が自殺に走るのだと解されてきた。しかし、それは違うとデュルケームは言う。なぜなら、経済が危機に陥る時だけでなく、発展に転ぶときでも同様に自殺者が増えることが統計によって明らかにされたからである。この社会的事実をどう解釈すればいいのだろう。

さらに統計は、驚くべき結果を導き出す。自殺率は、労働者階級よりも、その雇用主の階級において増加するのである。労働者は経済危機に際して、たとえ解雇されても現在の待遇が悪化する割合は少ない。対して、雇用主の場合は会社を経営する責任や裁量など、労働者以上に背負うものが多く、経済危機によって失うものも大きい。また、それは経済が好転した場合でも、責任が軽量化するわけではなく、かえって重くのしかかってくることになる。さらに競争も激しくなる。

経済が危機に転じるか、好転するかにかかわらず、従来までの安定した社会的秩序が激変した時に自殺の数は増加する。デュルケームは、これをアノミー的自殺」と名付けている。アノミー的自殺は「人の活動が規制されなくなり、それによってかれらが苦悩を負わされているところから生じる」のである(p319)。

 

以上でデュルケームが主張する自殺の3タイプが出そろった。しかし、だからと言ってすべての自殺が以上のどれか一つに分類されうるということでは決してない。これは社会学の一般化によってしばしば誤解される点だが、すべての社会的事象が「白か黒か」で区別できるわけではないのと同様に、自殺も各タイプの混合形態に分類されうることもありうるのである(例えば、「集団本位的・アノミー的自殺」や「自己本位的・アノミー的自殺」など)。

だからと言って、このタイプ分けが全て無駄になるというわけでもない。この分類がなければ、そもそも自殺を理解すること自体ができないからである。この少々大雑把な分類はたたき上げとして非常に有用なものなのである。

 

そしてデュルケームは最終章で「実践的な結論」と題して、導き出された結論から自殺問題への解決策を提示している。すなわち、自殺を増加させている主因とは、社会の凝集力が弱まり、個人が剥き出しのまま外部に投げ出されることにあった。ならば、もう一度個人を包摂するような社会を創出すればいいのである。

しかし、それは前近代的な宗教的共同体(とりわけカトリックユダヤ教的共同体)や、家父長的家族、政治的共同体ではない。近代においては、宗教のくびきから解き放たれ、「脱魔術化」しており、また家族も核家族世帯が主流となり、子供は一層都市に向かって進学・就職する傾向にある。それはもはや近代の逃げられぬ宿命であり、不可逆的な変化である。そして政治的共同体では結局利害によるゼロサムゲームを繰り返してしまい、個人を包摂するような連帯は生まれない。

では、一体どういう社会が望ましいのか。デュルケームが提示するのは、すなわち「同業組合」である。これは中世的なギルドを思い浮かべてもらえるとわかりやすいだろう。

それは、同じ労働に従事している個人によって構成されているし、彼らの利害は連帯し、一体化してさえいるので、社会的な観念や感情をはぐくむうえでこれほどうってつけの地盤はない。出自、教養、職業などが同一のため、職業活動は共同生活にとってこのうえなく豊富な素材をなしている。(p485) 

 

だが、もちろんのように、これは自殺を解決できる唯一無二の策とはいいがたい。周知のように、こういった同業組合による連帯を試みたのが、戦後の日本だったからである。「従業員は家族」という信念のもと、戦後の日本は新卒一括採用、年功序列賃金制などの安定したパイプライン・システムを構築していたが、自殺率はそれほど低下してなかったのではないか。

しかもこのような安定的なシステムは高度経済成長の時代だからこそ約束されていたものであり、それが見事に崩壊した現在ではなおいっそう同業組合による連帯は難しそうである。そして、デュルケームの時代にもそういった事態はすでに起こっていたようである。

現在の同業組合は、じつは、たがいに縁もゆかりもないような個々人、表面的でときおりのむすびつきしかないような個々人、あるいは協力者としてよりも、むしろ競争者や敵対者としてたがいを遇しあってさえいるような個々人などからなっている。(p488-9) 

要は、デュルケーム自身も自殺を解決できるようなスペシャルな策は持ち合わせていないということである。

だからと言って、本書の価値が落ちるというわけでは決してない。第一、100年以上も前の時代背景で分析されてきた自殺の問題を、いくら現代でもアクチュアルな問題として横たわっているからといって現代の文脈で批判すること自体が間違っている。しかし、逆説的に言えば、本書のすごさはそういった現代の文脈に落としてみても反論・推敲の価値がいまだにあるという点にあるのだろう。本書は、これから自殺を論じるにあたって、また社会学的方法を検討するにあたって、これからも何度も参照していくことになるのであろう。

アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』

もう一冊、読んだ本について。

民族とナショナリズム

民族とナショナリズム

 

 ナショナリズム論を取り上げる時に、B・アンダーソンの『想像の共同体』と並んで語られる代表作。

ナショナリズム論には、大きく分けて「近代主義」と「歴史主義」という二つのアプローチが存在する。「近代主義」の代表的論者が、アンダーソンとゲルナーで、それに反論する「歴史主義」の論者は前回挙げたA・D・スミスなどである。何が彼らの主張を分けているのかというと、要は「ナショナリズムが近代の所産か、否か」という点にある。アンダーソンはナショナリズムは近代に入って、「出版資本主義」(新聞や書物の爆発的な普及)などの影響もあって増加したと分析する。対してスミスは、いやナショナリズムやネーションと思しきものは近代以前、例えば農耕時代にもコミュニティとコミュニティがぶつかるときに発生していたのではないか、と反論しているのである。

そしてゲルナーはというと、本著で近代主義の立場から、「ナショナリズムは産業社会に突入してから生まれた」と主張するのである。ゲルナーは人間社会の歴史を、大きく「前農耕社会」、「農耕社会」、「産業社会」の三つに分けている。前農耕社会というのはいわゆる中世以前、古代の世界と考えていいだろう。この世界では、もっぱら人々は採集狩猟に明け暮れており、国家のようなまとまった組織は存在しなかった。そして農耕社会というのは日本でいうところ、明治以前の時代だろう。この時代には、国家に相当するよう社会を統制するような組織が確かに存在した。だが、この時代でも例えば、年貢を中央に収めれば、あとは自分の領土で好きなようにすればいいというようなゆるいつながりの世界だった。

そして人類は近代化し、産業社会に入る。ここでいう産業社会というのは、著者がたびたびM・ウェーバーを引き合いに出しているところからも分かるように、資本主義社会と言い換えてもいいだろう。この社会では前近代のいずれの社会とも異なり、明確に人民の生活、そして領土内の経済的利益を確保することを目的とした「国家」が誕生している。国家は一定領土内の人民、安全、秩序を守るために、唯一それらを管理する暴力を許された機関である。「ナショナリズムの問題は国家が存在しない時には起らない。」(p9)国家が生まれた近代に入らなければ、ナショナリズムも生まれなかったというわけである。

では産業社会に入って、具体的に何が変わったのか。それをゲルナーデュルケームの「分業」という概念を用いて説明している。前近代の社会では、文字の読み書きや文化というのは支配階級の余暇でしかなかった。それ以外の被支配階級、農民やギルドなどは家庭やコミュニティの中で一子相伝の技術を受け継ぎ、それを生業にして生活していた。つまり、総人口の1パーセントほどの上流階級は意思疎通の手段を有していたが、下層階級は方言や文化的な隔たりによってほとんど交わることはなく、同じアイデンティティを共有することがなかったのである。(これは江戸時代に、○○屋の△△君と人間を呼称していたことを思い浮かべれば分かりやすいだろう。江戸時代などでは所属の単位はその家系が営むお店などだったのである。)この時代には人々はそれぞれ家業があり、お互いに分業し、それは固定的なものだった。

だが、近代に入ると、まず大きく教育制度が変化する。子供たちは一括近代的なマス教育を施され、基本的な読み書き能力、文化の受容、計算能力を身につける。そしてところてん式に小学、中学、高校と進学していき、国家にとって使い勝手のいい人材に育っていく。また、近代に入っての技術革新も相まって、あらゆる産業は最低限の教育を受けた者なら難なく労働者としてコミットできるものになった。そのため前近代と比べ、職業が固定化されることは少なくなり、近代では誰でも色んな職業に就けるような流動的な社会になったのである。

これは人々に大きな意識の変化を及ぼした。人々は一生の仕事を生まれる前から決定されるようなことはなくなった。それはつまり、前近代まで人々の所属の単位であった「家業」が消失したことを意味する。では、次に人々の集団的アイデンティティ欲求を埋めてくれるものは何なのか。それが「民族」なのだという。人々は社会階層を上下に自由に移動する権利と可能性(いざとなれば自分も政府の上役になれる)を手にしたことによって、自らが国家の一員であることを確認する手段を得たのである。

そして国家はそういった均質的な社会秩序の安定を望むため、文化、民族の統一を行おうとする。そのため、それまでハイカルチャーの隠れ蓑の下にあった、サブカルチャーは抑圧され、ひどいときには存続を危ぶまれるようになる。その時に、自らの権利を訴えるような運動が起こるが、これが戦後に入って世界各地で勃発したナショナリズムの原因になったのである。

アンダーソンやスミスの時と同様に、ナショナリズム論はどの立場をとるか、ナショナリズムをどう定義するかによって全く異なる結論になる。そのため、近代主義や歴史主義のどれが正しいかの是非はおそらく一生でない答えだろうと思うが、本著で提示された分析は今の世界情勢とも比較しながら、判断していく必要があるだろう。