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岸政彦『マンゴーと手榴弾』

 岸政彦の『マンゴーと手榴弾ーー生活史の理論』を読んだ。

 

マンゴーと手榴弾: 生活史の理論 (けいそうブックス)

マンゴーと手榴弾: 生活史の理論 (けいそうブックス)

 

 

 目次は以下の通り。

はじめに

マンゴーと手榴弾ーー語りが生まれる瞬間の長さ

鉤括弧を外すことーーポスト構築主義社会学の方法

海の小麦粉ーー語りにおける複数の時間

プリンとクワガターー実在への回路としてのディテール

沖縄の語り方を変えるーー実在への信念

調整と介入ーー社会調査の社会的な正しさ

爆音のもとで暮らすーー選択と責任について

タバコとココアーー「人間に関する理論」のために

 目次を見てみると分かるように、それぞれの章は様々な媒体で発表した論考を集めて加筆修正したものであるため、 一つの本として首尾一貫しているとは言い難いが、読み終えてみると「生活史とは何か」「実在論とは何か」が色々な側面から(かなり控えめな形で)浮かび上がってくるという感じ。

 特に面白いのは、「鉤括弧を外すこと」という章。この章で、これまでの生活史研究の流れを踏まえて、いま岸が何を目指しているのかという道筋が明示的に示されている。逆に言うと、この章で示された「第四の道」を実践する試みが一体何なのかというのが、残りの章で具体的に示されるという構成になっている。

 そこで本エントリでは、この「鉤括弧を外すこと」の論旨を簡単にまとめ、本書を読んだ後での感想や疑問点を挙げていきたい。

 

 社会学の学問としてのゴールの一つに「他者の合理性を理解すること」がある。もちろん、学問の分野としてすでに大きく拡散してしまった社会学の目標はもはやこれだけに集約されないのだが、ウェーバーの理解社会学から始まり、現象学的社会学エスノメソドロジーなど、いわゆるミクロ社会学の分野では、やはりこの「他者の合理性の理解」が一大目標となっている。

 しかし、他者を理解することはそれほど容易なことではない。なぜなら、そもそも当の本人ですら自分の心理・行動を理解しているとは言いがたいからである。さらに、合理的に説明できそうな現象ならまだしも、一見すると「合理的でないもの」「不合理なもの」、例えば外部から見て明らかに当人の不利益になるような状況にその人がすすんで入り込んでいるようなケースだってしばしば存在する。そんなケースに対峙した時に、社会学者はどのようにそれを解釈しているのだろうか。

 本書では、この議論をもう少し分かりやすくするために、「差別」の話が挙げられる。ある被差別者(とされる者)が調査者に対して「私は差別されたことはありません」と答えた際に、調査者はその言葉をどのように受け止め、どのように解釈すればよいだろうか。調査者は当初、その「差別」の実態を「社会問題」として認識し、現場に入っていった。しかし、当事者のその言葉はそういった調査者の認識を根本から揺るがしかねない一言である。さて、どうすればよいか。そのようなケースに対峙した時に社会学者が取ってきた方法は、これまで大きく分けて三つあったと岸は言う。

 

 一つ目が、「差別はなかった」と述べる当事者の言葉を否認し、そういった言葉を発してしまうこと自体が被差別的状況にいる証左であると解釈する道である。いわば、「語り手の語りを否定し、社会問題の問題性を理論のなかに維持する道を選んだ」わけである(p.71)。

 この方法を明確に取った研究として、岸は社会学者の八木晃介の『部落差別論ーー生き方の変革を求めて』(批評社,1992)を挙げる。八木は、被差別部落の社会調査に入った際に、「私は生まれてから今まで、まったく一度もこのムラから外にでたことがないので、差別された経験は全然ありません」と述べる女性に出会う。そして、八木は「せまい被差別部落から一歩もでないという極端に限定された社会的交通圏の内部にとじこめられているということ自体、差別そのものだというべきではないでしょうか」と述べ、「いわば構造的な隔離による社会的遮断をも差別としてとらえるという感性力や認識力を、まさに差別によって剥奪されてしまった存在なのではないか、と僕には思えてなりません」と続ける(岸からの引用,p.72)。

 そういった意味で、八木にとっての被差別者とは「徹底的な無能力者」(p.74)である。なぜなら、八木にとって、被差別者は差別的構造によって、「本来なら持ち得たはずの合理的な(つまり自分たちにとって利益をもたらすような)判断力や行為能力を剥奪されて」おり、無意識のレベルで常に外部からの介入によって意思や意図が捻じ曲げられ、自らの不利益になるような選択肢を「選ばされている」と想定されているからである(p.73)。これはいわば構造決定論であろう*1

 この論理によって、「差別なんかないのに、本人が好んで不利益な状況に入っていったんだから仕方ない」という外野による自己責任論から被差別者を守ることはできるのだが(つまり責任は解除されるのだが)、同時にそれはその人の主体性や能力を否定することにもなりかねない*2

 

 そこで二つ目の道が、調査対象者の言葉をそのまま字義通りに受け取ることである。つまり、「差別されたことがない」と語り手が答えるのならば、本当に差別はなかったのだと解釈する道である。

 そのような手法を取った代表的な研究として、岸は社会学者の谷富夫の一連の著作を挙げる。谷は沖縄から本土に出稼ぎに出て、後になってUターンした人々の生活史を聞き取った。そこで谷は、「なぜ彼らは沖縄にUターンしたのか」の理由として、①本土で差別にあったから、②故郷の共同体へと自発的に帰還する道を選んだから、という二つの仮説を立てた。調査の結果、Uターンの理由として「差別されたから帰った」と答えた者はほとんどおらず、故郷沖縄に対する積極的な意味付けや家族や地域社会への愛着を語る者が多かったため、谷は①の仮説は完全に棄却されないまでも、②の仮説のほうが有力であると結論付けた(p.76-77)。

 このように結論付ける谷の手法を、岸は「鉤括弧を外す」と表現している。調査対象者の言葉をそのまま信頼し、対象者を主体性を持った合理的な主体と想定することによって、彼らが語った言葉をそのまま鉤括弧をつけることなく用いることができる。語り手に対して誠実なのはどちらかと問われれば、迷わず八木よりも谷だと言えるだろう。だが、果たして社会調査者は、谷のようにここまで単純に対象者の言葉を信じ、彼らの言葉を再記述するだけでよいのだろうか。というのも、「対象者が○○であるのは、対象者が○○と語ったからだ」というのはある種のトートロジーに陥っているとも言えるからである。それは果たして彼らの合理性を理解したことになるのであろうか。

 

 そこで第三の道を示したのが、社会学者の桜井厚である。彼が提唱するのが「対話的構築主義」である。それは言いかえれば「鉤括弧を外さない」という選択である。どういうことか。

 桜井は八木の示した道を批判して、以下のように述べている。

 このような差別の構造論的な解釈を、なぜ日常生活者としての当事者が共有する必要があるのだろう。むしろ、部落住民のライフストーリーが、つねに差別ーー被差別の文脈で解釈されなければならないという調査研究者の解釈枠組みこそが問われなければならないのではないか。ともあれこの種の還元主義あるいは構造のコピーとしての人間像では、人びとのストーリーはほとんど調査研究者の解釈の裏付けをとるだけのものとなる。都合の悪いデータは捨てられるか、自己の枠組みに合うように再解釈されるだけであり、ストーリーの語り手としての生活主体の個性や創造性までは理解が及ばないだろう。(岸からの引用,p.80)

 確かに、桜井が言うように、八木のような手法を用いれば、差別の問題性は担保されるものの、調査者の恣意にしたがってあらゆる調査結果が「社会問題」と解釈されかねない。これはある種の調査者による対象者に対する「カテゴリー化」である。そこに「差別」がなかったとしても、調査者が「被差別者」というレッテルが貼られれば、社会問題は構築される。桜井にとっての「差別」はこのような調査者に対する「カテゴリー化」(=「一人ひとりの個性を持った存在に対し、その多様性や個別性を無視して、『部落』や『在日』というラベルを貼ること」(p.80))をも含む。ラベリング論やポストモダニズムフーコーやサイードなどの権力論を経由した桜井にとっては、このようなカテゴリー化を含む「理解」それ自体が暴力である。調査者に差別の意図はなかったとしても、そこには「無意識の暴力」が存在するのである*3

 では、このような暴力に陥らないために、桜井はどのような解決策を提示するのか。桜井は語り手が「何を語ったか」ではなく、「いかに語ったのか」を調査者はつぶさに観察し、記述しろと説く。つまり、桜井にとっての「インタビューの現場とは、なによりも語り手と聞き手の『相互作用』の場なのであり、語りは、その場のそのつどの相互作用の結果として『構築される』ものなのである」(p.86)。構築主義の立場をとる桜井にとって、「社会問題」はそもそも構築されるものである。それは歴史的に作られるものだし、現在においてもなお構築されている。だから、差別があったかどうかという事実は原理的には抽出しようがないし、それは問題にすべきではない(というかできない)。したがって、調査者は今まさに「社会問題」が構築されようとしている調査現場をつぶさに観察し、記述することが必要である、というのが桜井の「対話的構築主義」の主張である。

 これはいわば問題の(つまり、whatからhowへの)巧妙なずらしである。これ自体は社会学界隈ではよくある光景である(例えば、エスノメソドロジーなどで使われる)。要は、対象者の語りの「内容」の真偽には踏み込まず、鉤括弧をつけたまま、少しメタ的な視点からその語りの「形式」を問うというスタイルである(だから彼は、語りを事実ではなく物語として捉えるため、「生活史」を「ライフヒストリー」ではなく「ライフストーリー」と言う)。岸は、桜井は「対話的構築主義」を提唱することによって、「差別されたことがない」という調査対象者の声に対して、現実の社会で差別があるとも、ないとも結論をつけていないと述べる(p.88-89)。確かに、これによって研究者の立場性は確保されるし、差別問題があったかどうかという「事実」をめぐる論争にも巻き込まれずに済む。しかし、それで果たして問題は解決したと言えるのだろうか。

 

 岸は、桜井的な手法、つまり構築主義的な手法の蔓延によって、社会学者は「実際に存在する社会問題」に対してのコミットメントが弱体化したと考える。語り手の語りを否定して大きな構造決定論を持ち出す(第一の道「語り手の否定」)のでもなく、調査対象者を素朴に信頼し差別の実在を否定する(第二の道「構造の否定」)のでもなく、その両方を避けるために事実への道を閉ざす(第三の道「事実性の否定」)のでもなく、どうにかして「現実の社会問題」に対処することはできないか。そこで岸は第四の道を模索する。

 それが語り手の語りから、調査者が理論枠組みや概念に変更を加えるというものである。具体例として、岸は自らの著作『同化と他者化』(2013)を引く。その研究で、沖縄から本土へ就職し、そしてその後に沖縄へとUターンした人々に聞き取り調査を行ったところ、その多くが「本土で差別されたことはなかった」と語ったという。だが、岸は前述した三つの方法は取りたくなかった。

語り手の語りを否定したり、あるいは差別の実在を否定したりするかわりに、あるいは、その両方を避けるために事実への道を閉ざすかわりに私は、「日本と沖縄との歴史的・構造的非対称性」に関する私自身の理論に変更を加えることを選んだ。明示的な差別をされたものが、後にUターンという道を選んだのであれば、それは理解しやすい。しかしもし、差別されたことがないと語る沖縄の人びとが、それでも帰郷の道を選んだとすれば、むしろそちらのほうが本土と沖縄を隔てる壁が高く厚いということではないだろうか。このように考えれば、差別という概念は「狭すぎる」のである。(p.111)

 そして、岸は本土就職経験者たちの経験した事態を「差別」ではなく「他者化」という概念で捉え、最終的に「同化圧力が強いほど、他者化される」という仮説を導き出した。それらの手続きを経ることによって、社会学者は自らの想定していなかった事実に対峙した時に、それを否定することなく記述し、対象者の合理性の理解に一歩近づくことができるのである。

 

 

 さて、以上が岸の提示する「他者の合理性の理解」の「第四の道」なのだが、最後にこれに関する簡単な感想をまとめておこう。

 まず、岸の目指す社会学のゴールは「他者の合理性の理解」なわけだが、それはおそらく「社会学」という学問の範疇を越えた領域にまで射程を持っていると思う。岸がいう「他者の合理性の理解」には、社会学に対する提言をなす「ハード」なものと、人間や社会をもっと豊かにするための提言をなす「ソフト」なものが一緒くたになって含まれている感じがする。たぶん、本当はこの二つは明確に分けることはできないはずだが、便宜的には分けたほうが分かりやすいと思う。

 順に見ていくと、ハードな側面において、それは「新たな仮説/変数を発見していく」という目標のもとに行われる理解を指す。これは最終的に量的調査などで確かめられていくのがセットになっている。「第四の道」では、調査対象者の言葉によって、調査者は自らの語彙・概念・理論を変化させることを余儀なくされた。これはいわば、新たな変数を獲得したということである。これによって、もう一度、調査者は新たな仮説を携えて研究にまい進していくことができる。

 だが、この「第四の道」はある種当然のことというか、社会学者が暗黙の裡にやっていることの一つではある。ただ、これを完全に生活史調査、質的社会調査の中心に添えたのは大きい。そして、この提言を聞いて、生活史調査や質的社会調査は、仮説を発見/提示することはできても、仮説の検証をすることはできないということを改めて自覚することができた。言いかえれば、社会学の目標である「人間の心理や行動の因果解明」は、質的調査だけでなく量的調査を加えてやっと成立するものだということである*4。岸・稲葉・筒井・北田などのメンバーで最近、社会学を理論的・方法論的に架橋するプロジェクトが行われているので、本書が生活史調査において打ち出した「第四の道」は社会学研究の発展のための大きな功績になると思う。

 次に、ソフトな意味での「理解」とは、例えば一見不合理な、当人にとって不利益になるような行動を行っている人に対して、「なるほど、そういうことか。そういう事情なら確かにそんな行動をするのは仕方ないよね」と納得する道を示すためのものである。このソフトな側面に関しては、本書の中でも「鉤括弧を外すこと」以外の章で詳細に記述されている。中でも象徴的なのが、最後の二章「爆音のもとで暮らす」「タバコとココア」であろう。

 「爆音のもとで暮らす」は、世界一危険とされる普天間米軍飛行場の近くに暮らす人々に対する、あるベストセラー作家の「うるさいのは分かるが、そこを選んで住んだのは誰だと言いたい」という発言から「自己責任」とは何なのかを問う。確かに、宜野湾市普天間周辺に移り住んだ人は戦後になって急増した。彼らは米軍基地があるということを知ったうえでそこに移り住んだことになる。では、彼らは、なぜはたから見て自らの不利益になると思われるような状況に飛び込んでいったのだろうか。

 岸が生活史を聞き取った普天間基地の真横に住むWさんは、その理由として「親の介護に行くために都合の良い場所だったから」を挙げる。さらに、湧き水やホタル、猫のための道路条件などの理由を挙げる。普天間の轟音については知ってはいたが、住むまではそのすさまじさまでには思いが至らなかったという。そして、岸はWさんの生活史をまとめて以下のように言う。

私たちの生活は、完全な自由と完全な強制の間にある。その複雑さや微妙さは、威勢のよいキャッチフレーズや、大所高所からの「地政学」的なまなざしからは、理解することができないだろう。(中略)

個人が自分の生存条件のもとで、少しでも良きものにしようと精一杯選んだ人生に、私たちは果たして、あの巨大な普天間基地の「責任」を負わせることができるだろうか。私たちは、個人の実際の生活史から考えることで、行為、意図、選択、責任などの概念について考え直すことをせまられる。たとえ自分の意志で普天間に住んだとしても、私たちは耐え難い騒音被害に対して異議申し立てをすることができる。まして、その責任を当事者個人に負わせることはできないのである。(p.306ー307)

 普天間基地の真横に住むという選択をしたWさんは、本土の人たちが普通に家を探すのと変わりない理由でその場所を選んだ。そこに一体どのような「責任」を付与されるべきだろうか。われわれが「自己責任」という言葉でとらえている現象が、いかに多様な妥協のもとで成り立っているのかをWさんの生活史は教えてくれる。それがソフトな意味での「理解」である。岸はそのような「理解」の束のことを、「タバコとココア」の章で「人間に関する理論」と呼んでいる。

「人間に関する理論」とは何か。それは、そのような状況であればそのような行為をおこなうことも無理はない、ということの「理解」の集まりであり、あるいはまた、そのような状況でなされたそのような行為にどれほどの責任があるだろうか、ということを考えなおさせるような「理解」の集まりである。この理論は、輻輳し互いに矛盾する多数の仮説を縮減しない。むしろそれは、もっと多くの仮説を増やそうとする。互いに矛盾する仮説のどちらかを採用し他方を棄却するのではなく、まるで実物大の地図を描こうとするかのように、私たちは矛盾する仮説を最大限に増幅しようとする。この理論によって得られるのは、たとえば、過酷な状況のなかでも人びとは楽しく生きることが可能であるということ、そしてそのような生が可能だからといって、その状況の過酷さを減ずる必要はまったくないという「理解」である。(p.340)

 この相矛盾するような「人間に関する理論」を最大限まで複雑化する必要がある。この場合、科学として単純化・モデル化はある意味不必要である。そして、そのために社会学者のすべきことは、「それぞれの一回限りの歴史と構造のなかで、その状況において行為者たちはこの行為を選択したのだという事例の報告を、無限に繰り返すこと」なのである(p.341)。

 

 さらに、ハード・ソフト両面での「他者の合理性の理解」のほかにも、本書には面白い論点がたくさんあった。それは例えば、彼が立脚する「実在論」や、「歴史と構造の中に個人の人生を結び付ける」というアイデアである。

 前者の「実在論」についていえば、前述した谷のような素朴な実在論に陥るのではなく、同時に桜井のような構築主義からしっかりディフェンスできるレベルの新たな実在論を打ちたてるには、おそらく本書でも引用されたD・デイヴィドソンなどの言語哲学などの議論を掘り下げていく必要があるのだろう*5。個人的には、岸が言うように構築主義が蔓延し、「全てが構築されたものである」といえてしまうのはかなり危険であると思うし、その危機感は「ポスト・トゥルースの時代」と呼ばれる現代においてより増していると思う。だからこそ、「そうは言っても事実は存在する」と力強く述べることが必要だし、それをするためにはかなり綿密な理論的手続きを取らねばならないだろう。

 後者の「歴史と構造の中に個人の人生を結び付ける」に関して言えば、岸自身、本書のその他の章(例えば「海の小麦粉」)で若干の考察を加えている。これは前述した、「責任」や「選択」の概念の再検討にもつながる話ではあるが、「大きな物語」としての歴史と構造を喪失させるということでもなければ、それらを逆に絶対視して個人を完全なる服従者にするということでもない。ここでキーワードになるのが、岸がたびたび使っている「折りたたまれた時間/過去」という表現だろう。

語りを「いまここ」の会話や相互行為に縛りつけず、もっと長い、複雑に折り重なる複数の時間のもとで、もういちど語る必要がーーあるいは私たちにとっては「書く」必要があるのだ。

生活史とは結局のところ、時間についての物語である。私たちはみな、現在に折りたたまれた過去に生きている。敗戦直後の経験は、まだここに存在する。それはまだ生きている。語り手はいまもあの浜辺で小麦粉の箱を待っているし、あの高校野球の試合はいまでも続いている。(p.134)

 歴史と構造、特に歴史に個人の人生を結び付ける場合、生活史調査で必要になってくるのが、語り手の語りの中で流れる時間をどのように捉え、そしてそれをどのように一つの「小さな歴史」として再構成し「大きな歴史」に結びつけるのかという点である。そうなってくると、検討すべきは「時間」とは何か、そしてそれが個人の中で「折りたたまれる」とはどういうことか、生活史研究者はこの「折りたたまれた時間/過去」をどのように扱えばよいのか(折りたたまれたものをほぐせばよいのか、折りたたまれたまま記述すればよいのかなど)ということである。難しい問題だが、検討の余地の多い問題でもある。

 

 最後に、岸は本書の議論の前提として「被差別者」を念頭に置いているが、では「差別者」の合理性は理解する場合はどうなのかという疑問が湧いてくる。いまは「被差別者」とは別に、「差別者」や「加害者」「マジョリティ」とされる者たちの合理性を理解するとは一体どういうことなのか、あるいはそもそも「差別者ー被差別者」「マジョリティーマイノリティ」は一概に決めることはできるのか、という問いを真面目に議論するべきフェーズに入っていると個人的には思っている。

 そういった人々を調査対象とする際には、「被差別者」や「マイノリティ」を対象としている時とは異なる問題が浮上するはずである。「被差別者」や「マイノリティ」を対象とする場合には、「大きな歴史や構造にさらされながらも必死に生きる」という構図を想定することができるが、「差別者」や「マジョリティ」はそのような「大きな歴史や構造」を生産/再生産する側である。彼らの合理性を理解する際に取る手続きは一体どのようなものなのか、あるいはそれは規範的に正しいものなのか。

 この問題に関して、岸自身も自覚的であるのは知っている。『現代思想』2018年2月号において、荻上チキと立岩真也を交えた対談で、相模原障碍者殺傷事件を例に挙げ、岸は「理解できてしまうことの怖さ」を語っていた。以下、少し長いが引用しよう。

立岩さんは『相模原障害者殺傷事件』のなかで、「加害者本人にはあまり興味がない」と言っています。また立岩さんは、「加害者の書いたものを見ると感情的に耐えられないから見ないようにしている」とも言っています。これは私自身の仕事にすごく関係することでもあって、私たちは加害者側を理解できてしまうことの怖さがあるのです。(中略)

今回の相模原の青年もすごく満たされない青年だったと。病歴や不安定な経済状況であるということを調べていくと、彼のやったことを理解できてしまうのではないかと思ってしまう。理解する必要があると思うのと同時に、理解できてしまうのではないかという一つの躊躇がある。つまり、私たちは理解するというとき、立場を交換するのですね。例えば、差別や貧困のなかにいる人の生活史を聞くと、「俺でもこうするな」「僕もそうだったかもしれない」となる。はっきりと思うかどうかは別にして、理解というものは、そうやって原理的に立場を交換できるものにしていく作業です。ところが、加害者を理解することは必要だし、「俺も一歩間違えていたらこういうことになっていたかもしれないな」ということをマジョリティとして覚悟することはすごく大事なのですが、一方で「コイツにもいろいろな事情があったんだな」と思ってしまうのが怖い。(「事実への信仰ーーディテールで現実に介入する」『現代思想』46(2),p.191)

 理解による「責任の解除」は被差別者やマイノリティに対してはある意味では「救い」になるのだが、逆に差別者やマジョリティに対しては「免罪」になってしまう。絶対的な悪というものが本当にあるのかどうか(植松を絶対的な悪とするか)は置いておくとして、とにかく従来の善悪の基準では誰が見ても限りなく「悪」に近いと判断された場合、我々はその人の合理性を理解してしまうことはタブーなのだろうか。被害者の場合とは違って、加害者の場合にはそこには必ず「理解することの怖さ」や「理解してしまうことの正しさ」が付きまとう。

 ちなみに、上のような「迷い」を吐露した岸に対して、立岩は「何が怖いんですか?私はあまり怖くないです。」と即答している。また、荻上も以下のような回答をしている。

社会制度上あるいは法定義上、許す/許さないという話と、社会として受け入れられていくという議論は多分同時にできることなのですが、でも同時に受け止めてくれる人はあまりいないですね。だから書き方が難しい。でも、同時に受け止めないようなタイプの人が本を書くよりは、先に書いたほうがいい。間違った仕方で議題設定されて、「どうです?罰しましょう」みたいなことを言われるよりは、「確かにいろいろあって、許すべきではないところもあるが、でもこういったところも含めないといけない」と先に言っておかないと、変な議題設定をされてしまうのです。だからあまり私は躊躇している暇はないなと思います。(同上,p.193)

 私も岸の問いに対して、立岩や荻上のような立場を取りたい。「理解」と「共感」は違う。例えば、植松の合理性を完全に理解したからと言って、植松に共感し、彼の「悪」を相対化する必要はない。理解したうえで全力で彼を断罪することはできる。立岩が言うように、「どんなにわかろうと、どんなに理解できようと、文脈がつけられようと、悪いことは悪い。まずそこはキープしておいて、その上で、それと同時にいきさつやらを調べればよい」(同上,p.193)のである*6

 だが、荻上や立岩のような、「理解したうえで全力で批判する」あるいは「批判しながら全力で理解する」という姿勢は、ある意味で正しいあり方だと思う一方で、相当に強くないとできないだろうなと思う。大概は、相手の共感できなさに耐えかねて理解を放棄するものである。彼らのようにありたいと思う一方で、岸のように率直な迷いもどこかで残しておくべきだろうなとも思う。この「差別者」「加害者」「マジョリティ」の合理性を理解することの正当性という問題に関しては、もう少し考えていきたい。

 

 

 

*1:ここで個人的にブルデューの「象徴権力/暴力」論を想起した。 ブルデューの理論については以前ブログに書いた。だが、正直ブルデューの理論を単なる「構造主義」や「構造決定論」と決めつけてしまうのは拙速すぎるだろうと思う。ブルデュー理論についてはまたいずれどこかでまとめたい。

*2:ちなみに、このような「責任の解除と主体性の剥奪のジレンマ」については、『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー』の著者である知念渉氏もシノドスのインタビューで述べていた。おそらく、質的調査、特に差別問題などを行う研究者が共通して持つアポリアなのだろう。以下、引用。

「わたしは教育社会学者なので、できるだけ自己責任を解除しようとします。こういう構造におかれたらしかたないよね、というかたちで。でも、自己責任の余地のない存在というのは、自分の主体性を奪われている存在でもあるわけです。つまり、貧困だったからあなたの人生はこんなに厳しかったんですね、という風にいわれると、自分がいままで選択してきた意味や主体性はないといわれているようなものなのかもしれません。だとすれば、それは固有の存在であることが否定されることでもあります。たしかに、自己責任を解除するのは大事なのですが、それによってその人の主体性のようなものを奪ってしまうのはどうなんだろう、と。」

*3:ちなみに、このような「カテゴリー化」をめぐる政治性については、ナショナリズム研究などにも蓄積が存在する。私は以前、アメリカの社会学者ロジャース・ブルーベイカーの「カテゴリー論」についてブログで取り上げた。ブルーベイカーの提示する認知的視座は「構築主義の乗り越え」を志向した理論であるが、それによってある程度“客観的”に民族・人種差別の実態を描くことに成功しているが、やはり後述するように、桜井の「対話的構築主義」と同様の問題を抱えていると思う。

*4:これに関しては、稲葉振一郎『社会学入門・中級編』(2019,有斐閣)の中でも言及されていた。稲葉によると、社会学の調査方法は①質的調査、②量的調査、③質的研究の三つに大別されるという。ここでは、①と③が分けられているのがミソである。つまり、調査者と対面的にかかわる質的調査と、史料などのドキュメントを扱う質的研究とは原理的に異なるものとして見ているのである。そして、社会学の中核になるのは①であるとし、一般理論なき後の社会学で量的調査を導く概念を作ることがその役割であると述べる。つまり、量と質という雑な対比は必要なく、両者は矛盾なく共存するというのである。

*5:それを岸の代わりにやっているのは、おそらく北田暁大稲葉振一郎らなのだろう。ちなみに、前述した稲葉(2019)では、これから質的社会調査を理論的に研究していく者は、言語哲学について触れなければならないと述べられている。私は、言語哲学に限らず、最近書店でも頻繁に見かけるようになったマルクス・ガブリエルなどに代表されるような「新実在論」などの哲学的潮流も検討の対象になるだろうと思う。

*6:ちなみに、私はこの「差別者の合理性を理解してしまっていいのか」という問いに対して、明確にイエスと答えた本が、最近出た伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学ーーアンダーグラウンド平成史1990-2000年代』だと思う。過激な排外主義や差別的言説を唱えているネット右派(ネトウヨ)を「クラスタ」と「アジェンダ」という概念を用いることで細分化し、それぞれのグループでの合理性を解明した良書である。この本を読んだ読後感は、「なんだ、ネット右派が言っていることの中には理解できるものもあるし、なんなら頷ける論理もあるじゃん」だった。これは何も危険なことではなく、要は「理解できるんだったら彼らと対話のテーブルにつくこともできるよね」ということである。植松に対してもこの論理が通じるかは正直分からないが、少しは希望が抱けるのではないか。