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アートを社会学に応用するということ

 先日、研究会に参加して抱いた雑感を綴りたい。

 研究会の内容ももちろん興味深かったが、それ以上に考えをめぐらしたのが「アートを社会学(あるいは社会科学)に応用することは可能か」「人文学を社会科学に組み込むことは可能か」という問いである。結論を先取りして私見を述べれば、どちらの問いに対する答えも「場合による」である。

 

 まずは「アート」に関する問いから。ここで想定されている「アート」とは、おそらく絵画・彫刻・映像などのいわゆる美術のことを指していると思われる。問題になるのは、これを「社会学に応用する」というときにどのように応用するのかという点である。ここでは分かりやすく「方法論」として用いる場合と、「説明の道具」として用いる場合の二通りに分けてみよう。筆者は前者の場合は「部分的に」応用可能であると考えるが、後者の場合はその応用は不可能であると考える。

 「方法論」として用いる場合とは、例えばどのようなものが想定されるか。ここでは研究会でも言及された、澤田唯人「他者の生を≪なぞる≫ための、今ここの≪なぞらえ≫の世界ーーアートベースを生きられる他者理解と社会学」を例に挙げよう。(http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00150430-00000138-0009.pdf?file_id=123694)

 これは「アートベース」といわれる手法を用いて、社会学がこれまで解明できなかった調査対象者の理解を試みようという意欲的な論稿である。その中で取り上げられているものを例に挙げるならば、例えば調査対象者に「箱庭」を作ってもらうことで彼らが自らも理解・把握していない経験を調査者が把握するといった事例が挙げられている。

 その手法の良し悪しはさておき、こういった手法の提示は社会学(とりわけ理解社会学)にながらく横たわっている「理解社会学の根本問題」を乗り越えようという意図が隠されている。ウェーバーの理解社会学現象学的社会学へと発展させたアルフレート・シュッツは、当事者(調査対象者)が現実を主観的に理解する意味連関(一次的構成)を、研究者は理解しなければならない(二次的構成)と唱えた。言い換えれば、研究者は当事者の構成する意味理解をさらに意味理解しなければならないのである。ギデンズはこれを「二重の解釈学」と呼んだが、問題は研究者が当事者の意味連関を理解する際に、そこに科学的な客観性を確保しなければならない点である。つまり、当事者の意味理解をそのまま(例えばインタビューなどの手法を用いて)提出しただけではそれを理解したとは言えないし、かといって当事者の理解から遠く乖離した論文を提出すると「それは私の思ったこととは違う」と咎められかねない。理解社会学はこのような根本的なアポリアに突き当たっているというわけである。

 アートベースの話に戻ると、それらの研究はこのような「理解社会学の根本問題」を回避することを意図していると考えられる。すなわち、論文あるいは社会学であれ哲学であれ、何らかの学問的体系の言語(ジャーゴン)に回収されない形で、調査対象者の意味連関をできるだけ忠実に抽出することはできないかという狙いである。科学がそれをできないのであれば、芸術でそれを代替しようというわけである。

 筆者はこれに対して「部分的に賛成」という立場を取る。「部分的」にというのは、アートを社会学に応用することは可能だが、それはアートを手がける「人々」を理解する範囲においてであり、アートを結論として援用することに関しては否定的であるということである。これが上で「方法論」としては応用可能だが、「説明の道具」としては不可能だといった所以である。実際、ハワード・ベッカーが『アート・ワールド』やブルデューの芸術社会学などはアートをによって社会学を刷新するというよりも、芸術界における人間の営み(卓越)を分析することを目指している。「アートを社会学に応用する」といった時に筆者が想定するのはまさにこれらの研究群である。

 また、アートを方法論的に応用すれば万事オッケーというのはあまりにも楽観的に過ぎるとは思う。例えば、上で挙げた箱庭はそもそも精神分析で頻繁に使われる手法だが、これを行ったからといって従来の社会学が問えなかった当事者の意味連関を理解できるというのがあまりよく分からない。また、そういったアートの中で提示された当事者の意味連関を、結局社会学であれ何であれ学術的な体系の中に組み込んでいかなければならないわけだが(例えば論文という形で)、その際に不可避的にやはり当事者の言葉はジャーゴンに翻訳され、本来の意図をそのまま伝えることは不可能であると筆者は考える。やはり、問題はアート云々というよりも社会学に限らず、各ディシプリン内における論理的整合性や派閥的なダイナミズムを解決しないことには、この根本問題は解けないのではないかと考えている。

 

 以上が、筆者がアートを社会学に応用することを全面賛成しない所以である。次に、二つ目の問い「人文学を社会科学に組み込むことは可能か」だが、これも部分的に賛成する。というのも、近代以降、両者は明確に区分され、分業体制を築くことで学術研究が量産されてきたという歴史があるからだ。

 そもそも「人文学」の中に何を含むのかを同定するのも一つの合意があるわけではない。多くの場合、そこには哲学、文学、歴史学などが含まれると想定されるだろうが、歴史学の中には「科学」たらんとしてきた学派はあるし、地域によっては人文学の中に芸術諸分野を含むとする国もある(詳しくは、隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』p.67-71を参照。フランスは伝統的に「人文科学」(sciences humaines)や「人間科学」(sciences de l'homme)と表現し、絵画や彫刻などの芸術(arts)とは区別されてきたが、英語圏ではHumanities and artsという形で社会科学と人文学を区別してきた)。

 だが、いずれにせよそれぞれのディシプリンは専門分化しながら、より複雑な問題系に取り組むことができるようになった。そう言った歴史的な経緯を省みず、単純に人文学を社会学に組み込むというのはあまりにも無謀であると思うのである。もちろん、筆者は学際的な研究者のつながり自体を否定するわけではない。実際、学際的な研究によって「異なる視点を持つ者同士が話し合うと、居心地が悪いけれど、均質な人びと同士の対話よりも、正確な推論や、斬新なアイデアを生む確率が高まる」という研究結果があるらしい(隠岐 2018: 250)。だが、それは各ディシプリンの専門家が専門知を結集することによって得られるものであり、明らかに分業体制のなせる業である。

 

 まあでもいずれにせよ、この問いを考えながらいろいろと思索にふけることができた。私も美術鑑賞が好きな部類だが、例えばなぜ高い金を払って遠い国のよくわからない絵画を見に行くのかというと、そこに「言葉では表現しえないもの」を見るからである。学問はすべてを言葉や論理で解明しようとするきらいがある。それは学問の最終的な目標であり、最大の魅力なのだが、同時に大きな欺瞞でもある。私は学問のそういった欺瞞や誘惑を自覚するために芸術があると思っている。自らの営みがいかにちっぽけなものなのか、と。これはある意味で芸術至上主義で、アートの象牙の塔に籠るような偏狭なアイデンティティなのかもしれない。しかし、今のところ私はこれこそが芸術の本質であると思っている。

 

 

・追記(2019年5月6日)

 以上で、アートと社会学の相違みたいなものを雑然とつづったが、これはそもそもアートと学問の根本的な相違なのではないかと最近思う。

 そう思うようになったきっかけは、東浩紀『ゆるく考える』に収録された「悪と記念碑の問題」という短い評論を読んだからである。

 同評論は「ぼくはむかしから人間の悪に関心があった。それも、個人がなす悪ではなく、集団がなす悪、つまり、政治や組織の力によって媒介され増幅される悪に関心があった。」という文章から始まる。氏は少年期に森村誠一悪魔の飽食』を読み、戦時中に日本軍が行った人体実験の描写を目の当たりにし、その残酷さに打ちひしがれたという。

 興味深いのは、氏が当時を振り返って同書の中で描かれていたものを「人間から固有名を剥奪し、単なる『素材』として『処理』する、抽象化と数値化の暴力」であると表現している点である。日本軍は中国人捕虜やロシア人母子を「丸太」と呼び、実験対象を「丸太一号」「丸太二号」と番号で整理した。それはすなわち、彼らから名前を奪い、均質で空虚な研究対象(n=1)として抽象化・数値化する営みである。

 もちろん、それは道徳的に許されざる行為である。しかし厄介なのは、その営みがそもそも「人間の知の源泉」であることである。科学者(この場合の「科学者」は自然科学者も社会科学者も含む)は実験対象を抽象化・数値化することでしか研究を行うことができない。しかし、その営みの先に、七三一部隊アウシュビッツポグロムが存在するのもまた事実である。

 社会科学なのか自然科学なのかを問わず、科学あるいは学問というのは原理的にそのような性質を帯びているような気がする。そして、そのような営みに抗することができるのは、アカデミズムの外の世界にしかないのではないかと私は思うのである。それは文学であり、映画であり、絵画であり、彫刻であり、いわゆる「アート」なのではないだろうか(ナイーブすぎるか?)。

 

 余談だが、東氏は抽象化と数値化の暴力は固有名を奪う一方で、固有名を回復させることもあるという。スターリンは銃殺対象者から人生を奪うために(すなわち固有名を剥奪するために)、彼らの詳細をまとめたリストを作成していた。しかし、のちに犠牲者の家族が記念碑を作成する際に利用したのもまたそのリストなのである。「ぼくたちは死者の名を、リストでしか記憶できない」。

 同じことは科学あるいは学問の世界にも言えるのではないだろうか。確かに、科学あるいは学問は対象者を抽象化し、数値化し、均質化する。そうすることでしか、実験・分析ができないからである。そして、それはときに残酷な結果をもたらす。だが、それによって作成された論文あるいは分析結果は、さらなる人間の理解へとつながる。そこには厄介な逆説がある。科学あるいは学問でできることは想像以上に限られているが、同時に想像よりもずっと開かれているともいえるのである。

 

 

 

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