楽楽風塵

ナショナリズム 移民 台湾 映画と読書

遅塚忠躬『史学概論』

 脱線して歴史学のお勉強。読み進めたところまでをまとめたい。

史学概論

史学概論

 

  

 第1章は「歴史学の目的」と題されている。歴史学に限らず、何らかの学問を学ぶときは必ず「それは何のために学ぶのですか」「それは何の役に立つのですか」という問いを突き付けられる。それは大学の研究費が切り詰められている現代においては火急の問題ではあるが、まあそれはさておき。

 歴史学がこの問いを突き付けられるときによくある回答が、「よりよく生きるため」だとか「人間の自己認識」(human self-knowledge)などである。後者は歴史学者コリングウッドの言葉だが、彼によると「人間が自己の何たるかを知るためには、人間がこれまで何を行ってきたのかを知ることが必要であ」るため、そこにこそ歴史学の「価値」があるというわけである(p.28)。

 ほかにも様々な回答が考えられうるが、遅塚はこれらの主張は歴史学の「効用」(utility)を説明しているだけであって、「目的」(purpose)ではないと述べる。つまり、なんらかの価値や意義は重要性(importance)とほぼ同義であって、ある行為の結果における客観的な重要性、すなわちその行為の効用を指している。他方で、目的というのは、ある行為の出発点において主体が自覚的に選び取って設定した目標を指している。言い換えれば、価値や意義、重要性と目的ではそれを評価する人が立っている位置(あるいは視座)が異なっているというわけである(前者は過去、後者は未来)。

 遅塚は歴史学の効用を否定するわけではないが、それと目的とを明確に区別することを強調する。なぜなら、歴史学者全員が「社会的有用性のために」とか、「人間がよりよく生きるために」などとのたまっていては、知的好奇心を刺激するような学問的産物は生まれようがないからである。

歴史学の効用ないし意義が一義的に確定されるものでないならば、単一の効用イコール単一の目的という実用的な学問の場合とは異なって、歴史学においては、その目的もまた一義的に確定されたものではありえない。したがって、われわれは、歴史学を学ぶ目的が人々の個性(好み)に応じてさまざまであることを、つまり、歴史学の目的の多様性をそのまま承認すべきであろう。(p.30-31) 

  もちろん、歴史学者個々人が「社会的有用性」を考慮することは重要である。しかし、それは個人が勝手にすることで、あくまでも「歴史学の目的は多様である」「それは個人の知的探求心や好みによる」という前提を担保すべきであると遅塚は述べるのである。これはいわばその目的を明確に規定されている社会諸科学と比較すると、かなり自由な発想であるといえる(うらやましくすらある)。

 

 とはいっても、「みんな自由に歴史を書いちゃえ」とあってはそれは学問として成り立たないので、以上の前提をもとに、遅塚は歴史学の大まかな目的を挙げる。すなわち、①尚古的(個性記述的)歴史学②反省的(静態重視的)歴史学③発展的(動態重視的)歴史学の三つに区分する。

  尚古的歴史学は「歴史的個体への知的興味を満足させるため」というのを歴史学の第一の目的に据える(p.32)。つまり、歴史が好きだから、過去の事柄が好きだからといった理由で歴史を学ぶ姿勢である。したがって、これはだれだれの、あるいはどこどこの歴史といった具合に限定的な対象を深く追求していくことを目指すため、個性記述的と称される。

 反省的歴史学は「過去に照らして現在の社会や文化を反省するため」というのを目的に掲げる(p.38)。現在の我々があるのはなぜなのかを問うために、過去をさかのぼってみようというのがこの立場である。この立場は過去を現在とは異質なものとして捉え、過去から現在を一つのつながりとして見ていないことから「静態重視的」な見方であるといえる。

 ちなみにこの反省的歴史学を代表する一派がアナール学派に代表される「社会史」である。社会史は19世紀までの歴史学が政治史や外交史のような大きな文脈にばかり目を向ける「事件史」偏重だった反発から提唱された。「歴史のなかでゆっくりと動く(長期的に持続する)中間層に着目する」(p.41)。これが社会史の出発点だったのである。さらに、社会史は例えば下部構造が上部構造を規定するといったマルクス主義的な説明を拒否し、諸要素の横のつながりにおいて歴史の全体性を捉えるという視座を取る。

社会史のおそらく最も重要な特徴は、歴史を、諸要素の共時的相互連関においてとらえようとすることである。換言すれば、社会史は、ある地域のある時代の社会全体についいて、そこで一定期間持続していた「構造」を解明しようとするのであり、フランス系の「社会史(histoire sociale)」にほぼ相当するものがドイツでは「構造史(Strukturgeschichte)」とも呼ばれているのはそのためである。(p.43)

 「構造」は言うまでもなく、レヴィ=ストロースのそれである。構造は地域や時代を横断して普遍的にみられるある特徴的なパターンである。それを抽出するのが社会史の役割だったのである。

  最後が発展的歴史学である。これは「歴史の発展の筋道を考えるため」というのを第一の目的に据える(p.47)。それはすなわち、過去の中に現在の事物の起源を見出すことを歴史学の目的にしているという意味である。その際、注意すべきなのは発展的歴史学が発展の筋道を「知る」ためではなく、「考える」ことを目的としている点である。つまり、あくまでも歴史家は現実の世界の流れを後天的に再構成し、その因果関係を考える役割しか与えられておらず、その本来の全体的な歴史すべてを知ることはできないということである。

 

 というところで力尽きてきた。続きはまたいつか。。