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ケン・ローチ "Sorry We Missed You"(邦題『家族を想うとき』)※ネタバレあり

 ケン・ローチの最新作"Sorry We Missed You"を見た。

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www.youtube.com

 

 結論から言うと、本当にやるせないストーリーだった。前作『私はダニエル・ブレイク』と比べて、かなり希望を削ぎ落した仕上がりになっている。それぐらい監督の現実に対する切迫感や危機感も大きくなっているということだろうか。上映時間は100分と短いが、全編にわたって悲痛が漂っている。

 ストーリーは、元建築労働者のリッキーが「ゼロ時間契約」の配達ドライバーとして雇用される場面から始まる。最近では、「ギグエコノミー」と呼ばれる、職場と正式な雇用契約を結ばずに、自らの裁量で仕事量や時間帯を選ぶことができるとされる職業である。元の職場をクビになってから様々な職を転々とし、借金も抱えるリッキーは、「自営」で「自由に働ける」という言葉につられて、宅配に必要な車両費などは自らが負担するという条件を飲んでその職を引き受ける。

 最初は、「2週間くらい14時間休まず働けば、車両費も払い終わる」と意気込んだリッキーだったが、それがいかに難しいことかを徐々に悟っていく。それは健康に、他に何も問題が起きなければ可能な未来だったかもしれない。しかし、リッキーに様々な問題が降りかかってくる。しかも、それは子供の不祥事や暴徒による傷害事件など、現実としてギリギリ起こりうる問題なのである。

 リッキーは家族のことを第一に考える善良なる市民である。しかし、「家族が第一」「家族と一緒に幸せに暮らしたい」、そう願えば願うほどに家族が崩壊していく。終盤で「何かがおかしい」とつぶやくリッキーとアビー(妻)は、しかしそれがなぜなのかは分からない。そして、ラスト、家族の制止を振り切って、リッキーは仕事場へと車を走らせる。悲痛の涙を流しながら。

 

 本当にやるせない。家族の中の誰も悪くないのである。

 中盤に、息子のセブがけんかの腹いせに父リッキーのバンの鍵を奪ったと疑われるシーンがある。バンが使えないリッキーは当然職場に行くことができず、仕事場からさらなる罰金を追加されてしまう。家出から帰ってきてなお反抗的な態度を取るセブに対して、リッキーは思わず手をあげてしまう。妻アビーの暴力的な父を心底嫌っていたリッキーは追い詰められて、その父と同じ過ちを繰り返してしまうのである。家族のヒビはどんどん大きくなっていく。

 しかし、後になって、リッキーの鍵を取ったのはセブではなく、娘のライザであることが発覚する。なんでそんなことをしたのか。問いかける父にライザは「だってキーがなければお父さんは仕事場にいかなくてすむでしょ」と涙ぐみながら答える。娘の涙に家族はやっと誰も憎む必要がないのだと気づくのである。

 言ってしまえば、みんながどこかで間違いを犯し、だからこそ誰も責められない。それぞれの過ちがボタンの掛け間違いのように、少しずつ家族全体の絆を壊していく。あえて、その根源を求めるならば、最初にリッキーが多額の借金で配達のためのバンを買ったことだろう。そこからすべてが壊れ始めたのである。

 

 ここまでの話だけだと、本作は単なる一つの家族を描いたドラマに過ぎないように聞こえる。だが、本作は「家族問題」だけでなく、やはりどこまでも「労働問題」を描いたドラマである。それはおそらくローチを敬愛する是枝裕和監督と決定的に異なる点だろう。

 そもそも、いま言ったような家族トラブルはあらゆる家庭で起こりうる問題である(だからこそ、観客の心をひくのである)。では、世の家族はこういった危機をどのように回避しているのか。それは例えば、そもそも配達用の車両を自腹なんかで払わせずに支給したり、有給休暇で職場に仕事を休ませてもらったり、不慮の事故に対しては労災認定による保険をもらったりなどである。世の中にはあらゆるリスクに対して、労働者が保護される制度がある。それがあるからこそ、不慮のリスクを人々は乗り越えることができるのである。

 だが、本作で描かれる人々にはそのような制度が存在しない。あらゆるリスクが自分、そして家族に降りかかってくる。それはリッキーに限らず、訪問介護の仕事をする妻アビーも同様である。訪問介護の移動費は自腹である。心優しいアビーはその優しさゆえに訪問先のおじいちゃんおばあちゃんを心配して、自ら仕事を引き受けてしまう。そして貧困のスパイラルにどんどん落ちていってしまう。それも全て雇用主が被雇用者を守るという大前提を手放したからである。

 そして、本作で印象的だったのが、労働者同士の連帯の兆しが一切見られない点である。それは従来の労働者像とはかけ離れた様相である。確かに、宅配ドライバーたちが倉庫で軽く会話をする、宅配のノルマを手伝ってもらうといった従業員としてのコミュニケーションは存在する。だが、それはみなが「労働者」として雇用主の横暴に反抗するような連帯を生むようなつながりでは決してない。それを裏付けるように、劇中でドライバー同士で仕事を奪い合う、あるいは仕事を押し付け合うといった場面が描かれる。そして、しまいには雇用主の横暴をきっかけにドライバー同士のけんかが勃発する。労働者みんなでその怒りを雇用主に向けるということには帰結しないのである。それほど労働者がモナド化しているということなのだろう。これがギグエコノミーと呼ばれる職業の決定的な特徴ではないだろうか。

 

 移民問題などでも積極的に発言している望月優大氏が以下の記事でこのように述べていた。

gendai.ismedia.jp

 

ギグエコノミー時代の自営業者にとって、自由はいつも条件付きだ。だからこそそれは全くもって自由に見えない。そして、最後には必ずこう言われるのだ。わかっていると思うが、お前の代わりなどいくらでもいる。逃げ出した彼ら〔=技能実習生〕を「犯罪者」かのように見なす社会、それから貧しいリッキーを怠惰な「ルーザー(敗者)」として見なす社会、それらは本質的に同じものを共有している。つまり、ゲームの結果だけを見て、ゲームそのものに組み込まれたアンフェアさを見ない。

 「自営」や「自由」という言葉につられたリッキーは本当に自由を手に入れたのだろうか。

綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』

 2年越しの懸案事項(修論)が無事着陸態勢に入ったので、ぼちぼちブログを再開します。

 この2年間、だいぶ世情に疎くなってしまったと思う。というのも、修論執筆中はほとんどそのテーマに手いっぱいで、例えば記事やニュースを追っていても、そのテーマを中心に考えてしまうからである。「あ、このニュースはあそこに使えるな」とか「この本は自分の修論にも通じるかも」とか。もちろん、そういう軸足が一つあると、その分効率よく情報を収集することができるんだけど、逆に言うと、思考のゆとりがなくなってくる。つまり、「使えるかどうか」で情報を取捨選択していってしまう。だから、最近の世の中の流れとかにどうしても疎くなってしまうのである。

 ということで、年の瀬ということもあり、これから今年読んだ本なんかを振り返りながら、世の流れにキャッチアップしていこうかなと思う。

 

 まず第一弾は、今年読んだ本の中でも格段に面白かった、綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。」について。

 

「差別はいけない」とみんないうけれど。

「差別はいけない」とみんないうけれど。

  • 作者:綿野 恵太
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2019/07/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 帯なんかにも書いているが、本書は今みんなが思っているけれど、なんだか言いづらいことを平易な概念で整理していってくれている。新たな洞察を加えるものというよりも、これからみんなが議論を深めていく際の橋頭保になる本といってもいいかもしれない。

 目次は以下の通り。

まえがきーーみんなが差別を批判できる時代 アイデンティティからシティズンシップへ

第1章 ポリティカル・コレクトネスの由来

第2章 日本のポリコレ批判

第3章 ハラスメントの論理

第4章 道徳としての差別

第5章 合理的な差別と統治合理主義

第6章 差別は意図的なものか

第7章 天皇制の道徳について

あとがき ポリティカル・コレクトネスの汚名を肯定すること、ふたたび

 

 まず、まえがきでは本書を貫く図式である「アイデンティティの論理」と「シティズンシップの論理」の整理がなされている。この二つは共に反差別のロジックではあるが、差別を批判する際の論拠が異なる。これを筆者は、カール・シュミットの「自由主義」と「民主主義」の対比をもとに整理している。

 シュミットによれば、「自由主義」は「討論による統治」を信念としている。そして、討論を行うためには「公開性」は確保されていなければならない。議会の中でどのような議論が行われているかを市民は知れなければならないし、市民の声を届けられる回路がなければならない。そして、そのためには、「言論の自由」「出版の自由」「集会の自由」「討論の自由」が必要になってくる。このようなロジックで整えられたのが、現代の立法権・行政権・司法権であり、現代議会主義である。

 一方、「民主主義」は「同一性」を特徴として持つ。シュミットは以下のように言う。

治者と被治者との、支配者と被支配者との同一性、国家の権威の主体と客体との同一性、国民と議会における国民代表との同一性、[国家とその時々に投票する国民との同一性]、国家と法律との同一性、最後に、量的なるもの(数量的な多数、または全員一致)と質的なるもの(法律の正しさ)との同一性、である。(カール・シュミット『現代議会主義の精神史的状況』p.23)

 人々が話し合いによって何らかの合意に達するためには、ある程度の同一性が不可欠である。なぜなら、全くの利害関心の異なる他者が寄り集まっても議論の妥協点を見つけることは不可能に近いからである。だから、例えば「日本人だから」といった民族の共通項を見つけることによって人々は民主主義をやっと成立させることができる。

 このような、民主主義と自由主義の対比は、そのまま「アイデンティティの論理」と「シティズンシップの論理」に当てはめることができる。

アイデンティティ・ポリティクスとは、社会的不利益を被っているアイデンティティを持つ集団が結束して社会的地位の向上を目指す政治運動だった。たとえば、黒人という人種、女性という差別、朝鮮人という民族といったさまざまなアイデンティティに基づいた政治運動が存在するが、しかし、それらはすべてアイデンティティの「同質性」をもとにしているために、シュミットの区分にしたがえば、民主主義に属するものであるといえる。

いっぽうで、シティズンシップの論理は、あるアイデンティティを持った「集団そのものの尊厳」ではなく、「平等なシティズンシップの尊厳」を守るものであった。つまり、シティズンシップの論理では、「市民」という「個人」の権利が重視されている。そして、シュミットの区分にしたがえば、個人の権利、人権もまた自由主義的な考えであった。(p.20ー21)

 シュミットが予見した、この「アイデンティティの論理」(民主主義)と「シティズンシップの論理」(自由主義)の対立は、現在世界のあらゆるところで散見される。例を挙げるならば、ポピュリズム、排外主義、反緊縮運動、Metoo運動、性表現規制論争、ポリコレ論争、等々。これらの同時多発的な運動や論争を二つの論理の対立としてつなげた点にこの本の新規性がある。

 

 第1章では、「政治的正しさ」(ポリティカル・コレクトネス、以下「PC」)発祥の地であるアメリカで、この言葉がいかなる経緯であらわれたのか、そしてどのようにその意味内容を変質させていったのかが描かれる。

 最初に、PCが公共的な言論の場において登場したのは、1960年代以降に台頭した「新しい社会運動」の中であった。新しい左派が、1960年代以前の古い左派の教条的でセクシスト的・レイシスト的な姿勢を批判するためにこの言葉が使われていた。つまり、当初、PCは左派が自らを「アイロニカル」に批判する際の語法として用いられていたのである(p.37)。

 だが、1990年代ごろに語法の変化が生じ始める。保守派が、大学におけるリベラルな教育や積極的是正措置(アファーマティブ・アクション)を批判する際の論拠として、PCが用いられ始めたのである。1991年5月には、ブッシュ(父)大統領もミシガン大学の卒業式講演で、当時大学で導入されていた人種差別や性差別に関する「スピーチコード」に対して、「〔政治的に〕正しい行動を要求する改革者たちは、そのオーウェル的なやり方でもって、多様性の名のもとに多様性をつぶしている」と述べ、物議をかもした(p.39)。

 ブッシュの発言には、当時アメリカで吹き荒れていた「文化戦争」の波が関係している。「文化戦争(cultural war)」とは、1988年にスタンフォード大学が一般教養の必修科目である「西洋文化」を「文化・思想・価値」という科目名に変更したことに起因して起こった論争である。当時は積極的是正措置によって「多文化教育」が唱えられており、いわばそのバックラッシュとして保守派が西洋文化の必要性を訴えたのである。

 新保守主義の論者として知られるアラン・ブルームアメリカ・マインドの終焉』や、歴史家アーサー・シュレージンガーJr.『アメリカの分裂』はそのような「文化戦争」のさなかにしきりに読まれた。両者の主張は、私的領域での文化の多様性は認めつつも、公的な面では文化の統一性が必要だとする「文化多元主義」に属し、共通する特徴として、①マルクス主義と「新しい社会運動」(アイデンティティ・ポリティクス)に連続性・同一性を見ること、②国家統合の理念の擁護、③ポストモダン(ポストコロニアニズム・多文化主義)批判が挙げられる(p.53)。

 これらの一連の論争を整理すれば、1990年代に「スピーチコード」のように大学がこぞって取り入れていった多文化主義教育は、各民族の同質性を確保しようとする意味で「アイデンティティの論理」に属する。そして、ブルームやシュレージンガーの批判は、アメリ憲法のもとに「一つの人民」としてあらゆる人種や民族が「同化」することを目指している点で「シティズンシップの論理」に属する。

 したがって、1990年代のアメリカでは、ブルームやシュレージンガーはシティズンシップの立場から、アイデンティティの側にある多文化主義を批判していたと言える(シティズンシップ→アイデンティティ)。そして、その際に用いられた論拠がPCであった。しかし、ここで現代日本を見てみると、マジョリティによるアイデンティティ・ポリティクスであるネット右翼が、反差別的な言説を攻撃する際にPCという言葉を用いている。つまり、現代日本では、PCという非難がアイデンティティ→シティズンシップに向かっているのである。言い換えるならば、PCは同じ差別を批判する語法でありながら、その基盤とする論理が時代を経て変化しているのである。

 

 以上のアメリカにおけるPC批判の変遷を日本に適用してみると、どのような展開がみられるだろうか。第2章では、日本のポリコレ批判が検討される。結論から先に述べると、日本の場合、左派による戦争責任の追及も、それに対する右派の反発も、「民族」という「同質性」に基づいた「アイデンティティの論理」でなされることが多かった。

 まずその手がかりとして、内田樹『ためらいの倫理学』が取り上げられる。内田はポストモダンの思想家たちを「ポリティカリーにコレクト」な人々と批判している。内田による主張をまとめると、以下のようになる。「足を踏んだ者には、踏まれた者の痛みがわからない」に象徴されるように、アイデンティティの論理とは差別の苦しみや不利益は被差別者にしかわからないとする考え方であったが、ポストモダンの思想家はこのようなアイデンティティの論理を尊重するあまり、被差別者=他者と「コミュニケーション」を取ることを断念してしまった。そして、被差別者を「交通不能の他者」として扱うことで、(本来は被差別者のものである)差別の告発を代行する資格を得ようとしてきた。つまり、内田のアイデンティティ・ポリティクス批判の矛先は、マイノリティにではなく、一貫して自らの改悛を介して他罰的にふるまう、代行主義的な日本の知識人に向けられているのである(p.88ー89)。言い換えるならば、内田の倫理学とは、左右のアイデンティティ・ポリティクスに「ためらい」を持ち、左翼的な弱者への同一化も、右翼的な国家への同一化も、ともに拒むことなのである(p.91)。

 このような内田によるどっちつかずの論理は、内田が高く評価する加藤典洋敗戦後論』にその原型を見つけることができる。加藤は同書の中で、戦後日本はドイツのように戦争責任を十分に反省せず、GHQによって押し付けられた平和憲法を無批判に受け入れたことから、「護憲派」と「改憲派」の二つの人格に分裂したと説いた。そして、その分裂を乗り越えるためには、現行憲法を一度国民投票で選びなおし、二千万のアジアの死者への哀悼の前に悪い戦争に駆り出されて死んだ死者を、無意味なまま深く哀悼しなければならないという。これは、アメリカ合衆国憲法における「市民」に代わるものとして、日本国憲法をそのまま今度は主体的に選びなおすことで「新しいわれわれ」=「公共性」=「シティズンシップ」を打ち立てようとする主張であった。

 そして周知のとおり、『敗戦後論』に対しては、ジャック・デリダの研究家であった高橋哲哉によって批判が寄せられた。その趣旨は、加藤の主張は偏狭なナショナリズムでしかなく、むしろ戦争の被害者や犠牲者の呼びかけに対して応答することが責任なのだと主張した。だが、両者の論争は少しかみ合わない部分が存在する。というのも、加藤を偏狭なナショナリズムと批判する高橋も、植民地支配に抵抗する被支配民族のナショナリズムには「すべての植民地支配の否定につながる普遍性の通路が含まれている」と擁護しているからである(p.101)。整理すると、加藤と高橋はそれぞれのやり方で「アイデンティティの論理」を越えることを模索していながら、議論の展開が不十分なため、双方が論争相手から「アイデンティティの論理」に陥っていると批判されていたのである(p.102)。

 そういった意味で、加藤、高橋以上にナショナリズムを超え出ようと模索していたのは、上野千鶴子であった。上野は、加藤に対して「死者に「国境」を引くことで、「日本人」の国民的主体を構築しようとしている」と批判しながら、かつ高橋に対しては「わたしには被抑圧民族のナショナリズムは正しい、と言い切ってしまうことができない」、「ナショナリズムの中では個人と民族とを同一化することで「われわれ」と「彼ら」を作り出しているが、この集団的同一化は、強者・弱者のいずれのナショナリズムの場合にも、罠としてわたしたちを待ち受けている」と批判した(p.102ー103)。そして、アイデンティティの閉鎖性が抜け出て、NGOといった「市民」の活躍に期待を寄せている。

 と、このようにアメリカと比較して、日本のアイデンティティ/シティズンシップ論争は以上のように進んできた。アメリカと比較した時に、憲法論争のなかでアイデンティティの論理が介在してしまう背景には、そもそも日本国憲法における「国民」がnationを指しており、アメリ憲法におけるpeople”(人民)が明記されていない点があると筆者は言う。加藤が言うように、「国民投票」で憲法を選びなおしたとしても、そこには「人民」、例えばサンフランシスコ平和条約日本国籍を除籍された在日朝鮮人や台湾人が含まれていないのである。

 

 日本のポリコレ批判の源流をたどると、「戦後民主主義」に関わる論争が見えてきた。しかし、これらの言説は現在の「ポリコレ」の語法からはかけ離れている。第3章で検討されるのは、現代日本におけるポリコレの語法の変化である。結論から先に言うと、いま我々が「ポリコレ」と呼んでいるシティズンシップの論理は、1章で見たアメリカの大学におけるスピーチコードが公共空間に広がったものなのである。言いかえれば、それは「ハラスメント規制の論理」である。

 日本においても、NHKが特設サイトに「キズナアイ」を起用した件や、最近だと、赤十字社献血ポスターに「宇崎ちゃん」を起用したことによって、いわゆる「萌え絵」に対してセクハラ表現にあたるのではないかという批判が寄せられた。このような性表現規制に関しては、アメリカで先んじて議論されてきた。1980年代には、弁護士のキャサリン・マッキノンと法哲学者のアンドレア・ドウォーキンがポルノグラフィ規制条例の制定を求める運動を行っている。その際、マッキノンは、「市民」としての尊厳を傷つけるがゆえにポルノグラフィを規制せよと主張した点には注意が必要だろう。つまり、マッキノンは女性によるアイデンティティの論理ではなく、シティズンシップの論理によって自らの主張を正当化したのである。

 具体的に、マッキノンは、①ポルノは出演する女性に直接危害を及ぼし、性的に搾取している、②ポルノを視聴することが女性への性暴力の原因になっている、という二つのポイントからポルノグラフィを批判した(p.135)。特に大きな論点となったのが、②のポルノ視聴と性暴力の因果関係の有無である。実際、その因果関係を証明する研究は出てきていない。結局、ポルノグラフィ規制法はアメリ憲法によって保護された表現の自由を侵害するとして認められなかったが、その代わりに「セクシャル・ハラスメント」という考えが性表現を規制する論理となった。そして、職場に性的なポスターを飾ったり卑猥な会話をしたりすることで職場環境を悪化させる「敵対的環境型ハラスメント」の適用範囲が、職場や学校を越えて公共領域全体へと広がっていった。これがアメリカにおいて「ハラスメントの論理」が流布していった大まかな流れだが、日本におおいても同様の経緯だろう。

 そして、ハラスメントにはセクハラだけでなく、人種に基づいた「レイシャル・ハラスメント」も存在する。1章で見たように、アメリカでは、1990年代ごろから徐々に大学などでのヘイトスピーチを罰する規定が出てきたが、そんなアメリカですら、州を跨いだヘイトスピーチ規制法成立は実現していない。性表現同様、ヘイトスピーチと特定の人種や民族を標的とした犯罪との因果関係が解明されていないからである。では、ヘイトスピーチはどのようにして規制すればよいのか。アメリカの法学者ジェレミー・ウォルドロンは、たとえ因果関係が証明されなくても、ヘイトスピーチやポルノは「公共の秩序」「社会の尊厳ある秩序」という観点から規制すべきだという。

 ウォルドロンが重視するのは、「秩序ある社会」という「見かけ」である。「社会の見かけは、その成員に向けて、社会が安心を伝える主要なやり方のひとつ」であるとウォルドロンは言う。彼がここで言う「安心」とは、「彼らはみな等しく人間であり、人間性に備わっている尊厳をもつこと。彼らはみな正義に対する基本的な権限をもつこと。そして彼らはみな、最もひどい形の暴力、排除、尊厳の否定、従属からの保護に値すること」に対する「安心」である。(『ヘイト・スピーチという危害』p.96ー98)。つまり、ヘイトスピーチ規制法とは、「秩序ある社会」という見かけによって、「市民」としての「尊厳」が重視されるというメッセージを伝え、人々を「安心」させるものである(p.145)。このような「安心」は、統計や社会学的調査といった客観的データではなく、きわめて主観的な感情に拠っている。果たして、このような主観的な「安心」や「快/不快」といった感情によって、表現を規制する法律を作ることはできるのだろうか。ポリコレをめぐる分断はこういった部分に起因するのである。

 

 と、以上の3章までの議論が、昨今の論争をアイデンティティの論理とシティズンシップの論理で整理した部分である。続く4章では、認知心理学などの最新の知見において、人間が「認知バイアス」によって普遍的に差別(差異化)意識をもっており、それをジョナサン・ハイトの研究からリベラリストにおいても同様であること、そして現代レイシズムがこれらの知見を動員し、エビデンス主義と結びつくことによって自らのアイデンティティ・ポリティクスを正当化していることなどが述べられる。5章では、上で挙げたシティズンシップの論理における「安心」への渇望が、いま中国に急速に実装されようとしている「統治功利主義」へと容易に共振してしまう可能性を指摘している。

 では、我々はアイデンティティの論理でもなく、シティズンシップの論理でもない、どのような論理によって差別を批判すればいいのだろうか。残念ながら、本書ではその答えは明示されていない。しかし、昨今のTwitterなどで繰り広げられる不毛な議論を交通整理するには、本書の議論はかなり有効であろう。

ブルデュー・ライール読書会まとめ

 P・ブルデューディスタンクシオン』、B・ライール『複数的人間』『複数的世界』、T・ベネット他『文化・階級・卓越化』の読書会をしたので、その中での論点をまとめる。私なりに解釈したこの研究会の趣旨は、まずは①ブルデュー理論を理解すること、②ブルデュー理論の欠点を理解すること、③ブルデュー以降の文化社会学ブルデュー式の)の展開を把握すること、だったと思う。この流れで簡単に論点を列挙していこう。

 

 

 

複数的人間: 行為のさまざまな原動力 (叢書・ウニベルシタス)

複数的人間: 行為のさまざまな原動力 (叢書・ウニベルシタス)

 

 

複数的世界: 社会諸科学の統一性に関する考察 (ソシオロジー選書)

複数的世界: 社会諸科学の統一性に関する考察 (ソシオロジー選書)

 

 

文化・階級・卓越化 (ソシオロジー選書)

文化・階級・卓越化 (ソシオロジー選書)

  • 作者: トニーベネット,マイクサヴィジ,エリザベスシルヴァ,アランワード,モデストガヨ=カル,Tony Bennett,Mike Savage,Elizabeth Silva,Alan Warde,Modesto Gayo‐Cal,磯直樹,香川めい,森田次朗,知念渉,相澤真一
  • 出版社/メーカー: 青弓社
  • 発売日: 2017/10/26
  • メディア: 単行本
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1.ブルデュー理論の前提

・関係論的社会学

 ブルデュー理論を理解する際に、まず把握しなければならないのはそれが「関係論的社会学」という土台の上に立っているということである。関係論的社会学を簡単に説明するのは難しいが、すごく平たく言うと「社会的存在が実体として(リキッドなものとして)存在するという考え方を否定し、個人は他者との関係の中で認識・行為を行う」という前提を採用する社会学の方法論的立場と説明することができるだろう。

 ブルデューはたびたびノルベルト・エリアスの議論を参照しているが、この関係論的社会学の考え方を採用すれば、例えば上流階級・中産階級・下層階級といったヒエラルキーがあり、彼らが集団として対立しているといった(ある種マルクス主義的な)社会像を抱くことは困難になる。それよりも、「階級」とはあくまでも分析者が複雑な現実を理解するために構築した概念道具でしかなく、実際に実践を行っている人々は階級内・階級間の関係の中で自らの認識を構成し、卓越化を行うという説明が可能になる。つまり、問わなければならないのは、その「関係」と「メカニズム」ということになる。 

 

 ・ミクロ・マクロリンク

 さらに、ブルデュー理論はいわゆるミクロ・マクロリンクを試みている。ミクロ・マクロリンクというと真っ先に思い浮かぶのはアンソニー・ギデンズであるが、ブルデューはギデンズが唱えるようなそれとは若干異なる。ギデンズは社会学の文脈の中でミクロ社会学(理解社会学現象学的社会学エスノメソドロジーなどのいわゆる方法論的個人主義)とマクロ社会学(方法論的集団主義)を接合することを目指したが、ブルデューの場合はフランスの人文学的文脈がそこに侵入する。すなわち、サルトル実存主義(ミクロ)とレヴィ=ストロース構造主義(マクロ)の接合である。ブルデュー理論は両者のいわばいいとこどりを試みようとしている(その結果、きわめて曖昧は認識論的立場になっているが)。

 補足しておくと、ギデンズがいう「再帰性」(reflexivity)とブルデューがいうそれにも大きな違いがある。ギデンズの場合はそれは近代論の文脈の中で提起されたもので、人間が行為する際にもはや社会的環境や行為を絶えず反省することを余儀なくされていることを説明したもので、ブルデューの場合は研究者(特に社会学者)の研究手法に対しての言及である。つまり、研究者は自らの分析・研究が対象者にフィードバックされたり、研究者が作り上げた概念(階級とか)がかえって現実を作り上げてしまう可能性を把握しなければならないという提言である。

 

・カント『判断力批判』批判

 『ディスタンクシオン』を全くの初見で読むと、何を明らかにしようとしているのかを把握するのは難しい。この本の副題「社会的判断力批判」から分かる通り、ブルデューがここで批判の対象としているのはカントである。カントは「形式」を重視する見方こそが「美学」であると主張した(これも雑な説明で申し訳ないが)。例えば映画ポケモンを見に行ったとしよう。「内容」を重視する人は単純に「ピカチュウかわいかったねー」で終わるだろうが、「形式」を重んじる見方をする人はその作品の背景を監督の経歴やスタッフから考察し、画角がどうだとかここには○○事件のメタファーが入っているだとかをあーだこーだ言うだろう。こういったメタ的な芸術鑑賞の仕方をカントは「美学」だと述べたのである。そして、ブルデューはこの見方は社会的に作られる、つまりその人が置かれた社会的位置によって作られるのだと主張することによってカントに反論しているというわけである。それを理解するためには、『ディスタンクシオンI』のp.69やp.72の写真のエピソードなどが分かりやすいだろう。

 

・(ハビトゥス)(資本)+場=実践

 ということで上の有名な公式が出てくる。もっと分かりやすく説明するならば「場」が右辺の最初に来るだろうが、要は社会的アクター(ブルデューは「アクター」という言葉よりも「エージェント」という言葉を使うが)は種々の社会的位置(場)に配置され、その中で自らに配分された資本や身体化・客体化されたハビトゥスをもとに実践を行う。したがって、上でブルデューはミクロ・マクロリンクを試みていると述べたが、どちらかというと構造主義的立場に近い。しかし、場に配置されたアクターがハビトゥスをもとに位置を移動する可能性を必ずしも否定していない点に彼の理論の複雑さとずる賢さがある。

 この場を特定すること、そして人々の立ち位置(position)を経験的に特定することは言葉で言うよりずっと難しい。それを(成功しているかはともかく)経験的に示そうとしている点に『ディスタンクシオン』の最大の面白さがあると言ってもいい。それが上巻p.192-193のあの有名な対応分析の図である。その図では、Y軸に資本量の多寡、X軸に経済資本と文化資本の多寡をそれぞれ設定し、社会的位置空間(階級や職業のプロット)と生活様式空間(趣味のプロット)をそれぞれ配置することで描かれる空間である。既存の回帰分析的な手法ではなく、このような対応分析の手法を用いている点にも上述した関係論的社会学の考え方が通底している。つまり、回帰分析では分析者があらかじめ仮説として設定した独立変数と従属変数がどれだけ有意な関係にあるかを調べることしかできないため、いわば社会の静的な状態しか把握することができない。しかし、対応分析では階級・職業間の位置関係やそれらと趣味との関係や距離が分析者の想定していない形であらわれるため、諸変数の関係性を発見的に取り出すことができる。そして、そこから場が設定されるという仕組みである。

2.ブルデュー理論への反論

・場をいかにして措定するのか?

 ブルデュー理論は勉強すればするほどよくできた理論であることが分かる。これを否定するのはかなり難しい。なぜなら、人間の認識や戦略は彼らがおかれた社会的位置によって決まるとしており、場のゲームにあらゆるアクターが半強制的に参加していると前提されているからである。『ディスタンクシオン』の中では、支配階級がどんな趣味が正統であるかを決定し、中産階級はその正統性をひっくり返そう、あるいは支配階級の仲間入りをしようともがき、労働者階級はゲームに参加しているとも知らずに既存の正統性を追認していると想定されている。つまり、労働者階級はゲームに参入していることすら気づいていないのである。しかし、彼らは本当にゲームに参加しているといえるのか?ブルデューはイエスという。ゲームのルールすら知らず、ピッチの中でぼーっと突っ立っているだけでも彼はゲームの参加者であるといえるのである(少なくとも理論的・論理的には)。そして、「こんなゲームばかばかしい」と言っている人もある意味ではゲームの存在を認めている点でゲームに参加しているといえる。そして、自らの立場(ゲームの前提自体を否定する)を表明することで卓越化をしているのである。いわば最強の理論である。ここらへんのブルデュー理論の、特に「場」の概念の理論負荷性の強さという議論は北田暁大が以下の本の中でも指摘している。

社会にとって趣味とは何か:文化社会学の方法規準 (河出ブックス 103)

社会にとって趣味とは何か:文化社会学の方法規準 (河出ブックス 103)

 

 だがやっぱり腑に落ちないのは「場」をいかにして措定するのかということである。それは研究者が理論的に設定するだけで、経験的に(例えば統計的に)境界を措定することはできないのでないだろうか(上述の北田論文はそれを経験的に措定しようと試みた研究である)。ここらへんの理論的な穴がやはりどうしてもブルデュー理論には付きまとう。ということで、ここでもう一度「場」とはどのような特性を持っているのかをライールをもとに整理してみよう(ライール『複数的世界』p.144-147)。

①場は全体的(国家的、国際的)社会空間が構成するマクロコスモスのなかのミクロコスモスである。

②それぞれの場は、そのほかの場のゲーム規則と賭け金に還元できない、特殊なゲームの規則と賭け金を有している。

③場は「システム」ないし、場の様々な行為者(agents)によって占められる諸位置の構造化された「空間」である。

④この空間は闘争の空間である。つまり、様々な位置を占める行為者(agents)同士で競合や競争がなされる闘技場(arena)である。

⑤闘争は場に特殊な資本の領有(特殊な資本の正統的独占)および/あるいはその資本の再定義を賭け金としている。

⑥資本は場の内部で不平等に配分されている。したがって、支配者と被支配者がいる。

⑦しかしながら、相互に闘争している場の行為者たちはみな、場が存在することに対して利害を持っているがゆえに、彼らを対立させる様々な闘争を越えたところで「客観的共犯関係」を維持している。

⑧それぞれの場に対して、場に固有のハビトゥス(身体化された性向のシステム)が対応する。場に固有のハビトゥスを身体化した者だけがゲームを行い、そのゲーム(の重要性)を信じること(=イリューシオ)ができる。

⑨場は相対的な自律性を有している。場の外部の闘争の結果が、内的な力関係の結末に強く影響を及ぼすとしても、そこで展開される闘争は独自の論理を持っている。

 と、このように「場」の概念が内包する特性を列挙すれば、果たしてこれだけの特性を全て兼ね備えた事例があるのかどうか疑わしくなる。したがって、「場」の概念を使うときはこの中のどのような特性を有しているかを明示したうえで、限定的に使うくらいしか今のところ使い道がないのではないかと思う。例えば、「場」と「資本」「ハビトゥス」を全てセットで使わなくとも、「場」だけの概念を使用する場合はそうする理由を明示するみたいな(例えば、分析対象が確かに外部の空間とは異なる論理で動いているといえる場合など)。今はそれぐらいしか言えない気がする。

 

 ・ハビトゥス概念の理論的乏しさ

 ブルデューは度々「ハビトゥス」について述べているが、この概念を詳しく事例研究の中で展開したことはない。ブルデューの初期の研究である『資本主義のハビトゥス』などでは少し言及されているが、それも短いエッセイ的なものにとどまる。ブルデューはそれぞれの場の固有の社会的位置に配置された者が、そこで有効に作用するハビトゥスによって実践を行うと主張する。言いかえれば、その人がそのような実践を行っているのは「そのようなハビトゥスを持っているから」と説明するのである。しかし、これは裏を返せば、何かを言っているようで構造決定論というかハビトゥス決定論に陥りかねない。問わなければならないのは「そのハビトゥスとは何なのか」「どのようにハビトゥスが有効に活用されるのか」といったことである。後年、ブルデューハビトゥス概念よりも場や構造の分析に終始するようになり、ミクロな動態を分析する視座が薄まっていったのはやや残念である。

3.ブルデュー以降の文化社会学

・性向+文脈=実践

 ということで、以上でブルデューの欠点などをあげつらってきたが、当然これらの欠点を埋めるような研究も多数提出されてきている。代表的な人物がB・ライールである。ライールはブルデューがマクロな構造の分析に埋没していったとは反対に、よりミクロな分析を行っている。そこで彼が提起したのが、上述の公式である。これはもちろんブルデューの公式を下敷きにしている。ブルデューが「ハビトゥス」や「資本」という概念に固執したのとは裏腹に、ライールは一貫して「性向」(disposition)という言葉を使っている。これはハビトゥスとは全く別物で、言い換えるならば「身体化された過去」とでもなるだろうか。性向は個人の中に一つというわけではない。個人の身体の中に多数ストックされている(それらの身体化された性向のシステムのことを「ハビトゥス」という)。そして、個人が個々の文脈の中に埋め込まれた時に、それらの埋め込まれたストックが生起される(プルースト失われた時を求めて』の紅茶のシーンさながら)。その発露が実践というわけである。ここでライールが「場」ではなく「文脈」を使っている理由は、上述したように場の概念を使ってしまうとすべての行為者が闘争のゲームの中に参入してしまうことになるという一面的な人間理解を避けるためである。「文脈」は別に闘争のアリーナを想定しているわけではないし、その中でみなが卓越化のゲームをしているわけではない。まあブルデューよりかなり穏当な主張である。

 

・文化的オムニボア

 また、ブルデュー以降の文化社会学では人々の趣味に関するより詳細な研究がなされている。その一つが「文化的オムニボア」に関する研究である。これは簡単に言うと、ブルデューが言うように階級ごとに人々の趣味がくっきり分かれているわけではなく、特に中産階級においては趣味の幅広い摂取傾向が見られるというものである。

 まあこれは言われてみれば普通の主張である。普段生活していても多趣味で、とにかくせわしなくどんなものもとりあえずかじってみるみたいな人は多く見る。そして、こういった傾向を持つ人は肌感覚としても中産階級が多い気がする。というのも、中産階級は労働者階級のように機能性や用途を重視して趣味を選ぶわけではないし、かといって上流階級ほど選択できる趣味の幅が狭くないからである(下品なテレビばっか見たらだめよとは言われない)。さらに、『ディスタンクシオン』の時代に比べて現代ではメディアの影響でどんな人々も均等に同一文化を摂取できる土壌が整っている。現代では文化の中身だけでなく、「どれだけ多くの趣味を持っているか」が卓越化の根拠になっているというわけである。そう考えれば確かに、文化的オムニボアは現在の状況を説明するのに有効な概念である。

 

 と、こんな具合にとりあえずのまとめを行ったが、まだまだブルデュー理論は理解できていない部分も多々ある(例えば、「相同性」の話とか。どの場においても支配ー被支配の原理は変わらないとはどういうことか、ハビトゥスは場を移動しても置き換え可能なのか?)。ここを足がかりに分からないところを埋めていければいいかなと思う。

【香港現地レポート】「2000000+1」ーー「逃亡犯条例」改正反対デモとそれぞれの「香港」

 最近、香港に関するニュースを見ない日はない。言うまでもなく、香港政府が改正を急ぐ「逃亡犯条例」をめぐって、連日香港市民の抗議デモが多発しているからだ。
 すでに、日本でも香港のデモを詳細に分析した記事やレポートは数多く提出されている。なので、ここでは「逃亡犯条例」について、またそれが問題化した経緯については省略させていただく。それらの詳細を知りたい方は、ライターのふるまいよしこ氏の以下の二つの記事を読んでいただきたい。香港に根ざした目線で書かれていて非常に分かりやすい。
blogos.com


gendai.ismedia.jp

 
 ほかにも、やや視点は異なるが、同じくライターの清義明氏の記事も今回のデモの一側面を知る上では役立つだろう。

hbol.jp

 

 6月9日の103万人デモ、そして6月16日の200万人デモが「平和的」であったか「暴力的」であったかを判断できるほど私は現地に精通しているわけではない。だが、実感として現実はその両方であったのではないだろうかと考える。一方で、あくまでも警察に手を出さなかったデモ隊もいれば、他方で手に持っていた傘などで無抵抗の警察を殴打する市民もいた。現在、市民は香港政府による両日のデモの「暴動」「暴徒」認定を訂正し、逮捕された「義士」を解放するように要請しているが、一連の衝突が「暴動」であったかどうかを検証することは今後も難しいのではないかと個人的には考えている。

 以上のように、一連のデモに関するレポートはおおむね出そろったようだ。しかし、デモの様子や雰囲気を知ったからといって、香港の現状を理解することは難しい。現在、香港を知るために最も不足しているのは、香港人が何を思ってデモを起こしたのか、そしてデモの背景にある香港人アイデンティティについての情報である。日本で暮らしていて日本メディアの報道だけを見ていると、そういったリアリティがなかなか伝わってこない。香港人の「生の声」を取り上げた稀有な記事としては、中国関連のルポライター安田峰俊氏のレポートがあるが、こういった記事がデモからしばらく経った今の時期にもっと出てくるべきではないだろうか。私も安田氏にならって6月19日~21日にかけて香港現地に訪れ、そこで見たもの、そして実際に聞いた香港人の「生の声」をここに書き記してみたい。

 

bunshun.jp

bunshun.jp

 

 安田氏の記事を見てみると分かるように、デモに参加した香港人は日本の報道で見られるような「一枚岩」ではない。各々でデモに参加するインセンティブも熱意も違う。今回、実際に香港に足を運んで現地の人に話を聞いてみて、日本人にも香港人の複雑な思いと重層的なアイデンティティを理解してほしい、今回の事件を一過性のものとして終わらせたくない。そんな思いで、いま私は筆を握っている。もちろん、私の聞いた話が香港のすべてではないと思うが、読者が香港を知るための一助になれば最上の喜びである。

 

1.大規模デモ後の香港(6月19~20日

 香港人の「生の声」を見ていく前に、まず私が訪れた6月19日~21日にかけての香港の様子を写真や香港人の友人の話をもとにレポートしていこう。

 この時期には、日本でも大きく報道された6月16日の200万人デモからしばらくたっていたため、街はすでに落ち着きを取り戻していた。いや、落ち着きというより、いつものあのせわしない香港の日常に戻ったと言ったほうが正確だろうか。日本で報道されていたような市民と警察の衝突を予想していた私は、空港から市街地に着いた時やや拍子抜けしてしまったのを覚えている。

 ホテルに荷物を置いた後、香港人の友人Tから連絡があり、先日のデモの現場を案内してもらえることになった。願ってもないことである。私は急いで大規模デモの中心地、アドミラルティ(金鐘)へと向かった。

 後述するが、Tは香港人としての気概を持った熱い性格の持主である。私が話を聞きたいとSNSで連絡すると、Tは最大限のもてなしをしてくれた。歩きながらTが、「香港はもっと国際社会の助けが必要だ。特に日本には期待している」と言っていたのが印象的だった。とにかく香港のことを多く人に知ってもらいたい。そういう思いから、時間を割いて私にデモの様子を教えようと考えたのだろう。

 

 Tはまず私を立法会へと連れて行ってくれた。今回の逃亡犯条例改正反対デモの中心的舞台である。そして、その横にそびえたつのが政府総部である。普段は香港の立法と行政を司るシンボルのような場所だが、いまや香港市民にとっては暴君の根城にしか見えないのだろう。写真の下を見てみると分かるように、ビルの下には抗議の弾幕などが下げられたまま放置されていた。

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後ろに見える黒いビルが立法会。「立」の文字が刻まれている。

 そして、政府総部のすぐ隣には人民解放軍駐香港部隊ビルが建っている。もともとは英国統治時代に駐香港イギリス軍の所有するビルだったが、1997年の香港の中国返還以降は人民解放軍がそのままビルを接収した。Tによると、普段は人民解放軍が外を出歩くことはなく市民と交流することはないようだが、ビルの威圧感と「有事の際にはいつでも出てこられる」という恐怖感だけでも市民を畏怖させるには十分だろう。

 次にTは人民解放軍ビルの下が見える位置に私を連れて行ってくれた。ここは6月9日のデモの際に、デモ隊が無防備な海外レポーターに傘やゴーグルを渡す場面が撮影された場所らしい。この映像は海外でも広範囲に拡散されたが、Tの口ぶりからしてそれはいかにデモが「平和的」だったか、そしてデモ隊が「理性的」な行動を心がけていたかを示すエビデンスとなっていたようである。

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人民解放軍駐香港部隊ビル

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人民解放軍ビルの下

 

 金鐘駅がある側から政府総部があるほうへ移動する橋の上には、市民らの怒りの声が所狭しと敷き詰められていた。中にはキャリー・ラム行政長官を名指しで罵倒するような張り紙もあり、日本の地下通路などによくある落書きに近いものを感じさせる。

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 橋を下っていくと、階段の壁にはこれまた無数のポストイットサイズの紙が貼りつけられている。そして、階段を降り切った突き当りには花が添えられていた。今回のデモで抗議自殺した男性の追悼場である。後述するように、実際の現場はここではないが、政府に対する抗議も含めてここに追悼場を作ったのだろう。私がここに居合わせた時にも花を手向けたり、ポストイットで新しくメッセージを書いていく人が後を絶えなかった。

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 実際の現場は政府総部の道路向かいの工事中のビルの下である。私が行ったときは多くの人がここで花を手向け、手を合わせていた。追悼の仕方は線香をたく人もいれば、ろうそくを指していく人もいる。Tによると、中国では死者に対して黄色い花を、欧米では白い花をお供えするらしい。ここにはその両方があった。それぞれが自分のスタイルで追悼し、ここを後にしていく。「実に香港らしいだろ?」とTは誇らしそうに言っていた。

 今回のデモではじめて出してしまった死者は、確実に香港市民の怒りを増長してしまった。もちろん、これは政府や警察が手を下したものではない。だが、彼の動機が何であれ、一人の人間の死はシンボリックに人々の感情を逆なでし、動員していくには十分すぎるものだった。この事件を契機に運動はいっそう激化していったように思う。

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 Tは私を案内しながら、何度も香港政府に対する怒りを漏らしていた。日本の報道では、今回の香港のデモの背景に中国政府に対する不信感がある、中国政府が後ろで糸を引いているといった内容がセンセーショナルに流されている。もちろん、それは遠因としては考えられるだろう。だが、私が香港人に聞いた限り、今回のデモを中国政府に結びつけるようなことを言う人はいなかった。彼らはあくまでも「香港政府のやり方」に不信感を抱き、異議を唱えたのである。民主主義と自由が約束されたこの地で、香港政府が民意を無視して審議を勝手に進めていることに対して、そして香港人のための警察が市民に銃を向けたことに対して怒っているのだ、と。

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政府総部前

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「香港」と書かれいるが、左に90度回転すると「加油」(がんばれ)になるアンビグラム

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 Tは去り際に政府総部ビルの屋根を見ながら、こうつぶやいていた。「政府総部の天井は中心に穴が開いている。これは天に向かって扉を開き、神の声を聴くという意味がある。何が神だ。本当に聞かなければならない声は下にあるというのに」。その言葉はデモに参加する全香港市民の声を代弁しているかのようだった。

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政府総部の天井

 

2.警察総部包囲デモ(6月21日)

 「もし今日香港政府が逃亡犯条例の「撤回」を表明しないと、明日早朝からアドミラルティで大規模なデモが行われるみたいだよ」。20日夜、Tは香港人がよく使っているSNSサイトを見ながら私にそう教えてくれた。日本のテレビで見たようなデモが見られるかもしれない。私は次の日、早朝7時にアドミラルティに足を運んだ。

 朝7時のアドミラルティは人もまばらで、本当にここでデモが起こるのかと疑わしくなるくらい平和な日常が流れていた。無理もない。その日は金曜日で、まだ普通の人であれば朝起きて、朝食を取り、スーツに腕を通すような時間帯である。金融系企業が集積するアドミラルティ香港人に限らず、欧米人などのスーツ姿のビジネスマンが忙しそうに歩いていた。

 だが、朝9時ごろになると、徐々に駅前にも人が増え始めた。しかも、その大半が黒いシャツを身に着けている。彼らを一目見てデモ参加者であると判断がついた。今回の一連のデモでは、参加者はみな黒シャツを着ていくようにと呼びかけ合っているからだ。これは「ブラック・ブロック」と呼ばれる、主に欧米での暴力的な無政府主義運動団体の抗議手法を真似したものである。最近ではフランスの黄色いベスト(ジレ・ジョーヌ)運動などでもこのような過激なアナーキストが局地的に暴動を起こしたというニュースがあった。だが香港の場合、それは「暴力」の表明として身に着けているというよりも、「反政府」(=アナーキスト)の象徴として身に着けていると解釈した方がいいだろう。老若男女それぞれが自分のタンスの中にあった黒い服を引っ張り出して着てきたという雰囲気だった。

 11時ごろに政府総部前に行くと、すでに多くの黒シャツの集団が座り込んでいた。この日はカラッと乾いた快晴だった。デモ参加者は日陰を探したり、傘をさしたりして焼け付くような太陽の日差しを避けていた。そうこうしていると、徐々にメディア関係者も集まってきた。香港のメディアだけでなく、欧米のメディアも数多くいる。おそらく日本のメディアも中にはいただろう。学生たちに今回のデモに集まった理由などを聞いて回っていた。

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政府総部下。大きな踊り場があってそこにデモ隊が集合している。

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 デモ参加者が集まり始めたころ、何やら学生団体が人ごみをかき分けて演説をし始めた。2014年の雨傘運動の際にも、このような学生団体が率先してデモ隊を先導していったとされる。雨傘運動と比較して、今回のデモ(特に200万人デモ)は明確なリーダーを欠いたスタンドアーロン的な運動だと言われるが、実際にはこのような団体が指揮を取っている側面はあるのだろう。実際、6月9日のデモなどをよびかけたのは「民間人権陣線」という民主派市民団体であったという。ただ、雨傘運動の際にも、そして日本のかつての安保闘争の際にもそうであったが、懸念すべきは明確なリーダーが出始めてしまうとそれに賛同する者、反対する者の間で内ゲバが起きてしまうことである。香港全人口の3割近くの動員という前代未聞のデモが成功したのはある意味で明確なリーダーがおらず、それぞれの市民が主体的に運動に参加したからであった。そのよい流れを壊さないようにいかに舵を取っていくのかは抗議団体にとっても最大の課題だろう。

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 正午12時を回ったころ、政府総部前の道路が何やら騒がしいことに気づき、すぐにそっちに移動してみる。すると橋の上から、これまで歩道を歩いていたデモ隊が徐々に道路のほうへと侵食し始めているのが見えた。道路には走行中の車両が列を作っている。しかし、デモ隊は気にせず車の前に立ちふさがり、ほかのデモ参加者たちにも道路に出るように両手を上に広げて誘導している。そして、堰を切ったように市民は歩道から出ていき、瞬く間に道路をオキュパイしてしまった。

 当初、車やバスなどはデモ隊によって立ち往生させられていたが、浸食してきたデモ隊は徐々に自発的に車に道を開けていくようになった。16日に見られた、デモ隊が救急車に道を開くのと似た光景である。モーゼの十戒のように人が横にはけて、車がスーっと通っていく。中には、デモ隊を応援してか、クラクションをリズミカルに鳴らしながら通っていく車もあった。反対に、デモ隊はそういった車を拍手をしながら送り出していった。

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中には自発的に交通整理を始めるデモ参加者もいた

 

 アドミラルティをオキュパイしたデモ隊は堂々と道路を行進して、香港警察署前まで移動していった。警察署の裏口に立ち止まったデモ隊は一斉に抗議の声を上げ始めた。先日のデモにおける警察の暴力行為に対する謝罪の要求や、逮捕されたデモ参加者の釈放を求める掛け声が警察署前に響く。裏口の門の前には立ち往生してしまった警察車両があった。中には5~6名の警官が座っている。彼らに対して市民が罵倒を浴びせていたが、車内の警官は顔色一つ変えない。前回のデモ以来、警察から何か手を出すことは上から固く禁じられているのだろう。あくまでも冷静な表情を貫いていた。そして、門前に市民は手際よくバリケードを張っていく。門の後ろでは警官が棒立ちでその様子を見つめている。この温度差はどこか滑稽ですらある。

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警察車両の下にはコーンなどが入れこまれ、通過できないようにしてある。

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遠くを見つめる警官

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警察署前には手際よくバリケードが張られていく

 デモ隊はさらに警察署の正面玄関へと回り込む。そこにはすでに多くの抗議者が集まっており、拡声器で声を上げていた。中心には二日前に釈放された雨傘運動のリーダーであり、香港デモシストの党員であるジョシュア・ウォンの姿もある。さすがにデモの戦い方を分かっているのか、彼の威勢のよいアジテーションとともに市民の熱気はまた一段と上がる。メディア関係者も、いい瞬間をカメラに収めようと彼の周りに群がる。メディア露出が多い彼はメディアが喜びそうな言葉を選択するのが非常にうまい。自らシャッターチャンスを演出するために、言葉と言葉の中間に「間」を作り、後ろのカメラにも写るように周囲をぐるりと見渡す。ジョシュアのアジテーションに呼応するように、みるみるうちに警察署前にはデモ隊が集まっていった。

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ジョシュア・ウォン

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雨傘のもう一人のリーダー、アグネス・チョウ

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警察署前に先日の警察の「暴力行為」の証拠をペタペタと張り出す学生たち

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警察署前のデモ参加者

 ここで私のフライトの時間が迫ってきたため、一時戦線から離脱してアドミラルティに戻った。すでにそこには車の姿はなく、学生たちが座りこんで歓談をしていた。まるで高校の昼休みのような雰囲気である。ふと上を見上げると、橋の上には今回のデモ隊の要求が掲げられている。①逃亡犯条例改正の全面撤回、②逮捕者の釈放、③6月12日デモの「暴動」認定の撤回、④警察による暴力行使の検証。ネット上では、ここにさらに⑤キャリー・ラム行政長官の即時辞任、を加えた五つの要求が出回っている。しかし、この日、結局香港政府は逃亡犯条例改正の「撤回」を明言することはなかった。SNS上では、今後も香港市民による戦いは続くという声が拡散されていた。

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占拠した道路上で歓談中の風景

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アドミラルティ付近の橋に架けられた弾幕。デモ隊の四つの要求が掲げられている。

 

3.香港人アイデンティティ

 ここまで、大規模デモ後の香港と6月21日のデモの様子を観察してきた。最後に、私がこの滞在期間の前後に話を伺った香港人の声を届けたい。私が今回のインタビューで伺ったのは、主に①今回の条例改正に対してどう思うか、そして②香港に対して帰属感を持つかどうか、の二点である。そして、これらの「生の声」をもとに、条例改正に反対する層とそうでない層の違いや、複雑な香港人アイデンティティの諸相を解明していきたい。

 三名のインフォーマントの簡単なプロフィールは以下の通りである。

  • Mさん(26)。修士課程から来日し、現在は日本の大学院で博士2年生の香港人。日本の滞在期間はすでに3年半ほど。香港生まれ、香港育ち。来日するまでは大陸人と接触する機会は少なかった。現在は留学生寮で大陸人と交流する機会が多い。
  • Aさん(22)。香港の大学に在学中の香港人。香港生まれ、香港育ち。現在、IT技術や翻訳について勉強している。今は技能を身に着けて、ゆくゆくはオーストラリアなどで仕事をしたいという。大陸人と接触する機会は非常に少ない。
  • Tさん(22)。香港の大学に在学中の香港人。香港生まれ、香港育ち。すでに香港の会社に内定が決まっている。大学では哲学を専攻。前二者と比べると、香港人としてのプライドが非常に高い。大陸人と接触する機会は非常に少ない。

 

①逃亡犯条例について

 まずは今回の逃亡犯条例について伺った。Mは今回の逃亡犯条例改正には「反対」であるという。なぜかと問うと、「十分な審議の時間を確保していなかったからだ」と答えた。逆に十分な審議が尽くされ民意がOKなら条例改正には賛成であるという。Mが反対する理由は条例改正の内容というよりも、行政の手続き上の正義が尽くされていないことに対してであった。また、香港政府は「そもそも犯人を捕まえるためにこの条例改正に踏み切った」とか、香港警察に対しても「警察は早めにデモを鎮静化させるために催涙弾やゴム弾を使ったのでは」と、いくらか同情的な反応を示していたのも印象的である。

 Aは今回の逃亡犯条例改正には「反対」を表明している。だが、Mとは違ってそれは手続き上の問題というよりも、そもそも内容に不満があるからだ。2015年、香港にある洞羅湾書店の従業員が突如中国当局に拘束されるという事件が起きた。Aはこの事件を引き合いに出して、「中国と香港では法律や法治の考え方が異なる。今回の条例改正が通れば、香港の出版の自由が脅かされ、自分も書店員と同じ運命をたどるのではないかという不安がある」と語った。Aは9日のデモに参加している。そして、香港警察の「暴力行為」を強く糾弾していた。Aいわく、「警察内部のリーダーは暴力を正当化している。9日の暴力行為に関してはしっかりとエビデンスがある」。

 最後にTである。Tは16日の200万人デモにも駆けつけ、前述したようにその際のデモの様子を詳細に説明してくれるほどなので、当然条例改正には「反対」である。また、私が質問せずとも、自分から今回の条例改正の問題点などをいくつも指摘してくれた。その内容はおおむねこれまでメディアなどで指摘されていることなのでここでは省略する(法治や自由の侵害、審議時間の短さなど)。条例改正の内容もさることながら、その口ぶりからキャリー・ラムに限らず行政府全体に対する不信感が見て取れる。エスタブリッシュメントへの不信感とでもいえるだろうか。前二者と比べても、断固として今回の条例改正を阻止するという意気込みが見える。

 三者を比べて指摘できるのは、まず第一にMとA・Tの温度の差である。明らかに条例改正に対して反対を表明しているAとTに対して、Mは手続き上の正義が確保されればいいんではないかと語った。この差が何に起因するのかを特定するのは簡単ではないが、一つは実際に香港現地にいるかどうかが関わっているのではないかと考えられる。香港のメディアやSNSで現地の様子をリアルタイムで受信している人のほうがデモ参加者に共鳴する確率は高い。また、まわりに自分と共感する意見を持っている人がいるかどうかで共鳴の度合いも変わるであろう。Mは今回のデモの様子をテレビで見て、それをルームメイトの大陸出身の人に見せたところ、一言「頑張って」と言われたらしい。そのような環境が、ほかの二者と比べてMをしてデモに参画するインセンティブに失わせたのかもしれない。

 だが、この仮説には無理がありそうだ。なぜなら、報道でも出ていたように、在日香港人の中にも今回のデモを受けて日本で声を上げた人が何人もいたからだ。そういう意味では、「香港現地にいない」という条件だけではMとA・Tの温度差の違いを説明できない。そこで二つ目に考えられる要因は「大陸人との接触頻度」である。つまり、大陸人との接触頻度が多い人ほど、おおっぴろげて条例改正に反対を表明できないのではないかという仮説である。三者を比べると、ほとんど香港から出たことがないAとTと比較してMは最も大陸人との接触が多い。また、日本で起こった抗議運動は香港人コミュニティが中心となっている。つまり、Mと比べて抗議団体は大陸人と接触する頻度よりも香港人接触する頻度のほうが相対的に多いと考えられる。

 これらは仮説に留まり、実際に実証するにはもっと多くのサンプルを各層に分けて統計調査が必要だろう。だが、新たな変数として注目に値するのではないだろうか。

 

香港人アイデンティティについて

 次に、香港人アイデンティティについてである。香港大学が行っている調査では、香港市民の中で自らを「香港人」とアイデンティファイする割合は40%、「中国の香港人」とアイデンティファイする割合は26.3%ほどである(2018年)。両者を合わせた割合は近年上昇傾向にあり、「中国人」と答える割合(15.1%)と「香港の中国人」と答える割合(16.9%)と比較すると香港人アイデンティティを持つ人の割合は増加傾向にあることが分かる。ちなみに、18~29歳の若者に照準を絞れば、「香港人」と答える人の割合はすでに約60%に達している。これから見ていくのは、この世代の人々の意見である。

 まず、率直に「あなたは自分のことを何人だと思いますか」という質問をぶつけてみた。Mは「○○人」という明言は避け、ただ「香港に対する帰属感は強いほうだ」とだけ返した。「では、香港に帰属があると思う理由は何ですか」と続けたところ、返ってきた答えは「団結力」であった。つまり、香港には自分の意見を出すことができる自由があり、デモの様子からも分かるようにみなが平和的・理性的にチームワークを発揮しているところに自分が香港に帰属感を持つ所以があるというのだ。その際、Mが引き合いに出していたのは、SNSなどで上げられていた救急車にデモ隊が道を開ける映像である。これこそがデモが平和的である証拠であり、香港人が団結力を持っている証拠だというわけである。

 続けてMに、「香港人であるために必要だと思うことは何ですか」と問うてみた。すると、Mは「公民意識」と「文明意識」であると即答した。Mの口ぶりからして、そして後述するAとTのインタビューでも見るように、これこそがおそらく香港人が考える香港の最大の強みだろう。Mは、香港は「開放的」で「フレキシブル」「環境に適用する能力が高い」と強調した。そして、香港にプライドを持つ理由として①フレキシブルであること、②公民意識が高いことを挙げていた。

 Aにも同様の質問をぶつけてみた。「あなたは自分を何人だと思いますか」という質問に対して、Aはしばし沈黙した後、「難しい質問だね」といって考え込み、そしてこう述べた。「そもそも「中国人」か「香港人」かという二者択一が不公平だ。日本にも北海道や沖縄があるだろう?中国大陸にも北から南、西にはチベットウイグルもあるじゃないか」。そして、Aは「中国人」という大きな区分の中に「香港人」がある感じだと語った。つづけて「香港人」と答える人は香港のどこにアイデンティティの拠り所を求めているのだろうかと私が問うたところ、「香港の生活スタイルや文化ではないか」と答えてくれた。例えばどんな文化なのかと聞くと、「香港は商業に特化している。インターネットも発達していて外国のサイトもたくさん見られる」と語った。その口ぶりから察するに、その言葉は「香港以外の中国大陸ではそれらを見ることができない」ということを言外に示していた。

 また、「香港にプライドを持ちますか」という質問に対してAは「はい」と即答した。そして以下のように続けた。「香港は日本や中国のように長い歴史があるわけではなく、100年やそこらの歴史しかない。だが、だからこそ色々な海外の移民や文化を取り入れることで変化してきた。そこに誇りを感じる。例えば、香港料理は広東料理などを取り入れながら独自の食文化として発展した」。このような回答は前述のMとも共通する。

 Tは前二者と比べて、何のためらいもなく自らのことを「香港人」であると答えた。そして、大陸人のことが「あまり好きではない」と明言した。香港人としての意識の強さはどこに起因するのか聞いたところ、「香港での生活が長く、emotionが完全に香港にある」とか「文化や経済システムが香港と大陸では全く違うから香港に愛着を持っている」といった回答を得た。前二者と同様に、香港のどこに誇りを感じるのかという質問をぶつけたところ、「いろいろなバックグラウンドを持つ人がいるところ」と答えた。これは前二者とも重なる回答であった。

 また、Tは中国の文化が香港に入ってくることに対して非常に強い危機感を抱いていた。例えば、香港が中国に返還されて以降に生まれ育った世代はすでに大陸のテレビ番組やSNStiktokとか)を何の疑いもなく享受している。さらに、最近では香港の中高生の歴史教科書も大陸の内容が多くを占めるようになってきた。例えば、もともと英国統治にあった香港は大陸とは別の経路で経済発展を遂げたが、最近では1980年以降の大陸の「改革開放」の歴史と絡めて香港の経済発展を記述する内容になっているという。 Tはこういった傾向に警鐘を鳴らし、子供たちの”clitical thinking”がなくなってしまうのではないかと不満を述べていた。

 

 M、A、Tはそれぞれ年齢は近いが、それぞれ違う考え方を持つ香港人だった。いい具合に香港人の若者をランダムにサンプリングすることができたのではないだろうか。

 さて、以上の結果から何が分かるだろうか。まず最初に指摘しておくべきは、香港人アイデンティティの度合いの違いである。三者の回答をもとに香港人アイデンティティの度合いが強い方から並べると、T→A→Mであった。そもそもアイデンティティの度合いをどうやって測るのかという手痛い批判が来そうだが、ここでは三者の回答から私が主観的に判断した。この違いは何に起因するのだろうか。一つ考えられるのは「香港に在住しているか否か」である。Mは前述したように、来日してからすでに三年半がたっているが、AとTは香港から長期間出たことはない。それが帰属感の度合いに影響した可能性は考えられる。

 二つ目に考えられるのは「将来的に香港で暮らす予定があるか否か」である。Tはすでに日本に留学しており、卒業すれば香港に戻るのかという質問に対して「分からない」と答えた。また、Aは現在大学でIT関連の勉強をしており、ゆくゆくはオーストラリアなどの欧米圏で仕事をしたいと述べていた。彼らは話をしていて、香港の未来に対して非常に悲観的な見方をしていたのが印象的だった。Aは香港の若者たちが大陸の文化を無批判に受け入れるようになっていることを指摘して、「私は完全な中国人ではないが」彼らはどんどん香港人アイデンティティが薄れていくのではないかと危惧していた。さらに、最近、大陸の富裕層が香港の不動産を投機目的で買い占め、香港人が住む家がなくなりつつある。Aいわく、「香港の人たちは歩いていて顔が険しい。あまり未来に希望が持てない」。香港に対して悲観的な見方を持つ若者は香港への愛着が相対的に低いのではないだろうか。

 余談だが、このような移動可能性(自由に移動できるか否か)がアイデンティティに強く影響を与えるというのは香港に限らず、最近とみに語られることである。例えば、イギリスのジャーナリスト、David GoodhartはBrexitを受けて著書“The Road to Somewhere”の中で、イギリス国民は「どこにでも行ける人々」(Anywheres)と「どこにも行けない人々」(Somewheres)に二極化していると説いた。前者は比較的高学歴で、移動の自由があり、開放的な価値観を持っている。例としては、グローバル企業のビジネスマンなどが当てはまるだろう。一方、後者は教育水準が比較的低く、集団や家族のアタッチメントが強く、安定を求める。Brexitの場合、これはブルーカラーの白人労働者などが当てはまった。グローバル化が進む昨今、新たな住民の対抗軸として「移動の自由」が人々のアイデンティティ形成に影響を与えていくというのは頷ける説明である。

 香港人の海外一般を含めた移動の頻度と香港人アイデンティティの関係を示す統計は見つからなかったが、一つ参考になりそうな調査結果を見つけた。台湾の社会学者、林宗弘が行った台湾と香港の比較統計調査によると、大陸との往来頻度が高いほど自らを「香港人」であると認識する人が少なくなる傾向があるという(林宗弘、2016、「革命前夕ーー台湾與香港民眾對中國效應與政府評價的比較」)。これは大陸と香港との移動頻度が香港人アイデンティティに影響を与えている証拠となるデータである。また、往来頻度は社会階級とも連動している。大陸との往来が多い方から順に、①資本家あるいは雇用主、②新中産階級、③非技術工、④自営業者となっている。大陸に工場や事業を展開する資本家や雇用主、そして旅行などの余暇に時間やお金を割くことができる新中産階級が往来の頻度が高いことは納得の結果である。

 MやAは上述したように、将来的に香港を出ることを視野に入れて勉学に励んでいる。しかし、Tは現段階で香港を出る見通しはない。三者の収入や学歴などを明確に聞くことはできなかったが、ここから仮説的に「移動の頻度が高い人ほど(あるいは将来的な移動の見通しがある人ほど)、香港人アイデンティティが低くなる」という命題を引き出すことができるのではないだろうか。

 次にインタビューを通して分かったことは、香港人アイデンティティが「シビックナショナリズム」に強く規定されていることである。ナショナリズム研究でよく引き合いに出される比較軸として、「エスニック・ナショナリズム」と「シビックナショナリズム」がある。前者は民族の血統などを重んじるナショナリズムであり、後者は血統などの先天的な要素よりも「市民としての権利や義務」などをもとに「国民」を同定するナショナリズムである。よく比較されるのはドイツとフランスである。ドイツは国籍においても「血統主義」を採用しておりエスニック・ナショナリズムの典型であるとされる。一方、フランスは「出生地主義」を採用しており、フランスの理念「自由」「平等」「友愛」の厳守を誓えば、移民にも「国民」としての門戸を開くシビックナショナリズムであるとされる。

 香港はこの整理に従えば、完全にフランス型のシビックナショナリズムに区分される。もちろん、香港の中にもシビックナショナリズムだけでなく香港人の民族性を喧伝する政党はあるが、それは少数派に過ぎない。インタビュー中にも、「香港人であるために必要なもの」や「香港のどこにプライドを感じるか」という質問に対して、三者とも「公民意識」や「様々なバックグラウンドを持っていること」、「開放的、フレキシブル」であることを挙げていた。これはそもそも英国の植民地統治から出発し、戦後は多くの政治難民の受け入れ場所として発展してきた香港の歴史を考えれば、まあ当然の結果である。

 問題はこのような香港の価値観が大陸の価値観と相いれないことである。大陸の中国政府が掲げるのは「中華民族の偉大なる復興」である。「中華民族」とは炎帝黄帝の子孫である漢民族のことを指し、この思想はいわば日本でも流布している「単一民族神話」に近い。いうなれば非常にエスニック・ナショナリズム的な考え方である(中国は国籍においても血統主義を採用している)。もちろん、中国には漢族だけでなく55の少数民族がおり、彼らも「中華民族」に含むとしているが、実質的には全人口の90%を占める漢民族のための国家である。そして、香港にいる華僑の多くは、戦争や文革天安門事件などの際に大陸から香港に移り住んだ政治難民である。中国政府からすれば、彼らは血統としては「中華民族」であり、中国国民の一部である。だが、シビックナショナリズムを信奉する香港人は、そのような中国政府のエスニック・ナショナリズムと真っ向から対立するだろう。逃亡犯条例に関する報道で、香港人が中国大陸の政治制度や法制度に対して不満を抱いているという指摘があったが、両地域のナショナリズムの違いにも着目する必要があるだろう。

 

4.おわりに

 ここまで私が見てきた香港の様子とインタビューを通して見えてきた香港人アイデンティティの諸相を論じてきた。話を聞くたびに香港人アイデンティティは複雑で奥が深い。民族的なアイデンティティにあまり悩まされることのない日本人も香港人から学ぶべき部分は多いはずだ。

 200万人デモを最高潮に日本のメディアでは香港の報道が下火になってきた。帰国後、「最近日本ではあまり香港が報道されなくなっているよ」とSNSで香港の友人に連絡してみた。すると、「G20に向けて香港では準備が始まった。何が起こるか注目しててよ」という返事が返ってきた。彼らはまだまだ戦うつもりだ。そのエネルギーにはいつも驚かされる。そして、私ももう部外者ではない。これからも遠い日本から、彼らの頑張りを目に焼き付けていきたい。

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いま、香港で何が起こっているのか

 「なに?アグネス・チャンが来てるの?」

 6月12日、明治大学リバティタワーの一階教室の前を通る学生たちは、そう口にしながら野次馬の中に加わっていた。教室の前には、報道機関も含めて通常の授業ではありえない数の人だかりができていたからである。もちろん、アグネス・チャンがわざわざ明治大学に講演に来るはずもない。来ていたのは、2014年に起こった香港「雨傘運動」でリーダーとしてデモ隊を先導したアグネス・チョウ(周庭)さんである。

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明治大学法学部「中国法特別講義」

 「アグネス・チャン」と「アグネス・チョウ」の区別もつかないような日本で彼女がなぜこれほどの注目を集めたのかというと、ちょうど講演が行われたその日に、香港で拘束された容疑者を中国本土に引き渡せるようにする「逃亡犯条例」改正をめぐる大規模なデモが発生していたからである(今回の講演自体はデモ発生のもっと前からセッティングされたものなので、これほど脚光を浴びるのは完全に偶然)。いま、香港で何が起こっているのか。それを講演の内容も踏まえて整理してみたい(講演の簡単な概要については、「香港が想像できない場所になる」 “民主の女神“が訴えた、逃亡犯条例の危険性 | ハフポスト)。

 

 まず、話題になっている「逃亡犯条例」について簡単に説明したい。逃亡犯条例とは、香港以外の国と地域で犯罪にかかわった容疑者を当該国・地域の要請にしたがって引き渡せるように定めた条例である。これは今回の騒動以前からすでに制定されており、香港は現在米国や韓国など20か国と協定を結んでいるが、台湾やマカオとは結んでいない。今回の条例改正の趣旨は、中国も容疑者引き渡しの対象に含めるようにするという内容であった。今回の条例改正の議論が浮上した発端は、台湾で殺人を起こした男性が香港に逃亡した事件である。香港政府は香港が「法律の抜け穴になっている」と主張し、今回の条例改正を提起した。

 

 では、改正反対派はこれに対して何を訴え、そしてその訴えの背景には何があるのだろうか。まず第一に、香港研究で知られる倉田徹立教大教授が言うように、今回のデモの「根底には中国の司法制度への不信感がある」(香港デモ、対立激化も 司法の独立「中国化」で危うく (写真=共同) :日本経済新聞)。かねてより、中国国内では人権派団体などが、民主的な手続きを介さずに拘束され、不自然な死を遂げるといった事件が相次いでいる。これらは本土内では報道されず、もっぱら香港メディアが中心になって報道してきた。また、2015年には香港の銅鑼湾書店の関係者が中国当局に拘束される事件が起き、国内外で話題になった(香港銅鑼湾書店「失踪事件」の暗澹:日経ビジネス電子版)。こういった記事や事件を習慣的に眺めている香港人は、今回の条例改正によって中国政府の恣意的な要請で香港住民が何らかの犯罪容疑を着せられ、本土へと送られてしまうのではないかと懸念しているのである。

 しかも、これは香港人の活動家に限った話ではない。当局が「犯罪の疑いがある」とする人物であれば、中国共産党に批判的な民主派だけでなく、中国事業でトラブルを抱えた経済人や香港在住の外国人、たまたま香港に来た旅行者でも拘束される可能性がある。今回の反対デモが2014年の「雨傘運動」を越える103万人(主催者発表)という異例の数に達したのもそれらの要因が絡んでいる。雨傘運動が「自由と民主」といったスローガンで始まり、ある種ふわっとしたイシューで発生したのに対し、今回のデモは「反送中」(逃亡犯条例反対)という簡潔なワンイシューに終始している。だからこそ、多くの社会層を取り込み、ここまで大規模なデモへと発展したのだろう。

 ちなみに、アグネス・チョウさんは講演で、雨傘や反愛国教育デモと今回のデモの異なるポイントは、明確なリーダーが存在したそれらの運動に対して、今回はそれが不在である点にあると指摘していた。カリスマ的リーダーの存在はデモを組織化することを可能にするが、逆にそのカリスマ性や人格に異議を唱える層を排除することにもつながる。一方で、今回のような非組織的なデモは多くの層を取り込めるが、秩序だった行動を欠き、カオスを生み出してしまいかねない。壇上でチョウさんは「今すぐにでも香港に帰りたい」と漏らしていたが、それはSNS上に上げられるデモ隊と香港警察の衝突の映像が非組織的なデモのデメリットを体現していたからだろう。

 そして、この「本土の司法制度に対する不信感」は非常に難しい問題である。なぜなら、本土と香港では「法治」という言葉の含意がそもそも異なるからである。中華人民共和国建国以前から「法治」という言葉を使い異民族を統治してきた大陸と、英国統治を経て自由な経済発展を許された香港では、「法で治める」(何を、どうやって)ということのそもそもの意味が違うのは仕方のないことだ。私は中国法の専門家ではないので、この「法に対する不信感」の根底には「法治」概念の相違があるのではないかと言うにとどめておこう。

 反対派が声を上げた第二の要因は、香港政府への不信感である。1997年に香港が中国に返還されて以来、香港の立法会(日本でいう国会)の議員は徐々に親中国派が多数を占めるようになってきている。香港の立法会選挙は特殊な様式を採用しており、有権者の住所地によって選挙区が設定される「普通選挙」と、有権者の職業によって選挙枠が割り振られる「職能別選挙」を併合している(倉田 2009: 59-63)。従来、普通選挙では民主派が多くを占め、職能別選挙で親中国派が送り込まれるような構図となっていたが(倉田 2009: 63)、最近では民主派議員が議員資格をはく奪されるなど強固な締め出し策が取られ始めていた(香港「民主化」曲がり角 立法会補選、民主派が苦戦 若者が離反 :日本経済新聞)。これらを受けて、民主派に共感を抱く香港市民は「香港政府がもはや香港を代表していない」と危機感を抱くようになっていた。

 2017年7月に初の女性行政長官に就任した林鄭月娥は、当初親中国派の支持を固めて支持を広げたが、今では支持率43.3%と就任以来過去最低をマークしている。

www.hkupop.hku.hk

 今回の事件を受けて、林鄭月娥は香港政府HPにてすぐにビデオ声明を出したが(http://video.news.gov.hk/hls/chi/2019/06/20190612/20190612_205047_758/videos/20190612213512572.mp4)、それを見る限り彼女はデモを「暴動」と呼んでおり、妥協の姿勢を示していない。さらなる香港市民からの反発が予想される。

 そして第二の要因と関連するが、改正派が声を上げた第三の要因は「香港人アイデンティティ」の定着である。香港大学の調査によると、香港市民の中で自らを「香港人」とアイデンティファイする人の比率は2018年時点で40%ほどである。これを「多い」と見るのか「少ない」と見るのかで意見は分かれるだろうが、ちなみに18~29歳の若者に照準を絞ればすでに約60%に達している。雨傘運動の時には「香港人アイデンティティの勃興か」と叫ばれたが、ここ5~6年で状況はがらりと変わり、(特に世代別にみると)アイデンティティの定着段階に移行したといえるのかもしれない。
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 昨日の講演でも、チョウさんは香港への愛着をたびたび漏らしていた。いわく、日本のメディアからは日本のアニメを見て独学で日本語をマスターしたことから「日本マニア」と称されるが、本当に好きな場所は香港である、と。そして、今まで大陸の人権派などの政治難民を受け入れてきたリベラルな香港が、今度は政治難民をつくる場所になてしまうことに強い危機感を抱いていると述べていた。「私たちの大好きな香港」。こういったアイデンティティ愛国心)は若者に突出して強いように思われる。

 だがもちろん、自らを「香港人」とアイデンティファイするからといって、香港市民が一枚岩になったと判断するのは誤りである。そう答えた人の中には「香港人」を構成する要素として「香港文化」を挙げる人もいれば「法制度」を挙げる人もいる。香港の未来に関して、「独立」を選択する人もいれば「現状維持」(つまり「一国二制度」の維持orバージョンアップ)を選択する人もいる。ナショナリズムというのは複雑な意見の総体であることを忘れてはならない。

 

 前置きが長くなった。講演の話に戻ろう。

 以上のような想定されうる理由から、今回の逃亡犯条例改正反対デモが発生したわけだが、私の印象ではアグネス・チョウさんは正直今回のデモに関してまだあまり情報を掴んでおらず困惑している様子だった。ただ、やはりクレバーだなと思うのは、偶然スケジュールに入った来日を、彼女は日本のメディアに香港の現状を伝えるという形で活用していた点である。講演の中でも「日本のメディアも香港の現状を伝えてほしい。日本政府も欧米政府と一緒に香港・中国政府に声明を出してほしい」と再三訴えていた。「本当は香港に帰りたかったけど、重要な任務があるから」と告げる彼女に私も含めて日本人の聴衆はおおむね同情的・好意的な反応を示していた(来場者の中には講演後に涙ぐむ者もいた)。日本のマスコミ関係者の中から「日本の方々に何か望むことはありませんか」とストレートな質問も飛び出ていた。

 講演を聞いていて興味深かった点が二つある。まず一つ目は、逃亡犯条例は香港と大陸本土だけに完結しない、中国と周辺地域に関わる問題であると分かったことである。10分ほどの質疑応答の中で、大陸人と思しき学生からけっこうきわどい質問が出た。その学生は「日本語ができない」と言って普通話で話し始めたため、質問の内容を完全に把握することはできなかったが(その時ほど自分の中国語力の低さを悔いたことはない)、大雑把に述べると「そもそも今回の条例改正は台湾人が香港に逃げ込んだ事件を受けてのもので、法律的には妥当なものなのではないか」というものである。その学生はもう一つ質問をしたが、それは聞き取ることができなかった。だが、質問の最中に会場にいた香港人と思しき学生から怒号が上がったので、おそらくかなり際どい質問をしたのだろう。その時、会場は少し緊迫した雰囲気になった。

 これに対してチョウさんは以下のように答えていた。立法会の民主派議員は逃亡犯条例改正以外の措置で台湾での事件を解決する方法を提案していた。逃亡犯条例を改正せずとも、台湾と香港との条約によって容疑者の身元引き渡しを可能にする方法もあると判断したからである。だが、香港政府は十分な審議の時間を設けることなくこれを却下した。したがって、逃亡犯条例改正はあまりにも拙速であるというわけである。

 だが、ここには非常に難しい問題が存在する。というのも、民主派議員が提案するように、香港と台湾の個別条約によって確かに容疑者の引き渡しは可能になるが、そもそも台湾を代表する政府はどこなのかという問題があるからだ。中国と台湾は「一つの中国」原則を維持しているため、香港政府は北京の中央政府を無視しての台湾政府と条約締結という外交手段を取ることができない。つまり、今回の条例改正は中国を中心として周辺関係地域が連なる「中華システム」の穴をついて発生する犯罪をいかにして防ぐのか、そもそもその中華システムを構成する各種制度の盲点とは何なのかというもう一つメタレベルの問題が関わっているのである。日本の報道を見てみると、今回の一件は単純に「中国化に反対するデモ」という紋切り型の語られ方しかしていないが、それだけには回収できない論点が多く含まれている気がする。メタレベルで考えるならば、香港のケースから台湾のケースを考えることだって可能だ。

 第二に、日本人学生から「チョウさんの求める民主主義とは何ですか」という質問が飛び出したことである。それに対するチョウさんの回答は中々興味深かった。いわく、一つは民主的な普通選挙の実施である。普通選挙自体は行われているが、最近では就任宣誓の場で民主派議員が民主化への決意を付け加えたため議員資格をはく奪するような措置も取られている(香港の高等法院、民主派議員4人の資格剥奪を決定 :日本経済新聞)。こういった不当な処遇を改善するのが、まずは彼女が考える民主の一つである。

 だが、民主はそれだけに止まらない。政治の場だけでなく、生活面においても民主化することが重要である彼女は述べる。どこに住むのか、どんなものを食べるのか、生活のあらゆる事柄を自分で決定することこそが民主主義である。おそらく彼女はそういう趣旨のことを言いたかったのだろう。彼女がたびたび口にするのが「民主自決」という言葉である。中国と英国が結んだ「一国二制度」の期限は2047年である。その期限まで「高度な自治」が約束されたはずの香港で、市民を無視して頭越しに全ての制度が決まっていく事態に彼女らは危機感を抱いているのである。香港人の未来は香港人で決める」。個々の思想的スタンスは違えど、そのスローガンに共鳴してアクションを起こしたのがあの道路を埋め尽くす100万人の人々だったのだろう。

 

 

中国返還後の香港 -「小さな冷戦」と一国二制度の展開-

中国返還後の香港 -「小さな冷戦」と一国二制度の展開-

 

 

遅塚忠躬『史学概論』

 脱線して歴史学のお勉強。読み進めたところまでをまとめたい。

史学概論

史学概論

 

  

 第1章は「歴史学の目的」と題されている。歴史学に限らず、何らかの学問を学ぶときは必ず「それは何のために学ぶのですか」「それは何の役に立つのですか」という問いを突き付けられる。それは大学の研究費が切り詰められている現代においては火急の問題ではあるが、まあそれはさておき。

 歴史学がこの問いを突き付けられるときによくある回答が、「よりよく生きるため」だとか「人間の自己認識」(human self-knowledge)などである。後者は歴史学者コリングウッドの言葉だが、彼によると「人間が自己の何たるかを知るためには、人間がこれまで何を行ってきたのかを知ることが必要であ」るため、そこにこそ歴史学の「価値」があるというわけである(p.28)。

 ほかにも様々な回答が考えられうるが、遅塚はこれらの主張は歴史学の「効用」(utility)を説明しているだけであって、「目的」(purpose)ではないと述べる。つまり、なんらかの価値や意義は重要性(importance)とほぼ同義であって、ある行為の結果における客観的な重要性、すなわちその行為の効用を指している。他方で、目的というのは、ある行為の出発点において主体が自覚的に選び取って設定した目標を指している。言い換えれば、価値や意義、重要性と目的ではそれを評価する人が立っている位置(あるいは視座)が異なっているというわけである(前者は過去、後者は未来)。

 遅塚は歴史学の効用を否定するわけではないが、それと目的とを明確に区別することを強調する。なぜなら、歴史学者全員が「社会的有用性のために」とか、「人間がよりよく生きるために」などとのたまっていては、知的好奇心を刺激するような学問的産物は生まれようがないからである。

歴史学の効用ないし意義が一義的に確定されるものでないならば、単一の効用イコール単一の目的という実用的な学問の場合とは異なって、歴史学においては、その目的もまた一義的に確定されたものではありえない。したがって、われわれは、歴史学を学ぶ目的が人々の個性(好み)に応じてさまざまであることを、つまり、歴史学の目的の多様性をそのまま承認すべきであろう。(p.30-31) 

  もちろん、歴史学者個々人が「社会的有用性」を考慮することは重要である。しかし、それは個人が勝手にすることで、あくまでも「歴史学の目的は多様である」「それは個人の知的探求心や好みによる」という前提を担保すべきであると遅塚は述べるのである。これはいわばその目的を明確に規定されている社会諸科学と比較すると、かなり自由な発想であるといえる(うらやましくすらある)。

 

 とはいっても、「みんな自由に歴史を書いちゃえ」とあってはそれは学問として成り立たないので、以上の前提をもとに、遅塚は歴史学の大まかな目的を挙げる。すなわち、①尚古的(個性記述的)歴史学②反省的(静態重視的)歴史学③発展的(動態重視的)歴史学の三つに区分する。

  尚古的歴史学は「歴史的個体への知的興味を満足させるため」というのを歴史学の第一の目的に据える(p.32)。つまり、歴史が好きだから、過去の事柄が好きだからといった理由で歴史を学ぶ姿勢である。したがって、これはだれだれの、あるいはどこどこの歴史といった具合に限定的な対象を深く追求していくことを目指すため、個性記述的と称される。

 反省的歴史学は「過去に照らして現在の社会や文化を反省するため」というのを目的に掲げる(p.38)。現在の我々があるのはなぜなのかを問うために、過去をさかのぼってみようというのがこの立場である。この立場は過去を現在とは異質なものとして捉え、過去から現在を一つのつながりとして見ていないことから「静態重視的」な見方であるといえる。

 ちなみにこの反省的歴史学を代表する一派がアナール学派に代表される「社会史」である。社会史は19世紀までの歴史学が政治史や外交史のような大きな文脈にばかり目を向ける「事件史」偏重だった反発から提唱された。「歴史のなかでゆっくりと動く(長期的に持続する)中間層に着目する」(p.41)。これが社会史の出発点だったのである。さらに、社会史は例えば下部構造が上部構造を規定するといったマルクス主義的な説明を拒否し、諸要素の横のつながりにおいて歴史の全体性を捉えるという視座を取る。

社会史のおそらく最も重要な特徴は、歴史を、諸要素の共時的相互連関においてとらえようとすることである。換言すれば、社会史は、ある地域のある時代の社会全体についいて、そこで一定期間持続していた「構造」を解明しようとするのであり、フランス系の「社会史(histoire sociale)」にほぼ相当するものがドイツでは「構造史(Strukturgeschichte)」とも呼ばれているのはそのためである。(p.43)

 「構造」は言うまでもなく、レヴィ=ストロースのそれである。構造は地域や時代を横断して普遍的にみられるある特徴的なパターンである。それを抽出するのが社会史の役割だったのである。

  最後が発展的歴史学である。これは「歴史の発展の筋道を考えるため」というのを第一の目的に据える(p.47)。それはすなわち、過去の中に現在の事物の起源を見出すことを歴史学の目的にしているという意味である。その際、注意すべきなのは発展的歴史学が発展の筋道を「知る」ためではなく、「考える」ことを目的としている点である。つまり、あくまでも歴史家は現実の世界の流れを後天的に再構成し、その因果関係を考える役割しか与えられておらず、その本来の全体的な歴史すべてを知ることはできないということである。

 

 というところで力尽きてきた。続きはまたいつか。。

アートを社会学に応用するということ

 先日、研究会に参加して抱いた雑感を綴りたい。

 研究会の内容ももちろん興味深かったが、それ以上に考えをめぐらしたのが「アートを社会学(あるいは社会科学)に応用することは可能か」「人文学を社会科学に組み込むことは可能か」という問いである。結論を先取りして私見を述べれば、どちらの問いに対する答えも「場合による」である。

 

 まずは「アート」に関する問いから。ここで想定されている「アート」とは、おそらく絵画・彫刻・映像などのいわゆる美術のことを指していると思われる。問題になるのは、これを「社会学に応用する」というときにどのように応用するのかという点である。ここでは分かりやすく「方法論」として用いる場合と、「説明の道具」として用いる場合の二通りに分けてみよう。筆者は前者の場合は「部分的に」応用可能であると考えるが、後者の場合はその応用は不可能であると考える。

 「方法論」として用いる場合とは、例えばどのようなものが想定されるか。ここでは研究会でも言及された、澤田唯人「他者の生を≪なぞる≫ための、今ここの≪なぞらえ≫の世界ーーアートベースを生きられる他者理解と社会学」を例に挙げよう。(http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00150430-00000138-0009.pdf?file_id=123694)

 これは「アートベース」といわれる手法を用いて、社会学がこれまで解明できなかった調査対象者の理解を試みようという意欲的な論稿である。その中で取り上げられているものを例に挙げるならば、例えば調査対象者に「箱庭」を作ってもらうことで彼らが自らも理解・把握していない経験を調査者が把握するといった事例が挙げられている。

 その手法の良し悪しはさておき、こういった手法の提示は社会学(とりわけ理解社会学)にながらく横たわっている「理解社会学の根本問題」を乗り越えようという意図が隠されている。ウェーバーの理解社会学現象学的社会学へと発展させたアルフレート・シュッツは、当事者(調査対象者)が現実を主観的に理解する意味連関(一次的構成)を、研究者は理解しなければならない(二次的構成)と唱えた。言い換えれば、研究者は当事者の構成する意味理解をさらに意味理解しなければならないのである。ギデンズはこれを「二重の解釈学」と呼んだが、問題は研究者が当事者の意味連関を理解する際に、そこに科学的な客観性を確保しなければならない点である。つまり、当事者の意味理解をそのまま(例えばインタビューなどの手法を用いて)提出しただけではそれを理解したとは言えないし、かといって当事者の理解から遠く乖離した論文を提出すると「それは私の思ったこととは違う」と咎められかねない。理解社会学はこのような根本的なアポリアに突き当たっているというわけである。

 アートベースの話に戻ると、それらの研究はこのような「理解社会学の根本問題」を回避することを意図していると考えられる。すなわち、論文あるいは社会学であれ哲学であれ、何らかの学問的体系の言語(ジャーゴン)に回収されない形で、調査対象者の意味連関をできるだけ忠実に抽出することはできないかという狙いである。科学がそれをできないのであれば、芸術でそれを代替しようというわけである。

 筆者はこれに対して「部分的に賛成」という立場を取る。「部分的」にというのは、アートを社会学に応用することは可能だが、それはアートを手がける「人々」を理解する範囲においてであり、アートを結論として援用することに関しては否定的であるということである。これが上で「方法論」としては応用可能だが、「説明の道具」としては不可能だといった所以である。実際、ハワード・ベッカーが『アート・ワールド』やブルデューの芸術社会学などはアートをによって社会学を刷新するというよりも、芸術界における人間の営み(卓越)を分析することを目指している。「アートを社会学に応用する」といった時に筆者が想定するのはまさにこれらの研究群である。

 また、アートを方法論的に応用すれば万事オッケーというのはあまりにも楽観的に過ぎるとは思う。例えば、上で挙げた箱庭はそもそも精神分析で頻繁に使われる手法だが、これを行ったからといって従来の社会学が問えなかった当事者の意味連関を理解できるというのがあまりよく分からない。また、そういったアートの中で提示された当事者の意味連関を、結局社会学であれ何であれ学術的な体系の中に組み込んでいかなければならないわけだが(例えば論文という形で)、その際に不可避的にやはり当事者の言葉はジャーゴンに翻訳され、本来の意図をそのまま伝えることは不可能であると筆者は考える。やはり、問題はアート云々というよりも社会学に限らず、各ディシプリン内における論理的整合性や派閥的なダイナミズムを解決しないことには、この根本問題は解けないのではないかと考えている。

 

 以上が、筆者がアートを社会学に応用することを全面賛成しない所以である。次に、二つ目の問い「人文学を社会科学に組み込むことは可能か」だが、これも部分的に賛成する。というのも、近代以降、両者は明確に区分され、分業体制を築くことで学術研究が量産されてきたという歴史があるからだ。

 そもそも「人文学」の中に何を含むのかを同定するのも一つの合意があるわけではない。多くの場合、そこには哲学、文学、歴史学などが含まれると想定されるだろうが、歴史学の中には「科学」たらんとしてきた学派はあるし、地域によっては人文学の中に芸術諸分野を含むとする国もある(詳しくは、隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』p.67-71を参照。フランスは伝統的に「人文科学」(sciences humaines)や「人間科学」(sciences de l'homme)と表現し、絵画や彫刻などの芸術(arts)とは区別されてきたが、英語圏ではHumanities and artsという形で社会科学と人文学を区別してきた)。

 だが、いずれにせよそれぞれのディシプリンは専門分化しながら、より複雑な問題系に取り組むことができるようになった。そう言った歴史的な経緯を省みず、単純に人文学を社会学に組み込むというのはあまりにも無謀であると思うのである。もちろん、筆者は学際的な研究者のつながり自体を否定するわけではない。実際、学際的な研究によって「異なる視点を持つ者同士が話し合うと、居心地が悪いけれど、均質な人びと同士の対話よりも、正確な推論や、斬新なアイデアを生む確率が高まる」という研究結果があるらしい(隠岐 2018: 250)。だが、それは各ディシプリンの専門家が専門知を結集することによって得られるものであり、明らかに分業体制のなせる業である。

 

 まあでもいずれにせよ、この問いを考えながらいろいろと思索にふけることができた。私も美術鑑賞が好きな部類だが、例えばなぜ高い金を払って遠い国のよくわからない絵画を見に行くのかというと、そこに「言葉では表現しえないもの」を見るからである。学問はすべてを言葉や論理で解明しようとするきらいがある。それは学問の最終的な目標であり、最大の魅力なのだが、同時に大きな欺瞞でもある。私は学問のそういった欺瞞や誘惑を自覚するために芸術があると思っている。自らの営みがいかにちっぽけなものなのか、と。これはある意味で芸術至上主義で、アートの象牙の塔に籠るような偏狭なアイデンティティなのかもしれない。しかし、今のところ私はこれこそが芸術の本質であると思っている。

 

 

・追記(2019年5月6日)

 以上で、アートと社会学の相違みたいなものを雑然とつづったが、これはそもそもアートと学問の根本的な相違なのではないかと最近思う。

 そう思うようになったきっかけは、東浩紀『ゆるく考える』に収録された「悪と記念碑の問題」という短い評論を読んだからである。

 同評論は「ぼくはむかしから人間の悪に関心があった。それも、個人がなす悪ではなく、集団がなす悪、つまり、政治や組織の力によって媒介され増幅される悪に関心があった。」という文章から始まる。氏は少年期に森村誠一悪魔の飽食』を読み、戦時中に日本軍が行った人体実験の描写を目の当たりにし、その残酷さに打ちひしがれたという。

 興味深いのは、氏が当時を振り返って同書の中で描かれていたものを「人間から固有名を剥奪し、単なる『素材』として『処理』する、抽象化と数値化の暴力」であると表現している点である。日本軍は中国人捕虜やロシア人母子を「丸太」と呼び、実験対象を「丸太一号」「丸太二号」と番号で整理した。それはすなわち、彼らから名前を奪い、均質で空虚な研究対象(n=1)として抽象化・数値化する営みである。

 もちろん、それは道徳的に許されざる行為である。しかし厄介なのは、その営みがそもそも「人間の知の源泉」であることである。科学者(この場合の「科学者」は自然科学者も社会科学者も含む)は実験対象を抽象化・数値化することでしか研究を行うことができない。しかし、その営みの先に、七三一部隊アウシュビッツポグロムが存在するのもまた事実である。

 社会科学なのか自然科学なのかを問わず、科学あるいは学問というのは原理的にそのような性質を帯びているような気がする。そして、そのような営みに抗することができるのは、アカデミズムの外の世界にしかないのではないかと私は思うのである。それは文学であり、映画であり、絵画であり、彫刻であり、いわゆる「アート」なのではないだろうか(ナイーブすぎるか?)。

 

 余談だが、東氏は抽象化と数値化の暴力は固有名を奪う一方で、固有名を回復させることもあるという。スターリンは銃殺対象者から人生を奪うために(すなわち固有名を剥奪するために)、彼らの詳細をまとめたリストを作成していた。しかし、のちに犠牲者の家族が記念碑を作成する際に利用したのもまたそのリストなのである。「ぼくたちは死者の名を、リストでしか記憶できない」。

 同じことは科学あるいは学問の世界にも言えるのではないだろうか。確かに、科学あるいは学問は対象者を抽象化し、数値化し、均質化する。そうすることでしか、実験・分析ができないからである。そして、それはときに残酷な結果をもたらす。だが、それによって作成された論文あるいは分析結果は、さらなる人間の理解へとつながる。そこには厄介な逆説がある。科学あるいは学問でできることは想像以上に限られているが、同時に想像よりもずっと開かれているともいえるのである。

 

 

 

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