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【香港現地レポート】「2000000+1」ーー「逃亡犯条例」改正反対デモとそれぞれの「香港」

 最近、香港に関するニュースを見ない日はない。言うまでもなく、香港政府が改正を急ぐ「逃亡犯条例」をめぐって、連日香港市民の抗議デモが多発しているからだ。
 すでに、日本でも香港のデモを詳細に分析した記事やレポートは数多く提出されている。なので、ここでは「逃亡犯条例」について、またそれが問題化した経緯については省略させていただく。それらの詳細を知りたい方は、ライターのふるまいよしこ氏の以下の二つの記事を読んでいただきたい。香港に根ざした目線で書かれていて非常に分かりやすい。
blogos.com


gendai.ismedia.jp

 
 ほかにも、やや視点は異なるが、同じくライターの清義明氏の記事も今回のデモの一側面を知る上では役立つだろう。

hbol.jp

 

 6月9日の103万人デモ、そして6月16日の200万人デモが「平和的」であったか「暴力的」であったかを判断できるほど私は現地に精通しているわけではない。だが、実感として現実はその両方であったのではないだろうかと考える。一方で、あくまでも警察に手を出さなかったデモ隊もいれば、他方で手に持っていた傘などで無抵抗の警察を殴打する市民もいた。現在、市民は香港政府による両日のデモの「暴動」「暴徒」認定を訂正し、逮捕された「義士」を解放するように要請しているが、一連の衝突が「暴動」であったかどうかを検証することは今後も難しいのではないかと個人的には考えている。

 以上のように、一連のデモに関するレポートはおおむね出そろったようだ。しかし、デモの様子や雰囲気を知ったからといって、香港の現状を理解することは難しい。現在、香港を知るために最も不足しているのは、香港人が何を思ってデモを起こしたのか、そしてデモの背景にある香港人アイデンティティについての情報である。日本で暮らしていて日本メディアの報道だけを見ていると、そういったリアリティがなかなか伝わってこない。香港人の「生の声」を取り上げた稀有な記事としては、中国関連のルポライター安田峰俊氏のレポートがあるが、こういった記事がデモからしばらく経った今の時期にもっと出てくるべきではないだろうか。私も安田氏にならって6月19日~21日にかけて香港現地に訪れ、そこで見たもの、そして実際に聞いた香港人の「生の声」をここに書き記してみたい。

 

bunshun.jp

bunshun.jp

 

 安田氏の記事を見てみると分かるように、デモに参加した香港人は日本の報道で見られるような「一枚岩」ではない。各々でデモに参加するインセンティブも熱意も違う。今回、実際に香港に足を運んで現地の人に話を聞いてみて、日本人にも香港人の複雑な思いと重層的なアイデンティティを理解してほしい、今回の事件を一過性のものとして終わらせたくない。そんな思いで、いま私は筆を握っている。もちろん、私の聞いた話が香港のすべてではないと思うが、読者が香港を知るための一助になれば最上の喜びである。

 

1.大規模デモ後の香港(6月19~20日

 香港人の「生の声」を見ていく前に、まず私が訪れた6月19日~21日にかけての香港の様子を写真や香港人の友人の話をもとにレポートしていこう。

 この時期には、日本でも大きく報道された6月16日の200万人デモからしばらくたっていたため、街はすでに落ち着きを取り戻していた。いや、落ち着きというより、いつものあのせわしない香港の日常に戻ったと言ったほうが正確だろうか。日本で報道されていたような市民と警察の衝突を予想していた私は、空港から市街地に着いた時やや拍子抜けしてしまったのを覚えている。

 ホテルに荷物を置いた後、香港人の友人Tから連絡があり、先日のデモの現場を案内してもらえることになった。願ってもないことである。私は急いで大規模デモの中心地、アドミラルティ(金鐘)へと向かった。

 後述するが、Tは香港人としての気概を持った熱い性格の持主である。私が話を聞きたいとSNSで連絡すると、Tは最大限のもてなしをしてくれた。歩きながらTが、「香港はもっと国際社会の助けが必要だ。特に日本には期待している」と言っていたのが印象的だった。とにかく香港のことを多く人に知ってもらいたい。そういう思いから、時間を割いて私にデモの様子を教えようと考えたのだろう。

 

 Tはまず私を立法会へと連れて行ってくれた。今回の逃亡犯条例改正反対デモの中心的舞台である。そして、その横にそびえたつのが政府総部である。普段は香港の立法と行政を司るシンボルのような場所だが、いまや香港市民にとっては暴君の根城にしか見えないのだろう。写真の下を見てみると分かるように、ビルの下には抗議の弾幕などが下げられたまま放置されていた。

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後ろに見える黒いビルが立法会。「立」の文字が刻まれている。

 そして、政府総部のすぐ隣には人民解放軍駐香港部隊ビルが建っている。もともとは英国統治時代に駐香港イギリス軍の所有するビルだったが、1997年の香港の中国返還以降は人民解放軍がそのままビルを接収した。Tによると、普段は人民解放軍が外を出歩くことはなく市民と交流することはないようだが、ビルの威圧感と「有事の際にはいつでも出てこられる」という恐怖感だけでも市民を畏怖させるには十分だろう。

 次にTは人民解放軍ビルの下が見える位置に私を連れて行ってくれた。ここは6月9日のデモの際に、デモ隊が無防備な海外レポーターに傘やゴーグルを渡す場面が撮影された場所らしい。この映像は海外でも広範囲に拡散されたが、Tの口ぶりからしてそれはいかにデモが「平和的」だったか、そしてデモ隊が「理性的」な行動を心がけていたかを示すエビデンスとなっていたようである。

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人民解放軍駐香港部隊ビル

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人民解放軍ビルの下

 

 金鐘駅がある側から政府総部があるほうへ移動する橋の上には、市民らの怒りの声が所狭しと敷き詰められていた。中にはキャリー・ラム行政長官を名指しで罵倒するような張り紙もあり、日本の地下通路などによくある落書きに近いものを感じさせる。

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 橋を下っていくと、階段の壁にはこれまた無数のポストイットサイズの紙が貼りつけられている。そして、階段を降り切った突き当りには花が添えられていた。今回のデモで抗議自殺した男性の追悼場である。後述するように、実際の現場はここではないが、政府に対する抗議も含めてここに追悼場を作ったのだろう。私がここに居合わせた時にも花を手向けたり、ポストイットで新しくメッセージを書いていく人が後を絶えなかった。

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 実際の現場は政府総部の道路向かいの工事中のビルの下である。私が行ったときは多くの人がここで花を手向け、手を合わせていた。追悼の仕方は線香をたく人もいれば、ろうそくを指していく人もいる。Tによると、中国では死者に対して黄色い花を、欧米では白い花をお供えするらしい。ここにはその両方があった。それぞれが自分のスタイルで追悼し、ここを後にしていく。「実に香港らしいだろ?」とTは誇らしそうに言っていた。

 今回のデモではじめて出してしまった死者は、確実に香港市民の怒りを増長してしまった。もちろん、これは政府や警察が手を下したものではない。だが、彼の動機が何であれ、一人の人間の死はシンボリックに人々の感情を逆なでし、動員していくには十分すぎるものだった。この事件を契機に運動はいっそう激化していったように思う。

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 Tは私を案内しながら、何度も香港政府に対する怒りを漏らしていた。日本の報道では、今回の香港のデモの背景に中国政府に対する不信感がある、中国政府が後ろで糸を引いているといった内容がセンセーショナルに流されている。もちろん、それは遠因としては考えられるだろう。だが、私が香港人に聞いた限り、今回のデモを中国政府に結びつけるようなことを言う人はいなかった。彼らはあくまでも「香港政府のやり方」に不信感を抱き、異議を唱えたのである。民主主義と自由が約束されたこの地で、香港政府が民意を無視して審議を勝手に進めていることに対して、そして香港人のための警察が市民に銃を向けたことに対して怒っているのだ、と。

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政府総部前

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「香港」と書かれいるが、左に90度回転すると「加油」(がんばれ)になるアンビグラム

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 Tは去り際に政府総部ビルの屋根を見ながら、こうつぶやいていた。「政府総部の天井は中心に穴が開いている。これは天に向かって扉を開き、神の声を聴くという意味がある。何が神だ。本当に聞かなければならない声は下にあるというのに」。その言葉はデモに参加する全香港市民の声を代弁しているかのようだった。

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政府総部の天井

 

2.警察総部包囲デモ(6月21日)

 「もし今日香港政府が逃亡犯条例の「撤回」を表明しないと、明日早朝からアドミラルティで大規模なデモが行われるみたいだよ」。20日夜、Tは香港人がよく使っているSNSサイトを見ながら私にそう教えてくれた。日本のテレビで見たようなデモが見られるかもしれない。私は次の日、早朝7時にアドミラルティに足を運んだ。

 朝7時のアドミラルティは人もまばらで、本当にここでデモが起こるのかと疑わしくなるくらい平和な日常が流れていた。無理もない。その日は金曜日で、まだ普通の人であれば朝起きて、朝食を取り、スーツに腕を通すような時間帯である。金融系企業が集積するアドミラルティ香港人に限らず、欧米人などのスーツ姿のビジネスマンが忙しそうに歩いていた。

 だが、朝9時ごろになると、徐々に駅前にも人が増え始めた。しかも、その大半が黒いシャツを身に着けている。彼らを一目見てデモ参加者であると判断がついた。今回の一連のデモでは、参加者はみな黒シャツを着ていくようにと呼びかけ合っているからだ。これは「ブラック・ブロック」と呼ばれる、主に欧米での暴力的な無政府主義運動団体の抗議手法を真似したものである。最近ではフランスの黄色いベスト(ジレ・ジョーヌ)運動などでもこのような過激なアナーキストが局地的に暴動を起こしたというニュースがあった。だが香港の場合、それは「暴力」の表明として身に着けているというよりも、「反政府」(=アナーキスト)の象徴として身に着けていると解釈した方がいいだろう。老若男女それぞれが自分のタンスの中にあった黒い服を引っ張り出して着てきたという雰囲気だった。

 11時ごろに政府総部前に行くと、すでに多くの黒シャツの集団が座り込んでいた。この日はカラッと乾いた快晴だった。デモ参加者は日陰を探したり、傘をさしたりして焼け付くような太陽の日差しを避けていた。そうこうしていると、徐々にメディア関係者も集まってきた。香港のメディアだけでなく、欧米のメディアも数多くいる。おそらく日本のメディアも中にはいただろう。学生たちに今回のデモに集まった理由などを聞いて回っていた。

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政府総部下。大きな踊り場があってそこにデモ隊が集合している。

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 デモ参加者が集まり始めたころ、何やら学生団体が人ごみをかき分けて演説をし始めた。2014年の雨傘運動の際にも、このような学生団体が率先してデモ隊を先導していったとされる。雨傘運動と比較して、今回のデモ(特に200万人デモ)は明確なリーダーを欠いたスタンドアーロン的な運動だと言われるが、実際にはこのような団体が指揮を取っている側面はあるのだろう。実際、6月9日のデモなどをよびかけたのは「民間人権陣線」という民主派市民団体であったという。ただ、雨傘運動の際にも、そして日本のかつての安保闘争の際にもそうであったが、懸念すべきは明確なリーダーが出始めてしまうとそれに賛同する者、反対する者の間で内ゲバが起きてしまうことである。香港全人口の3割近くの動員という前代未聞のデモが成功したのはある意味で明確なリーダーがおらず、それぞれの市民が主体的に運動に参加したからであった。そのよい流れを壊さないようにいかに舵を取っていくのかは抗議団体にとっても最大の課題だろう。

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 正午12時を回ったころ、政府総部前の道路が何やら騒がしいことに気づき、すぐにそっちに移動してみる。すると橋の上から、これまで歩道を歩いていたデモ隊が徐々に道路のほうへと侵食し始めているのが見えた。道路には走行中の車両が列を作っている。しかし、デモ隊は気にせず車の前に立ちふさがり、ほかのデモ参加者たちにも道路に出るように両手を上に広げて誘導している。そして、堰を切ったように市民は歩道から出ていき、瞬く間に道路をオキュパイしてしまった。

 当初、車やバスなどはデモ隊によって立ち往生させられていたが、浸食してきたデモ隊は徐々に自発的に車に道を開けていくようになった。16日に見られた、デモ隊が救急車に道を開くのと似た光景である。モーゼの十戒のように人が横にはけて、車がスーっと通っていく。中には、デモ隊を応援してか、クラクションをリズミカルに鳴らしながら通っていく車もあった。反対に、デモ隊はそういった車を拍手をしながら送り出していった。

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中には自発的に交通整理を始めるデモ参加者もいた

 

 アドミラルティをオキュパイしたデモ隊は堂々と道路を行進して、香港警察署前まで移動していった。警察署の裏口に立ち止まったデモ隊は一斉に抗議の声を上げ始めた。先日のデモにおける警察の暴力行為に対する謝罪の要求や、逮捕されたデモ参加者の釈放を求める掛け声が警察署前に響く。裏口の門の前には立ち往生してしまった警察車両があった。中には5~6名の警官が座っている。彼らに対して市民が罵倒を浴びせていたが、車内の警官は顔色一つ変えない。前回のデモ以来、警察から何か手を出すことは上から固く禁じられているのだろう。あくまでも冷静な表情を貫いていた。そして、門前に市民は手際よくバリケードを張っていく。門の後ろでは警官が棒立ちでその様子を見つめている。この温度差はどこか滑稽ですらある。

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警察車両の下にはコーンなどが入れこまれ、通過できないようにしてある。

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遠くを見つめる警官

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警察署前には手際よくバリケードが張られていく

 デモ隊はさらに警察署の正面玄関へと回り込む。そこにはすでに多くの抗議者が集まっており、拡声器で声を上げていた。中心には二日前に釈放された雨傘運動のリーダーであり、香港デモシストの党員であるジョシュア・ウォンの姿もある。さすがにデモの戦い方を分かっているのか、彼の威勢のよいアジテーションとともに市民の熱気はまた一段と上がる。メディア関係者も、いい瞬間をカメラに収めようと彼の周りに群がる。メディア露出が多い彼はメディアが喜びそうな言葉を選択するのが非常にうまい。自らシャッターチャンスを演出するために、言葉と言葉の中間に「間」を作り、後ろのカメラにも写るように周囲をぐるりと見渡す。ジョシュアのアジテーションに呼応するように、みるみるうちに警察署前にはデモ隊が集まっていった。

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ジョシュア・ウォン

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雨傘のもう一人のリーダー、アグネス・チョウ

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警察署前に先日の警察の「暴力行為」の証拠をペタペタと張り出す学生たち

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警察署前のデモ参加者

 ここで私のフライトの時間が迫ってきたため、一時戦線から離脱してアドミラルティに戻った。すでにそこには車の姿はなく、学生たちが座りこんで歓談をしていた。まるで高校の昼休みのような雰囲気である。ふと上を見上げると、橋の上には今回のデモ隊の要求が掲げられている。①逃亡犯条例改正の全面撤回、②逮捕者の釈放、③6月12日デモの「暴動」認定の撤回、④警察による暴力行使の検証。ネット上では、ここにさらに⑤キャリー・ラム行政長官の即時辞任、を加えた五つの要求が出回っている。しかし、この日、結局香港政府は逃亡犯条例改正の「撤回」を明言することはなかった。SNS上では、今後も香港市民による戦いは続くという声が拡散されていた。

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占拠した道路上で歓談中の風景

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アドミラルティ付近の橋に架けられた弾幕。デモ隊の四つの要求が掲げられている。

 

3.香港人アイデンティティ

 ここまで、大規模デモ後の香港と6月21日のデモの様子を観察してきた。最後に、私がこの滞在期間の前後に話を伺った香港人の声を届けたい。私が今回のインタビューで伺ったのは、主に①今回の条例改正に対してどう思うか、そして②香港に対して帰属感を持つかどうか、の二点である。そして、これらの「生の声」をもとに、条例改正に反対する層とそうでない層の違いや、複雑な香港人アイデンティティの諸相を解明していきたい。

 三名のインフォーマントの簡単なプロフィールは以下の通りである。

  • Mさん(26)。修士課程から来日し、現在は日本の大学院で博士2年生の香港人。日本の滞在期間はすでに3年半ほど。香港生まれ、香港育ち。来日するまでは大陸人と接触する機会は少なかった。現在は留学生寮で大陸人と交流する機会が多い。
  • Aさん(22)。香港の大学に在学中の香港人。香港生まれ、香港育ち。現在、IT技術や翻訳について勉強している。今は技能を身に着けて、ゆくゆくはオーストラリアなどで仕事をしたいという。大陸人と接触する機会は非常に少ない。
  • Tさん(22)。香港の大学に在学中の香港人。香港生まれ、香港育ち。すでに香港の会社に内定が決まっている。大学では哲学を専攻。前二者と比べると、香港人としてのプライドが非常に高い。大陸人と接触する機会は非常に少ない。

 

①逃亡犯条例について

 まずは今回の逃亡犯条例について伺った。Mは今回の逃亡犯条例改正には「反対」であるという。なぜかと問うと、「十分な審議の時間を確保していなかったからだ」と答えた。逆に十分な審議が尽くされ民意がOKなら条例改正には賛成であるという。Mが反対する理由は条例改正の内容というよりも、行政の手続き上の正義が尽くされていないことに対してであった。また、香港政府は「そもそも犯人を捕まえるためにこの条例改正に踏み切った」とか、香港警察に対しても「警察は早めにデモを鎮静化させるために催涙弾やゴム弾を使ったのでは」と、いくらか同情的な反応を示していたのも印象的である。

 Aは今回の逃亡犯条例改正には「反対」を表明している。だが、Mとは違ってそれは手続き上の問題というよりも、そもそも内容に不満があるからだ。2015年、香港にある洞羅湾書店の従業員が突如中国当局に拘束されるという事件が起きた。Aはこの事件を引き合いに出して、「中国と香港では法律や法治の考え方が異なる。今回の条例改正が通れば、香港の出版の自由が脅かされ、自分も書店員と同じ運命をたどるのではないかという不安がある」と語った。Aは9日のデモに参加している。そして、香港警察の「暴力行為」を強く糾弾していた。Aいわく、「警察内部のリーダーは暴力を正当化している。9日の暴力行為に関してはしっかりとエビデンスがある」。

 最後にTである。Tは16日の200万人デモにも駆けつけ、前述したようにその際のデモの様子を詳細に説明してくれるほどなので、当然条例改正には「反対」である。また、私が質問せずとも、自分から今回の条例改正の問題点などをいくつも指摘してくれた。その内容はおおむねこれまでメディアなどで指摘されていることなのでここでは省略する(法治や自由の侵害、審議時間の短さなど)。条例改正の内容もさることながら、その口ぶりからキャリー・ラムに限らず行政府全体に対する不信感が見て取れる。エスタブリッシュメントへの不信感とでもいえるだろうか。前二者と比べても、断固として今回の条例改正を阻止するという意気込みが見える。

 三者を比べて指摘できるのは、まず第一にMとA・Tの温度の差である。明らかに条例改正に対して反対を表明しているAとTに対して、Mは手続き上の正義が確保されればいいんではないかと語った。この差が何に起因するのかを特定するのは簡単ではないが、一つは実際に香港現地にいるかどうかが関わっているのではないかと考えられる。香港のメディアやSNSで現地の様子をリアルタイムで受信している人のほうがデモ参加者に共鳴する確率は高い。また、まわりに自分と共感する意見を持っている人がいるかどうかで共鳴の度合いも変わるであろう。Mは今回のデモの様子をテレビで見て、それをルームメイトの大陸出身の人に見せたところ、一言「頑張って」と言われたらしい。そのような環境が、ほかの二者と比べてMをしてデモに参画するインセンティブに失わせたのかもしれない。

 だが、この仮説には無理がありそうだ。なぜなら、報道でも出ていたように、在日香港人の中にも今回のデモを受けて日本で声を上げた人が何人もいたからだ。そういう意味では、「香港現地にいない」という条件だけではMとA・Tの温度差の違いを説明できない。そこで二つ目に考えられる要因は「大陸人との接触頻度」である。つまり、大陸人との接触頻度が多い人ほど、おおっぴろげて条例改正に反対を表明できないのではないかという仮説である。三者を比べると、ほとんど香港から出たことがないAとTと比較してMは最も大陸人との接触が多い。また、日本で起こった抗議運動は香港人コミュニティが中心となっている。つまり、Mと比べて抗議団体は大陸人と接触する頻度よりも香港人接触する頻度のほうが相対的に多いと考えられる。

 これらは仮説に留まり、実際に実証するにはもっと多くのサンプルを各層に分けて統計調査が必要だろう。だが、新たな変数として注目に値するのではないだろうか。

 

香港人アイデンティティについて

 次に、香港人アイデンティティについてである。香港大学が行っている調査では、香港市民の中で自らを「香港人」とアイデンティファイする割合は40%、「中国の香港人」とアイデンティファイする割合は26.3%ほどである(2018年)。両者を合わせた割合は近年上昇傾向にあり、「中国人」と答える割合(15.1%)と「香港の中国人」と答える割合(16.9%)と比較すると香港人アイデンティティを持つ人の割合は増加傾向にあることが分かる。ちなみに、18~29歳の若者に照準を絞れば、「香港人」と答える人の割合はすでに約60%に達している。これから見ていくのは、この世代の人々の意見である。

 まず、率直に「あなたは自分のことを何人だと思いますか」という質問をぶつけてみた。Mは「○○人」という明言は避け、ただ「香港に対する帰属感は強いほうだ」とだけ返した。「では、香港に帰属があると思う理由は何ですか」と続けたところ、返ってきた答えは「団結力」であった。つまり、香港には自分の意見を出すことができる自由があり、デモの様子からも分かるようにみなが平和的・理性的にチームワークを発揮しているところに自分が香港に帰属感を持つ所以があるというのだ。その際、Mが引き合いに出していたのは、SNSなどで上げられていた救急車にデモ隊が道を開ける映像である。これこそがデモが平和的である証拠であり、香港人が団結力を持っている証拠だというわけである。

 続けてMに、「香港人であるために必要だと思うことは何ですか」と問うてみた。すると、Mは「公民意識」と「文明意識」であると即答した。Mの口ぶりからして、そして後述するAとTのインタビューでも見るように、これこそがおそらく香港人が考える香港の最大の強みだろう。Mは、香港は「開放的」で「フレキシブル」「環境に適用する能力が高い」と強調した。そして、香港にプライドを持つ理由として①フレキシブルであること、②公民意識が高いことを挙げていた。

 Aにも同様の質問をぶつけてみた。「あなたは自分を何人だと思いますか」という質問に対して、Aはしばし沈黙した後、「難しい質問だね」といって考え込み、そしてこう述べた。「そもそも「中国人」か「香港人」かという二者択一が不公平だ。日本にも北海道や沖縄があるだろう?中国大陸にも北から南、西にはチベットウイグルもあるじゃないか」。そして、Aは「中国人」という大きな区分の中に「香港人」がある感じだと語った。つづけて「香港人」と答える人は香港のどこにアイデンティティの拠り所を求めているのだろうかと私が問うたところ、「香港の生活スタイルや文化ではないか」と答えてくれた。例えばどんな文化なのかと聞くと、「香港は商業に特化している。インターネットも発達していて外国のサイトもたくさん見られる」と語った。その口ぶりから察するに、その言葉は「香港以外の中国大陸ではそれらを見ることができない」ということを言外に示していた。

 また、「香港にプライドを持ちますか」という質問に対してAは「はい」と即答した。そして以下のように続けた。「香港は日本や中国のように長い歴史があるわけではなく、100年やそこらの歴史しかない。だが、だからこそ色々な海外の移民や文化を取り入れることで変化してきた。そこに誇りを感じる。例えば、香港料理は広東料理などを取り入れながら独自の食文化として発展した」。このような回答は前述のMとも共通する。

 Tは前二者と比べて、何のためらいもなく自らのことを「香港人」であると答えた。そして、大陸人のことが「あまり好きではない」と明言した。香港人としての意識の強さはどこに起因するのか聞いたところ、「香港での生活が長く、emotionが完全に香港にある」とか「文化や経済システムが香港と大陸では全く違うから香港に愛着を持っている」といった回答を得た。前二者と同様に、香港のどこに誇りを感じるのかという質問をぶつけたところ、「いろいろなバックグラウンドを持つ人がいるところ」と答えた。これは前二者とも重なる回答であった。

 また、Tは中国の文化が香港に入ってくることに対して非常に強い危機感を抱いていた。例えば、香港が中国に返還されて以降に生まれ育った世代はすでに大陸のテレビ番組やSNStiktokとか)を何の疑いもなく享受している。さらに、最近では香港の中高生の歴史教科書も大陸の内容が多くを占めるようになってきた。例えば、もともと英国統治にあった香港は大陸とは別の経路で経済発展を遂げたが、最近では1980年以降の大陸の「改革開放」の歴史と絡めて香港の経済発展を記述する内容になっているという。 Tはこういった傾向に警鐘を鳴らし、子供たちの”clitical thinking”がなくなってしまうのではないかと不満を述べていた。

 

 M、A、Tはそれぞれ年齢は近いが、それぞれ違う考え方を持つ香港人だった。いい具合に香港人の若者をランダムにサンプリングすることができたのではないだろうか。

 さて、以上の結果から何が分かるだろうか。まず最初に指摘しておくべきは、香港人アイデンティティの度合いの違いである。三者の回答をもとに香港人アイデンティティの度合いが強い方から並べると、T→A→Mであった。そもそもアイデンティティの度合いをどうやって測るのかという手痛い批判が来そうだが、ここでは三者の回答から私が主観的に判断した。この違いは何に起因するのだろうか。一つ考えられるのは「香港に在住しているか否か」である。Mは前述したように、来日してからすでに三年半がたっているが、AとTは香港から長期間出たことはない。それが帰属感の度合いに影響した可能性は考えられる。

 二つ目に考えられるのは「将来的に香港で暮らす予定があるか否か」である。Tはすでに日本に留学しており、卒業すれば香港に戻るのかという質問に対して「分からない」と答えた。また、Aは現在大学でIT関連の勉強をしており、ゆくゆくはオーストラリアなどの欧米圏で仕事をしたいと述べていた。彼らは話をしていて、香港の未来に対して非常に悲観的な見方をしていたのが印象的だった。Aは香港の若者たちが大陸の文化を無批判に受け入れるようになっていることを指摘して、「私は完全な中国人ではないが」彼らはどんどん香港人アイデンティティが薄れていくのではないかと危惧していた。さらに、最近、大陸の富裕層が香港の不動産を投機目的で買い占め、香港人が住む家がなくなりつつある。Aいわく、「香港の人たちは歩いていて顔が険しい。あまり未来に希望が持てない」。香港に対して悲観的な見方を持つ若者は香港への愛着が相対的に低いのではないだろうか。

 余談だが、このような移動可能性(自由に移動できるか否か)がアイデンティティに強く影響を与えるというのは香港に限らず、最近とみに語られることである。例えば、イギリスのジャーナリスト、David GoodhartはBrexitを受けて著書“The Road to Somewhere”の中で、イギリス国民は「どこにでも行ける人々」(Anywheres)と「どこにも行けない人々」(Somewheres)に二極化していると説いた。前者は比較的高学歴で、移動の自由があり、開放的な価値観を持っている。例としては、グローバル企業のビジネスマンなどが当てはまるだろう。一方、後者は教育水準が比較的低く、集団や家族のアタッチメントが強く、安定を求める。Brexitの場合、これはブルーカラーの白人労働者などが当てはまった。グローバル化が進む昨今、新たな住民の対抗軸として「移動の自由」が人々のアイデンティティ形成に影響を与えていくというのは頷ける説明である。

 香港人の海外一般を含めた移動の頻度と香港人アイデンティティの関係を示す統計は見つからなかったが、一つ参考になりそうな調査結果を見つけた。台湾の社会学者、林宗弘が行った台湾と香港の比較統計調査によると、大陸との往来頻度が高いほど自らを「香港人」であると認識する人が少なくなる傾向があるという(林宗弘、2016、「革命前夕ーー台湾與香港民眾對中國效應與政府評價的比較」)。これは大陸と香港との移動頻度が香港人アイデンティティに影響を与えている証拠となるデータである。また、往来頻度は社会階級とも連動している。大陸との往来が多い方から順に、①資本家あるいは雇用主、②新中産階級、③非技術工、④自営業者となっている。大陸に工場や事業を展開する資本家や雇用主、そして旅行などの余暇に時間やお金を割くことができる新中産階級が往来の頻度が高いことは納得の結果である。

 MやAは上述したように、将来的に香港を出ることを視野に入れて勉学に励んでいる。しかし、Tは現段階で香港を出る見通しはない。三者の収入や学歴などを明確に聞くことはできなかったが、ここから仮説的に「移動の頻度が高い人ほど(あるいは将来的な移動の見通しがある人ほど)、香港人アイデンティティが低くなる」という命題を引き出すことができるのではないだろうか。

 次にインタビューを通して分かったことは、香港人アイデンティティが「シビックナショナリズム」に強く規定されていることである。ナショナリズム研究でよく引き合いに出される比較軸として、「エスニック・ナショナリズム」と「シビックナショナリズム」がある。前者は民族の血統などを重んじるナショナリズムであり、後者は血統などの先天的な要素よりも「市民としての権利や義務」などをもとに「国民」を同定するナショナリズムである。よく比較されるのはドイツとフランスである。ドイツは国籍においても「血統主義」を採用しておりエスニック・ナショナリズムの典型であるとされる。一方、フランスは「出生地主義」を採用しており、フランスの理念「自由」「平等」「友愛」の厳守を誓えば、移民にも「国民」としての門戸を開くシビックナショナリズムであるとされる。

 香港はこの整理に従えば、完全にフランス型のシビックナショナリズムに区分される。もちろん、香港の中にもシビックナショナリズムだけでなく香港人の民族性を喧伝する政党はあるが、それは少数派に過ぎない。インタビュー中にも、「香港人であるために必要なもの」や「香港のどこにプライドを感じるか」という質問に対して、三者とも「公民意識」や「様々なバックグラウンドを持っていること」、「開放的、フレキシブル」であることを挙げていた。これはそもそも英国の植民地統治から出発し、戦後は多くの政治難民の受け入れ場所として発展してきた香港の歴史を考えれば、まあ当然の結果である。

 問題はこのような香港の価値観が大陸の価値観と相いれないことである。大陸の中国政府が掲げるのは「中華民族の偉大なる復興」である。「中華民族」とは炎帝黄帝の子孫である漢民族のことを指し、この思想はいわば日本でも流布している「単一民族神話」に近い。いうなれば非常にエスニック・ナショナリズム的な考え方である(中国は国籍においても血統主義を採用している)。もちろん、中国には漢族だけでなく55の少数民族がおり、彼らも「中華民族」に含むとしているが、実質的には全人口の90%を占める漢民族のための国家である。そして、香港にいる華僑の多くは、戦争や文革天安門事件などの際に大陸から香港に移り住んだ政治難民である。中国政府からすれば、彼らは血統としては「中華民族」であり、中国国民の一部である。だが、シビックナショナリズムを信奉する香港人は、そのような中国政府のエスニック・ナショナリズムと真っ向から対立するだろう。逃亡犯条例に関する報道で、香港人が中国大陸の政治制度や法制度に対して不満を抱いているという指摘があったが、両地域のナショナリズムの違いにも着目する必要があるだろう。

 

4.おわりに

 ここまで私が見てきた香港の様子とインタビューを通して見えてきた香港人アイデンティティの諸相を論じてきた。話を聞くたびに香港人アイデンティティは複雑で奥が深い。民族的なアイデンティティにあまり悩まされることのない日本人も香港人から学ぶべき部分は多いはずだ。

 200万人デモを最高潮に日本のメディアでは香港の報道が下火になってきた。帰国後、「最近日本ではあまり香港が報道されなくなっているよ」とSNSで香港の友人に連絡してみた。すると、「G20に向けて香港では準備が始まった。何が起こるか注目しててよ」という返事が返ってきた。彼らはまだまだ戦うつもりだ。そのエネルギーにはいつも驚かされる。そして、私ももう部外者ではない。これからも遠い日本から、彼らの頑張りを目に焼き付けていきたい。

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