楽楽風塵

ナショナリズム 移民 台湾 映画と読書

いま、香港で何が起こっているのか

 「なに?アグネス・チャンが来てるの?」

 6月12日、明治大学リバティタワーの一階教室の前を通る学生たちは、そう口にしながら野次馬の中に加わっていた。教室の前には、報道機関も含めて通常の授業ではありえない数の人だかりができていたからである。もちろん、アグネス・チャンがわざわざ明治大学に講演に来るはずもない。来ていたのは、2014年に起こった香港「雨傘運動」でリーダーとしてデモ隊を先導したアグネス・チョウ(周庭)さんである。

f:id:cnmthelimit:20190613120410j:plain

明治大学法学部「中国法特別講義」

 「アグネス・チャン」と「アグネス・チョウ」の区別もつかないような日本で彼女がなぜこれほどの注目を集めたのかというと、ちょうど講演が行われたその日に、香港で拘束された容疑者を中国本土に引き渡せるようにする「逃亡犯条例」改正をめぐる大規模なデモが発生していたからである(今回の講演自体はデモ発生のもっと前からセッティングされたものなので、これほど脚光を浴びるのは完全に偶然)。いま、香港で何が起こっているのか。それを講演の内容も踏まえて整理してみたい(講演の簡単な概要については、「香港が想像できない場所になる」 “民主の女神“が訴えた、逃亡犯条例の危険性 | ハフポスト)。

 

 まず、話題になっている「逃亡犯条例」について簡単に説明したい。逃亡犯条例とは、香港以外の国と地域で犯罪にかかわった容疑者を当該国・地域の要請にしたがって引き渡せるように定めた条例である。これは今回の騒動以前からすでに制定されており、香港は現在米国や韓国など20か国と協定を結んでいるが、台湾やマカオとは結んでいない。今回の条例改正の趣旨は、中国も容疑者引き渡しの対象に含めるようにするという内容であった。今回の条例改正の議論が浮上した発端は、台湾で殺人を起こした男性が香港に逃亡した事件である。香港政府は香港が「法律の抜け穴になっている」と主張し、今回の条例改正を提起した。

 

 では、改正反対派はこれに対して何を訴え、そしてその訴えの背景には何があるのだろうか。まず第一に、香港研究で知られる倉田徹立教大教授が言うように、今回のデモの「根底には中国の司法制度への不信感がある」(香港デモ、対立激化も 司法の独立「中国化」で危うく (写真=共同) :日本経済新聞)。かねてより、中国国内では人権派団体などが、民主的な手続きを介さずに拘束され、不自然な死を遂げるといった事件が相次いでいる。これらは本土内では報道されず、もっぱら香港メディアが中心になって報道してきた。また、2015年には香港の銅鑼湾書店の関係者が中国当局に拘束される事件が起き、国内外で話題になった(香港銅鑼湾書店「失踪事件」の暗澹:日経ビジネス電子版)。こういった記事や事件を習慣的に眺めている香港人は、今回の条例改正によって中国政府の恣意的な要請で香港住民が何らかの犯罪容疑を着せられ、本土へと送られてしまうのではないかと懸念しているのである。

 しかも、これは香港人の活動家に限った話ではない。当局が「犯罪の疑いがある」とする人物であれば、中国共産党に批判的な民主派だけでなく、中国事業でトラブルを抱えた経済人や香港在住の外国人、たまたま香港に来た旅行者でも拘束される可能性がある。今回の反対デモが2014年の「雨傘運動」を越える103万人(主催者発表)という異例の数に達したのもそれらの要因が絡んでいる。雨傘運動が「自由と民主」といったスローガンで始まり、ある種ふわっとしたイシューで発生したのに対し、今回のデモは「反送中」(逃亡犯条例反対)という簡潔なワンイシューに終始している。だからこそ、多くの社会層を取り込み、ここまで大規模なデモへと発展したのだろう。

 ちなみに、アグネス・チョウさんは講演で、雨傘や反愛国教育デモと今回のデモの異なるポイントは、明確なリーダーが存在したそれらの運動に対して、今回はそれが不在である点にあると指摘していた。カリスマ的リーダーの存在はデモを組織化することを可能にするが、逆にそのカリスマ性や人格に異議を唱える層を排除することにもつながる。一方で、今回のような非組織的なデモは多くの層を取り込めるが、秩序だった行動を欠き、カオスを生み出してしまいかねない。壇上でチョウさんは「今すぐにでも香港に帰りたい」と漏らしていたが、それはSNS上に上げられるデモ隊と香港警察の衝突の映像が非組織的なデモのデメリットを体現していたからだろう。

 そして、この「本土の司法制度に対する不信感」は非常に難しい問題である。なぜなら、本土と香港では「法治」という言葉の含意がそもそも異なるからである。中華人民共和国建国以前から「法治」という言葉を使い異民族を統治してきた大陸と、英国統治を経て自由な経済発展を許された香港では、「法で治める」(何を、どうやって)ということのそもそもの意味が違うのは仕方のないことだ。私は中国法の専門家ではないので、この「法に対する不信感」の根底には「法治」概念の相違があるのではないかと言うにとどめておこう。

 反対派が声を上げた第二の要因は、香港政府への不信感である。1997年に香港が中国に返還されて以来、香港の立法会(日本でいう国会)の議員は徐々に親中国派が多数を占めるようになってきている。香港の立法会選挙は特殊な様式を採用しており、有権者の住所地によって選挙区が設定される「普通選挙」と、有権者の職業によって選挙枠が割り振られる「職能別選挙」を併合している(倉田 2009: 59-63)。従来、普通選挙では民主派が多くを占め、職能別選挙で親中国派が送り込まれるような構図となっていたが(倉田 2009: 63)、最近では民主派議員が議員資格をはく奪されるなど強固な締め出し策が取られ始めていた(香港「民主化」曲がり角 立法会補選、民主派が苦戦 若者が離反 :日本経済新聞)。これらを受けて、民主派に共感を抱く香港市民は「香港政府がもはや香港を代表していない」と危機感を抱くようになっていた。

 2017年7月に初の女性行政長官に就任した林鄭月娥は、当初親中国派の支持を固めて支持を広げたが、今では支持率43.3%と就任以来過去最低をマークしている。

www.hkupop.hku.hk

 今回の事件を受けて、林鄭月娥は香港政府HPにてすぐにビデオ声明を出したが(http://video.news.gov.hk/hls/chi/2019/06/20190612/20190612_205047_758/videos/20190612213512572.mp4)、それを見る限り彼女はデモを「暴動」と呼んでおり、妥協の姿勢を示していない。さらなる香港市民からの反発が予想される。

 そして第二の要因と関連するが、改正派が声を上げた第三の要因は「香港人アイデンティティ」の定着である。香港大学の調査によると、香港市民の中で自らを「香港人」とアイデンティファイする人の比率は2018年時点で40%ほどである。これを「多い」と見るのか「少ない」と見るのかで意見は分かれるだろうが、ちなみに18~29歳の若者に照準を絞ればすでに約60%に達している。雨傘運動の時には「香港人アイデンティティの勃興か」と叫ばれたが、ここ5~6年で状況はがらりと変わり、(特に世代別にみると)アイデンティティの定着段階に移行したといえるのかもしれない。
www.hkupop.hku.hk

 昨日の講演でも、チョウさんは香港への愛着をたびたび漏らしていた。いわく、日本のメディアからは日本のアニメを見て独学で日本語をマスターしたことから「日本マニア」と称されるが、本当に好きな場所は香港である、と。そして、今まで大陸の人権派などの政治難民を受け入れてきたリベラルな香港が、今度は政治難民をつくる場所になてしまうことに強い危機感を抱いていると述べていた。「私たちの大好きな香港」。こういったアイデンティティ愛国心)は若者に突出して強いように思われる。

 だがもちろん、自らを「香港人」とアイデンティファイするからといって、香港市民が一枚岩になったと判断するのは誤りである。そう答えた人の中には「香港人」を構成する要素として「香港文化」を挙げる人もいれば「法制度」を挙げる人もいる。香港の未来に関して、「独立」を選択する人もいれば「現状維持」(つまり「一国二制度」の維持orバージョンアップ)を選択する人もいる。ナショナリズムというのは複雑な意見の総体であることを忘れてはならない。

 

 前置きが長くなった。講演の話に戻ろう。

 以上のような想定されうる理由から、今回の逃亡犯条例改正反対デモが発生したわけだが、私の印象ではアグネス・チョウさんは正直今回のデモに関してまだあまり情報を掴んでおらず困惑している様子だった。ただ、やはりクレバーだなと思うのは、偶然スケジュールに入った来日を、彼女は日本のメディアに香港の現状を伝えるという形で活用していた点である。講演の中でも「日本のメディアも香港の現状を伝えてほしい。日本政府も欧米政府と一緒に香港・中国政府に声明を出してほしい」と再三訴えていた。「本当は香港に帰りたかったけど、重要な任務があるから」と告げる彼女に私も含めて日本人の聴衆はおおむね同情的・好意的な反応を示していた(来場者の中には講演後に涙ぐむ者もいた)。日本のマスコミ関係者の中から「日本の方々に何か望むことはありませんか」とストレートな質問も飛び出ていた。

 講演を聞いていて興味深かった点が二つある。まず一つ目は、逃亡犯条例は香港と大陸本土だけに完結しない、中国と周辺地域に関わる問題であると分かったことである。10分ほどの質疑応答の中で、大陸人と思しき学生からけっこうきわどい質問が出た。その学生は「日本語ができない」と言って普通話で話し始めたため、質問の内容を完全に把握することはできなかったが(その時ほど自分の中国語力の低さを悔いたことはない)、大雑把に述べると「そもそも今回の条例改正は台湾人が香港に逃げ込んだ事件を受けてのもので、法律的には妥当なものなのではないか」というものである。その学生はもう一つ質問をしたが、それは聞き取ることができなかった。だが、質問の最中に会場にいた香港人と思しき学生から怒号が上がったので、おそらくかなり際どい質問をしたのだろう。その時、会場は少し緊迫した雰囲気になった。

 これに対してチョウさんは以下のように答えていた。立法会の民主派議員は逃亡犯条例改正以外の措置で台湾での事件を解決する方法を提案していた。逃亡犯条例を改正せずとも、台湾と香港との条約によって容疑者の身元引き渡しを可能にする方法もあると判断したからである。だが、香港政府は十分な審議の時間を設けることなくこれを却下した。したがって、逃亡犯条例改正はあまりにも拙速であるというわけである。

 だが、ここには非常に難しい問題が存在する。というのも、民主派議員が提案するように、香港と台湾の個別条約によって確かに容疑者の引き渡しは可能になるが、そもそも台湾を代表する政府はどこなのかという問題があるからだ。中国と台湾は「一つの中国」原則を維持しているため、香港政府は北京の中央政府を無視しての台湾政府と条約締結という外交手段を取ることができない。つまり、今回の条例改正は中国を中心として周辺関係地域が連なる「中華システム」の穴をついて発生する犯罪をいかにして防ぐのか、そもそもその中華システムを構成する各種制度の盲点とは何なのかというもう一つメタレベルの問題が関わっているのである。日本の報道を見てみると、今回の一件は単純に「中国化に反対するデモ」という紋切り型の語られ方しかしていないが、それだけには回収できない論点が多く含まれている気がする。メタレベルで考えるならば、香港のケースから台湾のケースを考えることだって可能だ。

 第二に、日本人学生から「チョウさんの求める民主主義とは何ですか」という質問が飛び出したことである。それに対するチョウさんの回答は中々興味深かった。いわく、一つは民主的な普通選挙の実施である。普通選挙自体は行われているが、最近では就任宣誓の場で民主派議員が民主化への決意を付け加えたため議員資格をはく奪するような措置も取られている(香港の高等法院、民主派議員4人の資格剥奪を決定 :日本経済新聞)。こういった不当な処遇を改善するのが、まずは彼女が考える民主の一つである。

 だが、民主はそれだけに止まらない。政治の場だけでなく、生活面においても民主化することが重要である彼女は述べる。どこに住むのか、どんなものを食べるのか、生活のあらゆる事柄を自分で決定することこそが民主主義である。おそらく彼女はそういう趣旨のことを言いたかったのだろう。彼女がたびたび口にするのが「民主自決」という言葉である。中国と英国が結んだ「一国二制度」の期限は2047年である。その期限まで「高度な自治」が約束されたはずの香港で、市民を無視して頭越しに全ての制度が決まっていく事態に彼女らは危機感を抱いているのである。香港人の未来は香港人で決める」。個々の思想的スタンスは違えど、そのスローガンに共鳴してアクションを起こしたのがあの道路を埋め尽くす100万人の人々だったのだろう。

 

 

中国返還後の香港 -「小さな冷戦」と一国二制度の展開-

中国返還後の香港 -「小さな冷戦」と一国二制度の展開-