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『ブラック・クランズマン』※ネタバレあり

 週末、スパイク・リー監督の新作『ブラック・クランズマン』(原題:BlacKkKlansman、ちなみに本作は実在の人物であるロン・ストールワースの著作『Black Kransman』をもとに作られた。Kの間に小さな「k」を入れるというのはリーのアイデアだろうが、けっこう好きである)を見てきた。

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 結論から言うと、素晴らしい映画だった。比べる必要はないが(けど比べてしまうのが人間の性)、同じく黒人差別を扱い、今年のアカデミー作品賞を取った『グリーンブック』とは打って変わって、現実的な問いとして「黒人差別」を取り扱っている。『グリーンブック』を見て、どこか物足りなさを感じた人は本作を見ることをオススメする。ちなみにリーは『グリーンブック』の受賞に際して難色を示したらしいが、それもおそらく両作品のそういった雰囲気の違いに起因しているようである。

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 『マルコムX』などで60年代の黒人差別を題材にしてきたリーだが、今作は1970年代という時代設定でありながら、現在の米国の状況を踏まえて(皮肉って)つくられているのが、作中の端々で感じられる。おそらく、時代的な要請としてこれを作ったということだろう。

 例えば、作中に登場するKKKのメンバーたちは口々に「アメリカ・ファースト」や「もう一度アメリカ(白人の住むアメリカ)を偉大に」と叫ぶが、これはトランプおよび彼の支持者が集会で掲げるスローガンと一致する。リーからすれば、彼らと70年代のKKKの思想は同根であると映るのであろう。ラストで、2017年のシャーロッツビルにおける白人至上主義者とデモ隊衝突の凄惨な映像と、「米国の死」を連想させる逆さづりになったモノクロの米国国旗を挿入してくるあたり、監督の現代アメリカに対する逼迫した危機感と抗議の念を看守できる。

 だからだろうか、作中で描かれるKKKメンバーの人物像はどれも辛らつである。アル中、手紙を読めない(つまり識字能力の低い)といったある種ステレオタイプ的な白人労働者階層の特徴を前面に押し出し、彼らに対して手厳しい批判を加える。そこには「KKKのメンバーなんてしょせんこんなもん」というリーの皮肉が透けて見える。だが、その中でも異彩を放つ、実際に黒人男性に妻をレイプされた過去を持つ理知的なリーダーが描かれることで、KKKが単なる「思想なき烏合の衆」ではないということを暗示される(だからこそ問題は根深い)。このバランスは見事だと思う。

 

 今作が『グリーンブック』と比べて優れている点をあえて挙げるとすれば、それは「レイシズム」や「人種」というカテゴリーがいかに相対的で、だからこそ解決が難しい問題なのかを見事に描き出している点にある。

 しばしば「人種」は本質的なものとして扱われる。代表的なものとしては「優生学」や「骨相学」があるだろう。「白人は黒人よりも遺伝子的に優れている」といった言説である。今ではそういった似非科学まことしやかに信じられることは少なくなったが、やはりあらゆる生活の場面で「人種」カテゴリーは顕現してくる。それはポリティカル・コレクトネスやきれいごとでは乗り越えられない壁のように思える。『グリーンブック』にはそういった困難をヒョイっと乗り越えてしまうような、物語だからこその軽快さがあった。しかし、今作はそういった物語としての「分かりやすさ」を観客には提供してくれない(そこにリー監督の意地悪さを感じる)。

 例を挙げよう。今作は人種的なマジョリティとマイノリティを多角的な視点から描き出している。主人公のロン・ストールワース(黒人)は白人が大半を占める警察署に就職する。当然、社内では黒人に対する蔑視が待っていた(白人警官の多くが黒人を「カエル」と呼称する)。この場合、マイノリティ→黒人、マジョリティ→白人である。

 しかし、黒人学生の社会運動団体に潜入調査することになったロンは、その中で居心地の悪さを感じるようになる。それは自らが警官であるという事から来るものでもあるが(彼らは警官を「ピッグ」と揶揄するが、それに対してロンは「カップ(cop)だ」と何度も訂正する)、それと同時に黒人のアクティビストたちのように全面的に白人を非難することができない自分がいるからだ。

 言いかえれば、ロンは「警察」という準拠集団と「黒人」という準拠集団の間で板挟みになっているというわけだ。黒人だからといって必ずしもみなが運動に賛同したわけではないという事実は、しばしば物語の中では捨象されてしまう。最終的に、ロンはKKKの犯行を未然に防ぎ、警察という集団の中で一目置かれる存在となる。しかし、ラストでは結局黒人アクティビストの彼女に「やっぱり敵である警察と一緒には寝れないわ」といわれ、決別する形になった(少し曖昧な描き方だったが)。つまり、警察の中では「人種」というカテゴリーを越えて認められたわけだが、人種集団の中ではかえって「黒人」というカテゴリーの紐帯の強さが邪魔になってしまったのである。

 ここに人種問題の難しさがある。「人種」というカテゴリーは、一方で他愛もなく乗り越えられるものになりながら(人種カテゴリーがいかに他愛もないかはKKK理事とロンとの電話や「純正英語」や「黒人英語」などの描写の中にも見て取れる)、他方でどうしようもなく強い「原初的愛着」を引き起こし、人々の認知を縛ることもあるのである。そういった現実の複雑さを簡略化することなく、複雑なまま描いている点が今作の優れている点である。

 

 冒頭で、リーが今作をトランプ以降の現代アメリカを想定して作ったことを述べた。だが、やはり70年代と現在ではレイシズムの潮流にもいくつか相違があるようにも思われる。作中のKKKメンバーのセリフの中に「黒人は最近でかい顔をしている」といったものが多くあった。作中でもいくつか言及があるが、当時はちょうど黒人が主演を務めるような映画やドラマ、音楽などが出てきていた時期だった。それらを通して白人のネイティヴィズムが刺激されたというのが当時の大枠の文脈であるだろう。

 では現在はどうか。もちろん、今でも原理的な白人至上主義者は相変わらずそういった類の主張を掲げているが、最近のフレームはむしろ「黒人に仕事が奪われている」といった「エスニックな競合図式」に取って代わられているように思える(それは以前はユダヤ人だったわけだが)。

 ならば、問題はレイシズムだけにあるのだろうか。そこにはレイシズムの問題と同時に新自由主義的な問題が横たわっている(最近、人種主義と新自由主義の関係を問い直す見方が提出されつつある。例えば、小井土彰宏,2019,「新自由主義的移民政策の潮流の中でーー日本の入管法改正を問う」『現代思想』47(5):47-58.)。そこに今日的な人種問題の難しさがある。

現代思想 2019年4月号 特集=新移民時代 ―入管法改正・技能実習生・外国人差別―

現代思想 2019年4月号 特集=新移民時代 ―入管法改正・技能実習生・外国人差別―

 

 

 いずれにしろ、本作はアメリカのアポリアである人種問題を真っ向から描き、かつ物語としての面白さを担保した優れた作品である。願わくばオスカーを取ってほしかったが、これが受賞を逃し『グリーンブック』が取った背景には何らかのハリウッドのポリティクスが働いてしまったのではないかと邪推してしまう。

 トランプ誕生以降、歩みを止めて歴史を振り返り、アメリカを見つめなおすような映画が多く世に出されるようになった(例えば、マイケル・ムーアの『華氏119』。これも傑作だった。これはトランプからナチズムや民主主義を問いなおす内容である)。今度は一体どんな名作が生まれるか、楽しみである。