「戸籍」とは何かーーその機能と役割について

 戸籍にはいかなる機能があるのか。遠藤正敬『戸籍と国籍の近現代史ーー民族・血統・日本人』の第一章をもとに簡単に整理してみたい。

 

戸籍と国籍の近現代史――民族・血統・日本人

戸籍と国籍の近現代史――民族・血統・日本人

 

 

 戸籍とは何なのか。遠藤は戸籍を「個人の身分関係の変動について記録し、国家が管理する公文書」(p.10)と定義している。戸籍自体は東アジアに特有のものだが、西洋でも身分登録制度は存在する。古今東西を問わず共通するのは、国家が人民を管理する目的でそれらの制度が作られたということである。

 ちなみに、ここで簡単に戸籍と西洋の身分登録制度の違いについて触れておくと(p.65)、第一に後者は基本的に個人を単位として登録が行われる。第二に、出生や婚姻、死亡などのイベントごとに個別の登録簿に記載される点である(日本の戸籍はそれらを統一のペーパーにまとめて記載する)。第三に、身分登録の対象となる記載が日本と比べれらば必要最小限に絞られていることである。戸籍には個人の親族関係などを事細かに記載されるが、個人を単位とする身分登録では出生や婚姻、死亡以外の事項は基本的に記載されない。もちろん、西洋の中でもそれぞれの国家で独自の国民登録システムを作っているが、基本的に上述の三つは共通している。

 戸籍の話に戻ろう。国家が人民を管理する目的で作られたのが戸籍であったが、遠藤によると、その目的はさらに①「国内人口の静態および動態を把握するという人口調査」②「個人の身分関係を把握するという個人識別」の二つに集約できるという(p.10)。①は簡単に言えば人口統計や国勢調査に近いものとして戸籍が用いられるということを意味しており、②はそういった簡単な人の「数」や「移動」に注目するだけではなく、一人一人の出自やそれにもとづく身分を系統的に把握することを意味している。

 だが、戸籍におけるこの二つの機能は同時に発生したものではなかった。つまり、古代国家では①の目的のみで戸籍が用いられていた。というのも、「国民」という概念もなく、国家の領域も成員も明確に確定していなかった当時は、徴兵や徴税、労役といった義務を人民に賦課することがまずは念頭に置かれたからである。したがって、性別、年齢、職業、世帯数など最小限の人口構成を把握することだけで十分だったのである。また、近代以前は国家というもの自体がなかったから当然ではあるが「国籍」も存在しなかった。国籍が発明されるのは、ナポレオン期のフランスやプロイセンであるといわれるが、それが東アジアに輸入されるのは19世紀末から20世紀初頭にかけてである。したがって、近代以前は戸籍への登録がすなわち「国家が個人を『国民』として認証する意味をもったと考えられる」(p.10)。

 そして近代に入ると、状況が一変する。産業革命の影響で人々の職業も多様化し、都市化に伴って人々が移動する範囲も拡大する(特に農村部から都市部へ)。さらに、国家が労働者保護や社会保障などの各種福祉政策や治安維持などを担うようになり、「夜警国家から福祉国家へ」と変化していく。そのため、おのずと国家は単純な「人口調査」以外にも、個人の家族関係(出生・結婚・離婚・死亡、どういう家族構成かなど)や居住関係(出生地と現住地など)をより詳細に把握することが求められるようになり、戸籍に上述の②の機能が付与されたわけである。

 現在では、国勢調査などが発展・整備されたことで、戸籍における①の機能はほとんど顧みられることはなくなったかもしれないが、個人的には完全になくなったわけではないと考える。実際には、①と②の機能は時系列的に発展したが、今では二つの機能が相互補完的に用いられているように思う(特に戦後初期の台湾では中国全土の国勢調査を実施することが不可能であったため、「戸口調査」を国勢調査として援用していた。つまり①の目的で戸籍が用いられていた。と同時に、省籍が重要な区分になるため、個人の身分関係つまり出自を把握する②の機能も重視されていた)。

 

 つづいて、戸籍に何が記載されるのかをやや詳細に見ていこう。ここでは、主に日本の戸籍が議論の対象となる。現行戸籍法第6条では、戸籍は「市町村の区域内に本籍を定める一の夫婦及びこれと氏を同じくする子」を単位として編成されるとしている。つまり、「本籍と氏を同じくする『家族』が同一の戸籍に入るということである」(p.27)。これを「一家一籍」の原則という。さらに、戸籍法第13条では、戸籍の記載事項として、①氏名、②出生と年月日、③戸籍に入った原因及び年月日、④実父母の氏名および実父母との続柄、⑤養子である場合は、養親の氏名および養親との続柄、⑥夫婦については、夫または妻である旨、⑦他の戸籍から入った者については、その戸籍の表示、⑧その他命令で定める事項、の八つを挙げている(p.27-28)。個人の家族関係は多様なので、実際にはこの八つの中で当該個人に関係する内容が記載されることになる。

 ほとんどの場合、戸籍は人生における種々のイベントを経て、その記載内容が書き換えられる。例えば、婚姻や養子縁組などによって従前の戸籍から他の戸籍に入ったり、あるいは開設したり、子は成人すると親の戸籍から独立して新たに自分を筆頭者とする戸籍を作ったりすることができる(これを「分籍」という)。戸籍制度自体がそもそも国家が個人を管理するために作られたものであることは前述したが、では国家は戸籍を参照することによって人の異動をどのように管理しているのだろうか。

 遠藤は、「過去から現在までの身分変動というタテ軸」「現在の親族関係というヨコ軸」のベクトルを駆使することで戸籍上の人の異動が把握されると述べている(p.30)。これを戸籍の「索引的機能」という。例えば、一つの戸籍において親が死亡したり、子が婚姻や養子縁組などによって他籍に移ると、一人ずつ戸籍から除かれる。最終的にすべての家族構成員が戸籍から抜けると、その戸籍は戸籍簿から外され、「除籍簿」に移される(2010年の法務省通達によって、除籍簿の保存期間は150年とされた)。そして、新たな戸籍に入った場合、その中に以前に所属していた戸籍が記載されるようになっているため、現在の戸籍を見ただけで個人の出自を明治初年の壬申戸籍までさかのぼることもできる。これが「タテ軸」を駆使した索引である。そして、言うまでもなく戸籍には親族関係も記載されるため、現在存命の家族構成なども把握することができる。また、タテ軸の索引を使えば、本人の直接的な関係を持たないような遠戚を特定することも可能である。そして、こういった戸籍の索引的機能を補完するのが、夫婦親子同氏の原則である。同じ戸籍に記載されている者は、原則として「氏」を同じくするという前提があるからこそ、連綿と続く親族関係を検索することが容易になるというわけである(p.48-49)。

 このように、戸籍は個人単位ではなく親族団体を単位とし、かつ西洋の身分登録制度のようにイベントごとにバラバラにではなく、個人の出生から死亡までの出来事を統一的に記録しているため、個人の身分関係と親族関係を時系列的に把握することが可能になるのである(p.31)。これを戸籍の「系譜的構造」という。これが官僚をして「戸籍は世界に冠たるもの」と言わせしめる所以となっているのであるが、これはひとえに国家が個人をより効率よく管理することを念頭において作成された制度であることを忘れてはならないだろう。

 

 そのほか戸籍に関わる事項をいくつか整理してみよう。まずは「本籍」についてである。正直、この本籍は非常に奇妙で難解な概念である。本籍は「戸籍の所在地」つまり戸籍編製の基準となる場所を指すが、それは個人の住所でも出生地でもない。「つまり本籍は、登録される個人および家族の現実生活と必然的な関係をもたない観念的な場所であり、本籍を同じくする者が必ずしも共同の生活を営んでいるわけではない」(p.34)のである。本籍が行政上の意義を持ったのは、明治以降のことである。戸主の設定した本籍が家の所在地となるので、「○○町××番地の戸主△△」と検索すれば、その戸籍に記載される家族関係を把握することができる。つまり、本籍の現実的な役割は、今も昔も一貫して戸籍の「索引的機能」を補うことであった(p.34)。

 本籍の所在地は基本的に戸主(今でいえば戸籍の筆頭者)が日本の領土内であれば自由に選択することができる(例えば皇居とか尖閣諸島とか)。壬申戸籍の時代は、選択自由とはいえ、自分の出生地とか地縁にもとづく場所に定めるのが原則とされており、人の移動もそれほど流動的ではなかったため、ほとんど住所=本籍という建前が成立していた。しかし、近代化・工業化によって農村から都市への流入が加速すると、本籍と住所が一致しない人々が出てくる。だが、その際にも「本籍」は廃止されることはなく、むしろそういった事態に場当たり的に対処するために「寄留制度」が設けられるようになった。「寄留」とは本籍以外の場所に一定期間住所を有することを指す。1914年の戸籍法改正と同時に「寄留法」が公布施行され、本籍がない者、本籍が不分明な者、外国人で90日以上一定の場所に居住する者を「寄留者」として「寄留簿」に記載すると定められた(p.36)。ちなみに、台湾・朝鮮・樺太など、内地戸籍とは異なる「民籍」を定められていた植民地住民は基本的に外地ー内地間での本籍の異動が禁止されていたため、内地へと徴用・出稼ぎに来た植民地住民もこの寄留法によって処理されるものとなった。この寄留法は戦後廃止されたが、現在では形を変えて「住民登録制度」として残存し、戸籍に添付される「附票」に、戸籍に記載されている者の住所情報の変更が逐一書き込まれている(p.37)。

 また、興味深いのは1873年時点で、すでに壬申戸籍を「公式統計」として使うことに異議が唱えられていたことである。日本で初めて国勢調査が実施されるのは、20世紀に入ってからで、それまでは戸籍がすなわちセンサスの役割を担っていた。しかし、「日本近代統計学の祖」とされる杉享二は、戸籍が「父祖親族之続」の調査がメインとなっており、また本籍を基準として編製されるため、およそセンサスとしての機能を果たしてないと指摘し、これとは別の「国勢調査」の実施を要請していたのである(p.35-36)。

 ここまで各方面から批判されてきた本籍制度が、なぜ現在においてもなお存続しているのかについて納得できるだけの説明はあまりない。だが、戦後の新国籍法の起草にも関与した平賀健太の以下の言葉はその理由を最も端的に表したものの一つといえるかもしれない。

我が国の戸籍制度においては、戸籍の記載を受ける資格のある者は、日本国民に限られかつ日本国民はすべて戸籍に記載されるという建前である。しかるに他方戸籍制度の基礎をなすものは本籍である。本籍は現実の居住の事実とは必然的な関連を持たないが、それでもなおそれはわが国の国土における一定の場所である。してみれば、日本国民はすべて戸籍に記載されることによって本籍をもち、この本籍をもつことによって観念的にではあるが日本の国土との間に地縁的なつながりをもっている(丹野清人『国籍の境界を考える』p.103より印用)

  つまり、本籍は移動の自由は認められてはいるものの、その範囲は原則日本の「国土」内に限定されている。したがって、戸籍に記載される者は観念的にではあるが、日本に対して「地縁的紐帯」を持たざるを得なくなる。いいかえれば、国家としては国民を「日本という領土」につなぎ留めておくために「本籍」を廃止せずにいるのではないかということである。

 

 つづいて戸籍の届け出に関してである。日本の戸籍は原則として、戸籍上の身分変動があった場合に個人が自発的に役所に届出を行う「届出主義」を採用している。この届出には二つの種類がある(p.37)。一つ目が「報告的届出」であり、出生や死亡、氏名の変更、帰化、国籍の得喪などの既成の事実を個人が事後的に届け出ることを指す。二つ目は「創設的届出」で、婚姻や離婚、養子縁組、離縁、認知、入転籍、分籍などの届け出によってはじめて法律上の効果を生じる届出を指す。基本的に前者は義務的なものとされ、届出を怠れば過料が課される場合がある一方で、後者はあくまでも任意の者であるため強制力はない。

 また、戸籍の届け出は「属人的効力」「属地的効力」の効力を有している(p.38)。前者は、戸籍法が日本国民すべてに適用される以上、たとえ海外に住んでいる者であっても日本国籍を有する者であれば身分変動に関する事項は届出を行われなければならない(海外在住者は在外公館に)とする効力である。後者は、戸籍法の施行される日本の領土内で起こった身分の変動はすべて届出によって明らかにする必要があるとするものである。そのため、戸籍法適用外とされる外国人であっても、日本国内に居住する場合、身分変動があれば出生届や死亡届などを日本人と同様に提出しなければならない。

 届出主義は基本的に個々人の自発的行動に依存するため、国家は「届け出を行わなければ害を被る」という規範を押し付けることで国民の自発的行動(これは矛盾しているようにも思えるが)を促進しようと試みる。例えば、戸籍への記載がなければ個人の身分証明ができないとか、権利や遺産相続などをすることができないとすることで、国民は半ば強制的に届出へと駆り立てられる。ほかにも、「籍を入れる」という言葉からも分かるように、戸籍への記載をシンボリックな「結婚」と結びつける言説がこの規範の創出に寄与している面もあるかもしれない。

 

 最後に、日本の戸籍と関連して中国における「戸口登記制度」について簡単に整理してみよう。そもそも戸籍制度自体が古代中国の発明品ではあるのだが、中華人民共和国が現在用いている戸籍制度は正式には「戸口登記制度」といい、厳密には古代からの戸籍制度とは性格を異にする。戸口登記制度は1958年の「中華人民共和国戸口登記条例」にもとづいて作られたものであり、「中華人民共和国公民」はすべて戸口登記簿および戸口簿に記載され、それをもって公民たる身分が証明されるとしている(第4条)。

 だが、家族関係を詳細に記録する日本の戸籍とは違って、戸口は基本的に「居住登録」に重きを置いている。同条例第5条において、戸主のもとに同居している者を「戸」とし、これを単位として戸口登記簿が編製されると定めている。この「戸」とは「世帯」のことを指し、血のつながりを前提としたものではなく、あくまでも「同居者」であるのが日本戸籍と明確に異なる点である(p.71)。

 また、日本では登録基準地となるのは「本籍」であったが、中国では「常住地」とされ、さらに日本とは対照的にその常住地の異動は厳格に禁止されている。日本でも有名なように、戸籍移動が厳格に禁止されていることから、中国では農村戸籍都市戸籍の別による格差が横行しており、改革開放以降、都市部に都市戸籍を持たない「農民工」が増加するという事態が起きた。都市部の戸籍を持っている人はその土地で各種サービス(教育、就職、社会保障など)を受ける権利を享受できる一方で、当該地域外の戸籍しかない者は平等なシティズンシップから締め出されることになる。また、戸口登記事務は、都市においては公安機関、農村部においては人民委員会が担当しており、その点からも戸口がそもそも警察的目的から設計されていることを看守できる(p.71)。

 また、日本では夫婦親子同氏の原則があったが、中国では男系を示す「姓」を先祖から受け継ぐことで同一の血統が確認される「宗族」という観念がある。「姓」は父から受け継ぎ、終生不変のものとされるので、日本のように妻が夫の戸籍に入り、姓を変更するといった慣習はない。基本的に中国の婚姻法では、結婚後も夫婦はともに自己の姓を維持する権利を認めている(p.57)。したがって、戸口においても「姓」を同じくする者だけがそこに記載されるのではなく、異なる「姓」であっても記載される点に日本戸籍との相違点がある。