大阪なおみ選手と「ハーフ」をめぐる言説について

 今週、大阪なおみ選手の全米オープン優勝のニュースが駆け巡った。それ自体は非常に喜ばしいニュースだが、そのニュースをめぐって様々な言説が吹き荒れている。ここでは、そのニュースについての雑感などをまとめてみたい。

 

 大阪なおみ選手優勝のニュースは、当初驚きと称賛をもって受け入れられていたが、次第に議論の水準が移行していった。「果たして彼女は何人なのか?」彼女の国籍帰属やアイデンティティなどをめぐって、(本人の意思とは全く関係なく)ネットを中心に議論が拡散していったのだ。彼女は現在20歳、国籍選択の義務を課された22歳までまだ猶予があるため、現時点ではアメリカと日本の二重国籍を有しているという状態である。じゃあ、彼女はアメリカ人なのか、日本人なのか。はたまた、父親の出身地であるハイチ人なのか。ネットではそういった○○人の定義をめぐって、(時には言及するのもはばかられるようなものも含めて)多種多様な言論が提出された。

 しまいには、メディアが記者会見の場で、彼女のアイデンティティを問うような場面まで見られた。ここでは記事は引用しないが、記者会見で投げかられた質問は、「海外で大阪さんの活躍や存在が古い日本人像を見直したり、考え直すきっかけになっているという報道があるが、ご自身のアイデンティティなどについてどういう風に考えているのでしょうか」といった内容である。

 これはグローバルスタンダードで考えればアウトな質問であることは言うまでもない。いわば、公開の場で自らの帰属を明かすことになるわけである。運よく大阪選手の回答が自らのアイデンティティを特定するようなものではなかったからよかったものの(というかあの場面ではああいう風に答えるしかない)、もし「私は○○人である」という風に答えていたら面倒な問題になりかねなかった。そこまで発展していたら、あの記者はその責任を負う覚悟はあったのか。質問する前にはたと考える時間はなかったのか。その逡巡があったにしろなかったにしろ、この質問自体に人種やエスニシティに対する日本の鈍感さが透けて見えた。

 

 と、こういった具合に、多種多様な議論が提出されたわけだが、以下の記事ではその議論の類型を大きく分けて四つに分類している。

 

www.hafutalk.com

 

大坂なおみさんは「日本人」

大坂なおみさんは「日本人ではない」「日本人としては違和感」

③ 何人(なにじん)かはどうでもよい。選手としてすごい

大坂なおみさんのインタビューや語ったアイデンティティになるべくそったような表現を心がける

 

 さらに、①は「『日本の誇り』『日本人すごい』といったように、なおみ選手の活躍と『日本のすばらしさ』を結び付けようという語り」と「『日本人』は、実際には多様である。大坂なおみ選手のように、『日本人』は多様化している。大坂なおみさんたちの存在で、『日本人』が多様化する」という二つの言説のタイプに分けられるという。つまり、大阪なおみ選手を「日本人」と名指す人の中にも、異なる「日本人論」を掲げる人々がいるというわけである。これは「△△は○○人である」というカテゴライズの言説自体は同じでも、その中にも様々な「根拠の示し方」があるということを示していて興味深い。こういった「日本人論」は普段は意識されることはないが、社会の中に通底しており、今回のようなデリケートな事件が起きた時に突如として吹き出す。どういった「根拠の示し方」が出るかはおそらくその議論のテーマに依存することも多いだろうが、ある程度、日本の主要なナショナル・アイデンティティを反映したものになっている。

 個人的にSNSを追って見ても、だいたいこの四つの言説の類型に大別できると思う。「日本人」or「日本人でない」という大筋の議論を繰り広げる①②にくわえて、そういった議論をすること自体がバカらしいという③は「何人かはどうでもよい」と述べる。そして、そういった他人によるアイデンティファイにくぎを刺し、アイデンティファイは個人の自由で当人に任せようという④も存在する。これは、おそらく大阪選手に限らず、何らかの業績を残した重国籍日本人ないしは外国籍日系人などをめぐる議論で頻繁にみられる類型だろう。

 また、記事によると、④のようなタイプはSNSやメディアを含め、日本の言論のなかにはあまり見られず、むしろ海外メディアの中で出てくる傾向にあるという。言及されているワシントンポストの記事では、見出しに「日本人、ハイチ人」と二つのカテゴリーを併置する方針を取っているという。これは多様なルーツを持つ人種が混在する米国ならではといえるかもしれない(おそらく日本の記事の中にも彼女が日本人とハイチ人のハーフであることは示されているだろうが、それを記事の見出しにまで出した者はないだろう)。

 

 このように、二重国籍の問題は国内外で(本人からではなく外野で)大きな議論を巻き起こす、非常に敏感な問題である。2年前に起こった蓮舫議員の国籍問題と比較してみても面白いだろう。今回の議論は、国籍が個人の問題であると同時に、国家の問題でもあるということをの如実にあらわしている格好の事例だった。