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Rogers Brubaker "Nationalism reframed: Nationhood and the National Question in the New Europe"

 

Nationalism Reframed: Nationhood and the National Question in the New Europe

Nationalism Reframed: Nationhood and the National Question in the New Europe

 

 

 今回は、Rogers Brubaker "Nationalism reframed: Nationhood and the National Question in the New Europe" の2~3章をまとめる。

 ロジャース・ブルーベイカーの理論的枠組みや既存のナショナリズム論に対する反論等は前回のブログ記事でも紹介したので、ここではイントロと1章は割愛。(ブルーベイカーの理論枠組みについては以下のエントリを参照)

 本書は1996年に出された本で、ブルーベイカーがその後にカテゴリー論などの導入によって精緻化していく理論のフレームワークの素描を行っている。だが、カテゴリー論以外に本書の注目すべき点は、ナショナリズムを一つの地域に限定した視点によってではなく、「民族化する国家(nationalising state)」「民族的マイノリティ(national minorities)」「祖国国家(external homeland state)」という三項関連図式(triadic nexus)の中で捉えなおそうとしたことである。これは、ヨーロッパ、特に中東欧をフィールドとして研究を行ったブルーベイカーだからこその視点の転換であるといえる。

 さらに、当時90年代の終わりごろは、ソ連の崩壊やEUの台頭などによってナショナリズム(この場合のナショナリズムとはWW2時代のいわば「過激なナショナリズム」である)に対する楽観的な論調が目立っていた。そういった論調に対してブルーベイカーは、こういう時代だからこそナショナリズムは「解決」されたのではなく、むしろ従来とは異なる形に「再形成された(reframed)」のだと警鐘を鳴らしたのである(p.3-4)。そしてそのスタンスを彼は今でも全く曲げていない。

 

 では、その三項関連図式とは何なのだろうか。以下はイントロのp.4-7の簡単な要約である。

①民族化する国家(nationalizing nationalism)
新しい独立国家(あるいは再編成された国家)に多い。
民族化するナショナリズムは「核となるネーションあるいはナショナリティ(”core nation” or nationality)」の名のもとに形成され、エスノ文化的な用語で定義され、全体としての国民(citizenry)とは区別される主張を伴っている。
核となるネーションは、その国家の正当な「所有者(owner)」とされ、その国家は核となるネーション「の(of)」、あるいは「ための(for)」の国家になる。しかし、「自らの」国家を有しているにもかかわらず、核となるネーションはその国家において文化的・経済的・人口上に脆弱な立場にある。このような脆弱な立場――独立を果たす前のそのネーションに対する差別の遺産のように見えるが――は、核となるネーションの特定の(そしてこれまでそれほど十分に与えられなかった)利益を促進するために国家の力を使う「矯正の(remedial)」または「償いの(compensatory)」計画を正当化するために用いられる。

②祖国国家(external national homeland)
民族的な祖国は、他国にいる「かれらの」エスノ民族的な同胞(kin)の状態(condition)を監視し、福祉(welfare)を促進し、活動や機関を支援し、権利を主張し、利益を守るための国家の権利――そして実際その義務――を強く主張する。そういった主張は、エスノ民族的な同胞が、彼らが居住する国家の民族化(そしてエスノ民族的な同胞からすれば脱民族的な)政策や実践によって脅かされているとみなされる場面で典型的に起こる。したがって、祖国のナショナリズムは、民族化するナショナリズムに対する反抗、そしてそれとの動態的な相互関係の中で生起する。民族的マイノリティの地位が厳密に国内の問題であるという民族化する国家に特徴的な主張に反して、「祖国」国家はエスノ民族的同胞に対応する権利や責任は領域やシティズンシップの境界を越えると主張する。この意味で、「祖国」は地域的なカテゴリーというよりも政治的なカテゴリーなのである。文化的・政治的エリートが、他国の特定の住民(residents)や市民(citizens)を同国民(co-nationals)、単一の越境的なネーションの同一成員(fellow member)と見なすときや、彼らがその共有された国民性(nationhood)によって、自らの国民(citizens)だけでなく、他国に居住し、他国のシティズンシップを有している民族的な同国民に対してもその国家の責任が生じるのだと主張するときに、国家は外部の民族的「祖国」になる。

③民族的マイノリティ(national minorities)
彼らは前二者とは異なる独自のナショナリズムを有している。彼らも自身のナショナリティの地平で主張をおこなう。実際、彼らを民族的マイノリティにしているのは、そのような主張である。「外部の民族的祖国」や「民族化する国家」と同様に、「民族的マイノリティ」は人口上の事実ではなく、政治的立場を示す。マイノリティ・ナショナリストの立場は、特徴的に単なる「エスニック的(ethnic)」というよりもむしろ特に「ナショナル(national)」な用語による自己理解や、国家に対しての独自のエスノ文化的なナショナリティの認知の要求、特定集団のナショナリティにもとづく文化的・政治的権利の主張を伴う。民族的マイノリティと祖国のナショナリズムは両者とも、そのマイノリティが居住する国家の「民族化する」ナショナリズムに対抗して自らを定義づけるが、彼らは必ずしも調和的に連携しているわけではない。違いは祖国のナショナリズムが他の進行中の非ナショナリスト的な政治的目標として戦略的に祖国国家に採用されるときに起こるであろう。この場合、例えば地政学的目標がこれを要求したときなどに、海外の民族的同胞は唐突に切り捨てられるかもしれない。

 

  ブルーベイカーはこの三項関連図式が適用できる例として、ソ連の旧統治下にあった東欧の国々(この場合、民族化する国家→東欧諸国(successor states)、民族的マイノリティ→東欧諸国に居住するロシア系住民、祖国国家→ロシアという図式になる)のほかにも、華僑なども挙げている(この場合、民族化する国家→東南アジア諸国、民族的マイノリティ→東南アジアの華僑、祖国国家→中国(あるいは中華民国)という図式になる)。

 さらに、3章で詳しくこの図式の説明が試みられている。注意すべきは、「祖国国家」が必ずしも海外に住む「民族的マイノリティ」の実質的な出身国ではあるとは限らない点である。ある国家が(時には「民族的マイノリティ」の利益や要望を無視する形で)彼らの処遇をめぐって主張を展開し、何らかの政治的アクションを行った時、その国家は「祖国国家」に”なる”のである(p.58)。したがって、両者の主張のロジックは全くの別物として捉えなくてはならない。

 この三項関連図式を「集団主義」的視点によってではなく、「関係論」的視点によって把握するために、ブルーベイカーはブルデュー政治界(political field)」の概念を導入している(p.60)。ブルデューは社会的なアクターが自らの資源や資本(=賭け金)を動員しながら、他のアクターと自らの差異化や競合していく闘争的空間としてこの「界」の概念を使った。同様に、それはナショナリズム運動(この中には政府レベルのものからより下層的なものも含む)にも適用できる。

 例えば、民族的マイノリティは静的な「集団」ではなく、「動態的・政治的立場(dynamic political stance)」、あるいは「関係しながら、時には相互に競合する立場の集合(a family of related yet mutually competing stances)」である(p.60)。したがって、民族的マイノリティは民族化する国家に対して様々な主張を展開するが、その中には教育の拡充や政治参加の要求、領域的・政治的自治権の要求など内容に大きな開きがある。さらに、それは民族的マイノリティ内部においても同様で、外部からは一枚岩に見える彼らの中にも様々なアクター間の駆け引きが存在するのである。

 〔「界」の概念を使うことによって、〕民族的マイノリティを異なる組織、政党、運動、あるいは個人的な政治的名望家によって採用された、差異的で競合的な位置(position)や立場(stance)の界として捉えることができる。それぞれが自らの名目上の成員や受入国、外部世界に対してマイノリティを「代表」していると主張し、それぞれがその集団の正統的な代表性の独占を狙っている。(p.61)

 また民族化する国家は、「民族化(nationalising)」という表現を使うことで、「国民国家(nation-state)」というブラックボックス化された静態的な集団ではなく、それがまだ「未達成の国家(unrealized nation-state)」であるというニュアンスを表現できる(p.63)。つまり、国民国家は完成された一つの到達点ではなく、常にその内部のアクター(政党、政治家、ロビー活動団体など)によって刷新される集合なのである。さらに、民族化国家の政策は外部の界にも影響を及ぼす。つまり、民族化が単なる実践レベルではなく、政策レベルで明確なプロジェクトとして採択され、はっきりと法的に正当化され、主張されると、民族化する国家の認識は、民族的マイノリティや祖国国家の政治界にも波及していくのである(p.64)。

 「界」の概念を使うことによって、一つの国家における広範囲な民族化の立場にフォーカスすることができ、関係的だが独自の、相互に反目する異なる位置づけによって採用された立場が、我々が便宜上「国家」と呼ぶ、複雑で組織間/内的なネットワークの中、あるいはその周辺で形成されることを理解できる。(p.65-6)

 最後に、祖国国家は外部の民族的マイノリティに対して統治の正当性を主張するが、その主張の仕方も多様なパターンが考えられる。例えば、道徳的な支援を当てる場合もあれば、物質的な支援を施す場合もある。さらにそれに呼応して民族的マイノリティは祖国国家に対して、様々な移住やシティズンシップの権利を要求するかもしれない。そして、それはどのような手段、手続きによって行われるのか。また、それはもしかしたら様々な国際的討論の場で推進されるかもしれない(p.67)。そして、当然「祖国国家」の政治界の中にも多様な立場、そして競合関係が存在し、祖国の政策立案者は母国政治における基礎となる前提にも異を唱えることになるため、当然内部の政治闘争も激化する(citizenshipの範囲や福祉需給の問題など)。

 このように三項の政治界はそれぞれの界に影響を及ぼし合いながら、またぞれぞれ自らの界の内部でも闘争を繰り返している。そしてその全体的な闘争のプリズムによって新たな政治的布置構造が生産・再生産されるのである。これがブルーベイカーの言う「関係論的(relational)」なナショナリズムの理解である。再度三項関連図式の骨子をまとめると以下のようになる(p.69)。

①界の「内部」そして「間」の関係の密接した相互依存関係

②界間の三項関連の呼応的(responsive)・相互作用的(interactive)特徴

③呼応的関係の媒介的特徴(呼応的・相互作用的立場取りは、外的界の立場の代表、あるいはすでに一時的に取られた立場によって形成されているかもしれない代表によって媒介される?)

 

 

 以上が三項関連図式の3章で説明される要旨である。以下では続いて、2章の内容を整理する。2章では、ソ連を事例にナショナリズムを「制度論的に説明する」ことが試みられている。ちなみに、ここでいう「制度論」とは新制度論的社会学のことを指していると考えられる。参照文献として挙げられているのは、DiMaggio and Powell eds. "The New Insutitutionalism in Organaizational Analysis"である(p.24)。非常に単純化して言えば、新制度論的社会学とは、社会的に構築された「制度」(この中にはいわゆる政府や組織が作る制度だけでなく、学校や家族、社会的な規範などのルールなども含んでいる)が、いかに人々の認識や社会的選択を形成・媒介・経路づけるのか、そしてその行動の結果がいかに既存の制度の再生産・刷新へとつながるのかを解明しようとする学問的潮流である(p.23-4)。

 ソ連の崩壊によって多くの東欧国家は独立を果たしたが、いわゆるそれらの「後続国家(successor states)」においても旧ソ連の「遺産」が尾を引いてネーション・ビルディングに影響を及ぼした(ブルーベイカーはソ連の民族的特徴を「制度化されたマルチ・ナショナリティ(institutionalized multinationality)」と表現している)。いわく、「ソ連は人工統計上(ethnodemographic)の意味においてーー国民の異常なまでのエスニック的異種混住性という意味においてーーだけでなく、より基本的に制度的(institutional)な意味においてマルチナショナルな国家であった」(p.23)のである。

 これはどう意味か。後に詳述するが、ブルーベイカーによると、ソ連による「国民性(nationhood)」と「国籍(nationality)」の制度化には、①領域的・政治的なものエスノ文化的・個人的なものとの二つがあった(nationhoodとnationalityはどちらも「国民性」と訳せるため非常に厄介である。しかし、ニュアンスとしては前者は文化を含めた国民性であるのに対して、後者はより公的・制度的な「国民性」を表していると考えられるため、ここでの訳語として「国民性」と「国籍」を当てた。だが、それも必ずしも正しいとは言えない。後者はむしろ「民族籍」「地域籍」と訳した方がよいかもしれない)。

 ソ連の領域的国民性と個人的国籍の制度は、広範囲に及ぶ社会的分類システム、体系的な社会的世界の「視覚と区分の原則」、社会的説明の標準化された図式、公的議論のための解釈的格子(grid)、境界策定のセット、公的・私的アイデンティティの正当的形態、そしてゴルバチョフ時代に政治的空間が拡大した際の、主権に対する主張の便利なテンプレートを構成した。(p.24)

  このように、ソ連時代の国民性の制度的定義付けは後続国家における政治的エリートの行為を制約する(constrain)というよりも、むしろ彼らの政治的理解の基本的カテゴリーや政治的レトリックの中心的パラメータ、政治的利害関心の型、政治的アイデンティティの基礎的形態を構成し(p.24)、後続国家はいわばソ連のレガシーのライン上で様々な民族的・政治的コンフリクトを形成していったのである。

 では、具体的にソ連による「制度化されたマルチ・ナショナリティ」とは何なのだろうか。例えば、かつてマルチ・ナショナルだった国家(帝国)の例としてハプスブルグ帝国などが挙げられるが、ソ連はいかなる点でそれらの国家と区別されるのか。ブルーベイカーはその説明として、第一に、ソ連の統治者が「ソビエト・ネーション」を作ろうしなかった点第二に、かといって彼らが「ロシア国民国家」を作ろうとしたわけでもなかった点を挙げている(p.28)。もちろんソ連は60~70年代にかけて「ソビエト人民」というカテゴリーを掲げたが、それもナショナルなものというよりも超ナショナル(supra-national)なものとして捉えられていた。さらに、ソ連においてはロシア人がやはり支配的なネーションだったが、だからといってかつてドイツ帝国がハプスブルグのオーストリア系住民に対してドイツ語を公用語として強要したような政策が取られることはなかった。

 〔ソ連が従来の国民国家モデルとは一致しない点として、〕エスノ領域的な連邦制、個人の国籍の精巧なコード化やそれに付随する広範囲の意味付け(significance)、多数の異なる民族的インテリゲンチャの醸成、ほとんどの場合「自ら」のナショナルな領域の中で居住・活動することを許された異なる民族的中核グループの醸成、1920年代~30年代初めに起こった非ロシア系ネーションの結集を画策するネーション・ビルディングの計画的な政策、多数の民族的言語の醸成と法典化、非ロシア言語による高等教育を含んだ学校化の精巧なシステムの発展が挙げられるだろう。(p.29)

 繰り返しになるが、ソ連による国民性と国籍の制度化には、①政治と行政の領域的組織化②個人の分類の二つの種類があった(p.30)。ソ連は15の連邦共和国に分かれ、それぞれの地域である程度の自治裁量が認められていた。そして、このエスノ領域的な連邦制を補完するのが、個人の国籍のシステムであった。エスニックな国籍は単なる「統計的カテゴリー」なだけでなく、社会的な説明の基礎的なユニットであり、国勢調査や他の社会調査においても援用された。そして、それは義務的・帰属的な「法的カテゴリー」であり、個人の法的地位の重要な要素であった。また、それは「国内パスポート」や「個人的書類」の中に記載され、子孫によって受け継がれ、官僚や公的処理によって記録されていった(p.31)。より高レベルの教育や特定の雇用への応募などの場面において、国籍は個人の人生のチャンスを形作っていったのである(例えば、ユダヤ人は冷遇された一方で、非ロシア系共和国に居住するロシア人は「アファーマティブ・アクション」と称して優遇を受けた)。

 だが、ここで注意しなければならないのは、個人の身分の公的証明としての「国籍」は、もともと1932年に新たな国内パスポートシステムを整備するために導入され、当初は集団化しつつあった農民や増加する都市の労働力、移民の制御が目的だった点である。つまり、それ以降に用いられるようになった国籍による国内のネーションの分断は、意図せざる帰結として起こったというわけである(p.32)。

 そして、このようなエスノ領域的な連邦制と個人の国籍はしばしば齟齬を起こす。つまり、あるネーションの法的領域と個人の国籍が一致しないことがしばしば起こりうるのである(例えば、ネーションの領域としてのウクライナと個人的国籍としてのウクライナ人の不一致、領域としてのエストニアと国籍としてのエストニア人の不一致など)。そもそも国籍は血統にもとづく分類であって、居住にもとづくものではない。そのため、国家による移民や恣意的な境界線と歴史的な混住地帯の「きれい(clean)」な線引きの不可能性は、ネーションの領域と国籍の空間的分断とのミスマッチを引き起こしたのである(p.33)。

 また、ソ連の制度化されたマルチ・ナショナリティはネーションの領域と個人の国籍の齟齬だけでなく、①領域的・政治的国民性②個人的・エスノ文化的国民性との間の齟齬をも生み出した(p.34)。ネーションは第一に領域的に境界付けられた自己統治的な集団、その領域的・政治的フレームによって形作られ「構成」された集団である(p.34)。だが、これは西欧国民国家においては適合的なモデルであるが、中東欧諸国の場合には当てはまりにくい。つまり、政治的組織体(political units)と文化的組織体(cultural units)の範囲が一致しないのである。この地域においては、ネーションは概念的にも因果的にも政治的領域に従属しているのではなく、エスノ文化的共同体(特に言語による共同体)なのである(p.35)。

  ①と②の齟齬は、例えば領域にもとづいた民族自決の論理を貫徹しようとすれば、必ず言語・宗教・文化などの側面で統治の領域から漏れてしまう人々が出てしまうし、また個人にもとづいてネーションを構築しようとすれば、必ず移民などの動態的で不安定なアクターによってネーションが変化することが不可避となる(p.39-40)。ソ連ナショナリティ政策の文脈で言うならば、コア・ネーションのロシア人による「領域的自治」とロシア人以外による「非領域・文化的自治」の間で齟齬が生じるのである(p.40)。

 

 以上がソ連時代のマルチ・ナショナリティの特徴であったが、ではソ連崩壊後の後続国家はどのようにその「遺産」を継承したのだろうか。

 ソ連解体後、それぞれの元共和国でエスノ文化的グループ(例えば非ロシア系国家で暮らすロシア人など)が自らの領域の自治など様々な主張を掲げた。彼らは、法的機関や社会的慣習、文化的態度によって民族的表現で制度的に定義されたが、制度的に組織化・強化されることはなかった(p.42-3)。だが、法的には結晶化しなかったが、のちに後続国家によって国民性のエスノ文化的定義が形成されていく。

 後続国家がまず直面したのが、「シティズンシップ」と「国民性(nationhood)」との間の問題である。問いは大き分けると以下のようなものがあった(p.43-4)。

①誰が形式的シティズンシップあるいはその他の意味や地位においてその国家に属するのか?

②どの集団がその国家の市民(citizenry)を構成する(すべき)のか?

③どの範囲までシティズンシップはエスノ文化的ナショナリティにもとづくor一致すべきなのか?

④形式的な市民の範囲外に、例えば他国のエスニック同胞のようなその国家に特別な主張を持ったり、その国家が特別な利害関心を持つ運命にあるような人々はいるのか?

⑤反対に、実質的な意味での十全な市民のメンバーではない形式的市民の内部に何か他のものが存在するのだろうか?

⑥どんなシティズンシップを国家は制度化するのか?

⑦シティズンシップは個人的にもたらされるのか、あるいは何らかの形でエスニック的あるいはナショナルな集団と成員資格に媒介されるのか?

⑧シティズンシップの権利はただ単に個人の権利から成り立つのか、それとも集団の権利もそこに含むのか?

  同様に、「国民性(nationhood)」と「国籍(nationality)」の間にも問題は存在する(p.44)。

①どういった意味で新生国家は国民国家(nation-state)あるいは民族国家(national state)になるのか?

②もし、その国家が特定のネーションの、あるいはそのための国家として理解されるのならば、いかにして主張を掲げるサブ・ネーションは定義されるのか?

③そのサブ・ネーションはシビック・ネーションとして理解されるのか、シティズンシップの法的・政治的地位によって定義・境界付けられるのか。その国家の市民の総和を構成してるのか?

④あるいは、エスノ文化的ネーションとして理解されるのか。その国家から独立して定義されるのか。その市民(citizenry)と必ずしも共生していないのか?

⑤後者(エスノ文化的)の場合、後続国家に対するその正当性の主張や民主的シティズンシップの実践との一致、あるいはそのエリートによる国民に対して同等の服従を強いるという考え方にもとづくナショナリティ民族自決の原則はどうなるのか?

  こういった問いから、冒頭で挙げた①民族化する国家②新生国家の民族的マイノリティ③法的シティズンシップではなく、エスノ民族的関係によって②の帰属を主張する外部の祖国国家という三項関連図式が登場するのである(p.44)。以下では、最後に①を後続国家、②をそこに住むロシア人マイノリティ、③ロシア国家と設定して、この関連図式を整理してみたい。

 後続国家のエリートは新たな門出として各種の民族化政策や計画(例えば言語、文化、人口統計上の支配、経済福祉の促進など)を全国民とは区別されたエスノ文化的なコア・ネーションに有利なように推進するが、それはソ連時代のナショナリティ政策の遺産を継承し、制度化された「所有権」という大義名分のもとに行われるため、政治的に有益で不可抗力なものになりやすい(p.46-7)。そういった政策が民族的マイノリティや祖国国家の政治界に影響を与えるのである。

 後続国家の民族的マイノリティは自らのことをコア・ネーションとは異なる国民性を有するネーションであると考える傾向がある。なぜなら、彼らは依然として自らのことを「ソ連体制下のネーション」と考えるからである。では、ロシア人マイノリティは自らのことを名目上の(titular)ネーションとは区別して定義したのか。ブルーベイカーによると、その答えは必ずしも定かではないという。なぜなら、「ロシア人性(Russianness)」はソ連体制下でそこまで波及しなかったからである(p.48-9)。だが一方で、後続国家がコア・ネーションを優遇する政策を推し進めるにつれて、ロシア人マイノリティ(およびその他のマイノリティ)は自らのことを民族的用語で定義するようになっていった(p.49)。ソ連体制下では、ロシア人が実質的にコア・ネーションであったため、彼らはソ連自体は「自らの」領域として捉えていたが、その幻想が崩壊し、祖国ロシアが後景化するにつれて、逆にロシア人マイノリティは後続国家の中で「自らの」領域的自治を要求するようになる。だが、当然それは民族化する後続国家からしてみれば「反逆」として映るので、さらに民族化が強化されるという悪循環に陥るのである(p.50)。

 最後に祖国ロシア国家である。ロシアは後続国家と民族的マイノリティの地理的近接性や力によってだけでなく、①ロシアの国家性(statehood)の基本的パラメータが不安定で実質的正当性を欠く、②ロシア・エリートが在外同胞の利益を守るために、時には寛容的にそして時には強制的にロシアを新たなロシア系ディアスポラの「祖国」とみなすことによって積極的にその他の二つの政治界に関与していくことになる(p.51)。

 そもそもソ連時代のロシア共和国は制度的に未発達で、他のソビエト共和国に制度的拠点を築くことができなかった。さらに、実際は非ロシア系共和国の中で特権的な地位を得ていたにもかかわらず、ロシア内部では逆説的に自らを非特権的地位にあると考えるロシア人もいた(p.51-2)。そのため、ロシア人エリートはロシア共和国を当該国民の国家性のための十分な領域的・制度的フレームワークと見なすことができず、結果としてソ連崩壊後のロシア国家の核となる制度的パラメータ(領域的境界、国家内構造、人口構成など)は、他の非ロシア系後続国家のそれと比べて非常に流動的で、論争的なものとなった(p.52)。そんな不安定な国家性と後続国家での民族的ロシア・マイノリティの迫害などの事実もあいまって、ロシアは国外からの彼らの保護を訴える。そして、時にはロシアはロシア・マイノリティに対して彼らの要求以上に極端な立場を取るように促されることすらあった(p.53)。

 

 

 以上が、本著2~3章のまとめである(少し順番が前後してしまって申し訳ないが)。概略になるので、まだ内容をかみ砕けていない部分が多いが、このガイドラインにしたがってこの図式が本書で挙げられているソ連崩壊後の中東欧以外にも適用できるかを吟味しなければならない。