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メモ:Tseng Yen-Fen and Wu Jieh-Min "Reconfiguring citizenship and nationality: dual citizenship of Taiwanese migrants in China"

 今回は、Tseng Yen-Fen and Wu Jieh-Min,2011, 'Reconfiguring citizenship and nationality: dual citizenship of Taiwanese migrants in China',"Citizenship Studies"15(2): 265-282.の要約である(訳せば「シティズンシップとナショナリティを再構成する」になるだろうか)。著者の一人である呉介民は台湾で著名な社会学者で、中央研究院社会学研究所で研究を行っている。専門はシティズンシップや両岸の経済関係、およびナショナル・アイデンティティなどについてである。

 

 本稿は中台間を移動する人々がどのようなシティズンシップをめぐる政治的関係の中に置かれているのかを検討したものである。ソイサルが先鞭をつけた、いわゆるグローバル時代の「ポスト・ナショナルなメンバーシップ」は中台間にも適用しうる概念だが、この二国家間の場合難しいのは両国がいまだに内戦状態にあるということである。つまり、西洋諸国の例えばイスラムからの移民に関しては「ポスト・ナショナルなメンバーシップ」(すなわち国家ではなく「人権」にもとづく成員資格の付与)のモデルは通用するのだが、中台間ではいまだに国家間のパワーバランスゲームにもとづいて(つまりいまだにナショナルな論理で)非常に可変的にシティズンシップが決定されているというわけである。

 それを、母国国家(homeland state)受け入れ国(host state)、そしてディアスポラ(diaspora)の三項図式で捉えなおしていこうというのが本稿の趣旨である(この三項図式はブルーベイカーが"Nationalism Reflamed"の中で提示したものと似ている。接続可能だろうか)。

母国国家の側からすると、ディアスポラのシティズンシップは国民(nationals)が自らの成員資格を維持あるいは喪失する基礎的な条件を構成していることに対して問題提起を行う一方で、受け入れ国の側からすると、特定のネーションに対する忠誠(loyalty)とシティズンシップが切り離し可能かどうかについては、移民問題周辺の政治にとって論争的な領域であり続けている。(p.266)

 つまり、ディアスポラをめぐって母国国家と受け入れ国の間で、それぞれのシティズンシップの条件やその中身自体が問われるようになり始めているというわけである。この場合、母国国家=台湾、受け入れ国=中国、ディアスポラ=台湾から中国へ移動した人々のことをそれぞれ指す。中台のケースは、例えばヨプケが述べたような西洋諸国の漸進的にリベラル化する傾向とは逆行して、いまだに両国のナショナリズムにもとづいてシティズンシップが変化している。これを理解するためには①中台の国家間関係(the Taiwan-China inter-state relation)、②中国の「台胞」政策(the citizenship policy scheme in China)の二つの観点から考察しなければならない(p.267)。

 

 では、そもそもいつから中台間のシティズンシップの問題は浮上してきたのか。それは台湾の民主化と中国の市場開放の時期と関係している(70年代ごろまでは台湾海峡を直接ではなく、香港経由で大陸から台湾へ渡ってくる例外はあったが)。80年代後期に台湾政府は戒厳令を解き、大陸への移動を許可した一方で、中国政府は78年に鄧小平によって改革開放が叫ばれ、台湾にも大陸への投資や工場の移転などの規制が緩和された。そして、中国の市場規模はさらに拡大し、2000年代には台湾から中国への直接投資、輸出入、企業家や管理者、専門職の移動の割合はうなぎのぼりに上昇した(詳しくはp.268の図1参照)。

 台湾から中国へ移動・移住し、そこで労働・生活する人々が増加すると、必然的に浮上するのが彼らの法的地位や権利の問題である。おりしもこの時期、92年コンセンサスが中台間で確認され、それぞれの国家は「中国は一つ」というコンセンサスを持ちつつ、それぞれの「中国」を解釈することを暗黙のうちに認めた。そのため、本来であれば「国籍法」によって移民の法的地位や権利が処理されるが、中台間ではそれをすることができなくなった。

 そこで両国は「国籍」ではなく「戸籍(household registration system)」を用いて代替した。すなわち、建前としては中国人民であれ台湾住民であれすべて「中国国民(nationals)」なのだが、具体的な中国で暮らす地位や権利を有するか否か(つまりシティズンシップを持つ「住民/市民(citizens)」か否か)は彼らの戸籍登録にもとづいて処理することになった(p.267)。いわば、国籍(nationality)は象徴的なものでしかなく、実質的な成員資格は戸籍(citizenship)によって決められるようになったわけである(p.268)。これによって、両国はそれぞれ国家の成員のうちに「在留国民(resident nationals)」と「非在留国民(non-resident nationals)」の二つのカテゴリーを有することになり(p.267-268)、受け入れ国(中国)は非在留国民にcitizenになる権利を与えるかどうか、与えるとすればどの範囲まで与えるのかという問題に、送り出し国(台湾)は移出したcitizenの権利を剥奪するか否か、どこまで剥奪するのかという問題にそれぞれ直面することになったのである(p.268)。

 また、ここで一度中国のほうに目を転じてみると、そもそも中国には都市戸籍農村戸籍の差別による非常に不平等な国内のシティズンシップの問題がよこたわっている。これを呉は別の論文の中で「差異化されたシティズンシップ(differential citizenship)」(p.269)と呼んでいるが、呉いわくこれは「市民的権利」から「政治的権利」、「社会的権利」へと段階的にシティズンシップの権利は拡張していくと説いたマーシャルの説明には還元できないもので、市民・政治的権利が抑圧されたものとなっている。しかし、台湾のケースは中国内部の都市ー農村間の戸籍による差別からは完全に独立している。というのも、台湾から渡ってくる移民の多くは技術職やイノベーションなどに従事するホワイトカラーだからである。そのため、高度な人材の確保を是とする中国政府としても彼らが都市部に流入してくるのはまんざらでもない。

 以上の問題提起をもとに、本稿では①国家間関係は中台両国の二重シティズンシップ政策にどのような影響を与えているのか②国家への忠誠と不可分なものと考えられるシティズンシップの最も重要な側面とは何なのか、という二つの問いを検討していくと述べている(p.269)。議論を先取りすると、受け入れ国は台湾住民の「居住の権利」「雇用の権利」「社会的権利」の側面で議論が行われるのに対し、母国では「二重シティズンシップ」「国民皆保険(universal health coverage)」が議論の焦点になる。以下で詳しく見ていこう。

 

 まずはディアスポラ、つまり中国へ渡った台湾住民の観点から見ていこう。

 台湾から中国への移民の属性は、渡航が解禁された初期のころとそれ以降では異なる。まず、初期の80年代は台湾で独身の家族がいない者に対してのみ中国に居住し、市民になる権利が与えられた。彼らの多くは国共内戦の影響で大陸から台湾へ渡った外省人であり、本当の意味での「在外同胞」であったといえる。しかし、渡航した台湾住民の大半は最終的に台湾へと戻ってくる者が多かった。また、上述したように90年代には中国への海外からの投資が促進された流れで、台湾からも労働集約型産業が主に中国南部(厦門、福州など)に進出するようになった。

 第二のフェーズでは、およそ1998年ごろから台湾のハイテク産業やサービス業が今度は上海のような大型都市へと移入していくようになった。彼らは、①核家族ごと大陸へ移住するようになった点、②会社の決定ではなく、独立志向の強い人々がキャリアアップを求めてやってくるようになった点において第一フェーズとは異なっていた。第一フェーズが製造業に集中していた一方で、第二フェーズは小売り、卸売り、貿易、ビジネスサービス、デザインなどのいわゆるホワイトカラーが多かった(p.270)。また、重要なのは特徴の①である。Tsai and Chang(2006)によると、家族や親せき、友人が中国いる台湾人は、社会的なコネを使って中国へと渡る傾向が強いとされている(p.270)。つまり、これによって台湾から中国への継続的な移住の契機が生起されたわけである。

 WuとTsengは2006年から2008年にかけて台湾人移住者58人に対してインタビューを行い、①移住の選択、②将来の展望、③成員資格を維持・獲得する戦略について聞き取っている。それによると、多くのインフォーマントは中国への永住を決めているわけではなく、だいたい5年以内には台湾へ帰る見込みを持っているという(p.271)。さらに、彼らの多くはやはり仕事のチャンスを求めて渡中し、そこで人的資本や家族(子供)の将来の安定をもつかもう考えている(p.271-272)。例えば、家族とともに中国へ渡った台湾人の中には、子供を現地の中国人学校ではなく、英語を使って教育を行う国際学校(IS)に通わせる人が多く存在し、そういった家庭は父親が仕事の影響で台湾に戻っても、すでにISの教育に慣れ、台湾の学校文化に慣れていない子供のために母子はそのまま中国に残るということも珍しくないという(p.272)。

 いずれにせよ、聞き取りを行った台湾人移住者の多くは将来についてかなり不安定な展望を抱いており、最終的に中国に残るか台湾へ帰るか不透明な者が多い。さらに、Adrian Favell(2008)が述べるように、国境を越えた労働市場へのアクセス権として移動の自由が中産階級に与えられたが、最も大きな関心事はシティズンシップが付与する社会保障を含むコストとベネフィットを計算しなければならないことである(p.272-273)。つまり、中国へと移住した台湾人は、不十分な医療保険やサービス、公教育システムの欠如、さらには年金の欠如などの問題に頭を悩ますのである。

 

 次に中国政府の台胞政策の実態と推移を見ていこう。

 「台胞」とは中国側が用いる台湾住民の呼称で、上述したように戸籍を用いてその地位を決定しているが、彼らは他国からやってきた「外国人(foreigner)」とも異なる身分だが、完全な「国民(national)」とも異なる、いわばどっちつかずの存在として扱われる。

 〔「台胞」という〕政策上の線引きは人々〔=台湾住民〕を法的境界線の内側に保持し続け、政策設計者(the policy makers)は彼らを十全な市民(full citizens)と同等の地位まで近づけることもできるが、完全にその線引きが消え去ることはない。(p.273)

 以下では、台胞政策を①移民統制、②帰化、③雇用、④社会的権利、の観点から見ていこう。

 ①移民統制:過去10年間のうちに中国で採用された政策を見てみると、2011年時点で台湾人移住者は一度中国の地方政府から一時滞在許可の登録を受けたら、自動的に一年間の居住ビザが発給され、何度も出入国することができる(multiple-entry visa)。さらに、それぞれの地方政府の方針にしたがって、台湾人移住者は最大5年間有効な居住ビザを申請することができ、もし資格要件を満たせば、許可の更新をすることもできる(p.273)。

 このような政策は2005年以降に採用されたもので、中国政府の「台湾人移住者の心をつかむ(win the hearts)」という意図が見え隠れしていた。だが、これは中央政府の方針ではあったものの、広大な中国では省ごとに台湾住民の受け入れ体制に違いもあった。例えば、上海は台湾人移住者の「上陸ビザ(landing viza)」の発給を特権的に簡易化していた。その理由は、中央政府が上海を台湾人が渡ってくる最初のハブとして選んだからである。その後、上陸ビザを発給するハブは福州、厦門、Haiko、Sanyaなどに拡大されていった。

  ②帰化:台湾住民が帰化を行うこと(つまり台湾戸籍から大陸戸籍への移動)に関しては一転厳しい制約を設けていた。帰化認可が下りる用件は以下の二つである。

(1)1949年以降に台湾に渡り、現在家族がいない状態で台湾で一人暮らしをしており、かつ自らを支援できる意図と経済的な能力のある親族が中国にいる人

(2)中国のcitizenと結婚し、また3年間その婚姻関係を維持し、かつ扶養が必要な子供がいる人

 だが、もともと外国人の二重シティズンシップの付与を認めていなかった中国だったが、2006年には台湾住民に対しては台湾政府が発行するIDカードとパスポートを持つ者であれば二重シティズンシップを付与することを認める政策が打ち出された。これは台湾住民を吸収する(co-opt)中国政府の意図が介在していた(p.274)。

 ③雇用:2005年、中国政府は居住・再入国ビザが規制緩和と同時に、台湾人移住者が中国で就労ビザを取得する資格・手続きの変更を決定した。台湾人移住者が健康であることを証明でき、18歳以上60歳以内であれば、いかなる地域のいかなるセクターでも働くことができるようになり、かつ合法的に国境を越えることができるようになった。言い換えるならば、台湾人移住者は中国国民と同等の雇用の権利を受けることができるようになったのである。

  ④社会的権利:2005年、台湾出身の子供は授業料は大陸の子供と同額で学校に通えるようになった。また、中国政府は台湾人移住者にも各種社会保険に加入するように義務づけた。だが、これはかえって台湾人移住者を困惑させる結果となった。なぜなら、これによって台湾人移住者は母国台湾と受け入れ国中国の二つの社会保険料を払わなければなくなったからである(被害を被ったのは台湾人移住者本人というよりも、彼らを雇用し各種保険料をカバーしなければならない台湾企業)。しかも、台湾人移住者はたとえ中国の保険に加入したとしても、5年かそこらで帰国する人が大半だったため、フィードバックで得られる恩恵も少なかった。したがって、中には将来的に台湾の社会保険から離脱することを考える人も少なくなかった(p.276)。

 

 最後に台湾政府がカウンターとしてどのような政策を打ち出したのかを見ておこう。

 まず、呉・曽はR・C・Smith(2003)による、移民に対する母国国家政策の二つのタイプ分けを動員している。すなわち、(a)母国の政策(homeland policies)(b)グローバル国民政策(global nations policies)である。前者では移民の最終的な帰国を奨励し、かつ受け入れ国での定住を認めないような政策が取られる一方で、後者では母国との(特に経済的なつながり)を維持したまま、移民が包摂されることを許容し、外国で生活することを奨励するような政策が取られる(p.276)。

 台湾では以上の二つの論理を用いて台湾人移住者を母国に何とかつなぎとめようと政策を打ち出した。その際重要なのは①シティズンシップ取得、②国民皆保険(universal health coverage)の二つの締め付けを強めたことである。

 ①シティズンシップ選択:1990年代ごろにはもともと4年間の居住(一度も台湾への帰国なし)であれば、中国への帰化を許すという取り決めだったが、2001年に台湾政府は二重シティズンシップを容認する方向へと舵を切った。しかし、翌2002年には台湾政府はすぐに路線を変更し、二重シティズンシップはやはり禁止する方針へと逆戻りした。呉・曽いわく、単一シティズンシップ制度を取り入れることで台湾政府は移民が中国のシティズンシップを取得する気が失せるようにしたのではないかと述べている(p.277)。

 ②国民皆保険:台湾においては、国民皆保険に加入するには台湾戸籍に入っていなければならず、これが台湾住民をして台湾戸籍を保持し続けさせる要因となっている。呉・曽が行ったインタビューにおいても、多くが医療保険などの手当てを受けたいという思いから台湾でのシティズンシップを手放すことを渋っていた。さらに、国民皆保険の成員資格を維持したい場合、少なくとも二年ごとに台湾へ帰国し、月額の保険料を支払わなければならないという(p.277)。

 最近の政策では、最低でも6年間海外で暮らす場合は一時的に保険料の支払いを停止し、帰国後に再開してもよいという緩和策を打ちだしているが、かえってそれが海外移住者以外の国民の反発を招いている。Lin(2008)の調査によると、2005年から2007年の間における医療支出のおよそ60-70%は、中国へ移住した人々に対するものだったという(p.278)。海外移住者は保険負担料納付の負担を負うことなく、フルのケアを受けられることに対して批判が向けられているのである(ただ、海外移住者にも文句はあって、保険料給付の際の手続きが煩雑すぎて不満が多いようである)。

 非難ごうごうのこの国民皆保険の制度だが、呉・曽いわくその背景には政治的な根拠と経済的な根拠がある。前者は何度も述べたように、国民が中国域内に入る際に彼らが祖国との紐帯を切らないように細心の注意を払っているということである。いわば国民皆保険は「ディアスポラを統合する」役割を担っている(p.278)。そして後者は海外への移住者は重要な国家の利益と誇りを促進するアクターなので、経済的なベネフィットも多いということである。グローバルに活躍する人材は国家としても「金の成る木」として傍に置いておきたいものである。

 

 以上、これまで中台間のシティズンシップをめぐる動きを確認してきた。最後に結論をまとめよう。

 これまでの二重シティズンシップに関する議論は、自由民主主義の文脈で個人的権利にばかり焦点を当て、政策に付随する所属や忠誠の問題はないがしろにされてきたため、本稿で見たような政治的対立関係にある受け入れ国と送り出し国のシティズンシップ政策はないがしろにされてきた。シティズンシップが政治的忠誠と不可分かどうかは、関係国家(受け入れ国・送り出し国)への忠誠の見返りとして権利と義務がどれだけ配分されるかに大きく左右される(p.279)。中台の事例は、citizenshipとnationalityの関係を再構成する(reconfigure)ために格好の題材となるだろう。なぜならこういった事例は中台に限らず、例えば北朝鮮と韓国、統一前の東西ドイツ、南北ベトナムアメリカとキューバイスラエルアラブ諸国など多くの敵対国家でも通用するからである(p.280)。

 また、マーシャルによって提示されたシティズンシップの段階的進化論モデルは、中台のケースでは適用できない。なぜなら、市民の権利と国民の成員資格は継続的に変容しており、不安定な国家間関係に強く規定されるからである。ある時はシティズンシップは脱国民化(de-nationalized)・脱領域化(de-territorialized)されるが、またある時はシティズンシップとナショナリティが密接に折り重なる(p.280)。つまり、中台という特殊なケースにおいては、可変的な国際・国家間関係を注視しつつ、両国の応酬(つまり一方の攻撃に対するもう一方のレスポンス)を吟味しなければならないのである。