メモ:台湾(中華民国)における国籍制度の歴史

 台湾(中華民国)における国籍制度の歴史についての備忘録。参照したのは以下の本の特に5章。

移民政策の形成と言語教育―日本と台湾の事例から考える

移民政策の形成と言語教育―日本と台湾の事例から考える

 

 

 台湾は周知の通り、いまだに中華人民共和国との内戦状態にあり、国際的には正当な「主権国家」として認知されていない。そのため、「国籍」もまた複雑な制度設計になっており、そこには台湾政府の複雑な思惑が見え隠れしている。

 

 そもそも、中国に初めて近代的な意味での「国籍制度」らしきものが作られたのは、清朝末期(1909年)の「大清国籍条例」である。その後、1912年に建国した中華民国政府(北京政府)の下で、大清国籍条例は「中華民国国籍法」へと刷新された。さらに、1929年には北京政府を破った蒋介石率いる南京政府によって、「(新)中華民国国籍法」が作られる。

 大清国籍条例および中華民国国籍法の両方とも、いわゆる「父系血統主義」にもとづく制度枠組みであった。これは当時の政府が「中華民族の一体化」を狙っていたことを考えれば、それほど不思議なことではない。つまり、当時の中国はいまだに「国民」としてすべての版図の住民を掌握できるだけの能力を有していなかったため、法文という名目だけでも「血統」によってそれらの版図の住民を中国という国家に包摂しようと試みたのである。(これはもう少し詳しく見る必要がある)

 

 その後、中華民国政府は国共内戦に敗れ、1949年に台湾へと正式に移転したが、体裁上はまだ内戦は続いており、「法統」を維持するために在大陸時代に制定された憲法・法律のほとんどはノータッチのままであった。したがって、国籍法も戦後も手を加えられることはなく、国民政府来台後初めて法改正が実現した2000年まで、中国大陸のすべての住民を「中華民国の国民」と定義する法体制が維持された。そのため、実質的な政治的統治範囲である台湾では国籍の代わりに「戸籍(省籍)」でもって、台湾住民の管理と差別構造が構築された。

 中華民国国籍法では、新疆・チベットだけでなく、モンゴルをも「自国領」として定義している。もともと冷戦構造下でソ連の後ろ盾を得て社会主義を掲げていたモンゴルは中華民国からの独立を宣言したが、中華民国はそれを公式では認めていない(中華民国憲法に抵触する恐れがあるから)。

 

 1950年代から戒厳令が解除される1987年までは、「大陸反攻」および「動員戡乱時期」というスローガンのもと、台湾住民の中国大陸を含む海外への渡航や移住は完全に遮断されていた。だが、国民政府としては劣勢におかれた状況を打破すべく、また国際的にも「国民政府こそが正当な中国政府である」ということを示すべく、国外の華僑に身分証明書を付与することで、遠隔的に彼らを「祖国」に包摂する政策が行われていた。

 ただし、その条件は①中華民国国籍を有している(血統主義であるため両親のどちらかが中華民国国国籍を持っていれば自動的に得られる)、②中国や香港・マカオでの国籍や永住権を得ていない華僑(つまり1949年以前に中国大陸から台湾以外の海外地域に移住した人々)に限定されていた。

 

 1987年には戒厳令が解除され、台湾政府は国境管理の制限を緩和し、それまで禁止されていた台湾住民の中国への肉親訪問を解禁した。この時代に、いわゆる「歸根」(ルーツ探し)が流行する。また、これによって同時に中国大陸住民の台湾への訪問・滞在・定住も促進された(台湾への移住を望む大陸住民は女性が多く、いわゆる「大陸配偶」と呼ばれる)。

 しかし、依然として事実上の内戦状態にあるため、中台間の人の移動を何らかの形で管理する法整備が急がれた。そこで、1992年に「台湾地区與大陸地区人民関係条例」、いわゆる両岸人民関係条例が制定された。この法律は、台湾住民が大陸へ、大陸住民が台湾へ行く際に適用される法律をまとめたもので、「条例」とはなっているもののほとんど「国籍法」に近い制度枠組みになっている(例えば、「台湾住民が大陸へ移住する場合はいずれかの戸籍を選択しなければならない」などの帰化に関する法律もこの中に明記されている)。

 先ほど、台湾政府が国策として中国人や香港・マカオ住民、「華僑」に国籍を付与することを進めていると述べたが、やはり政府としてもそれは現実的に厳しいということを重々承知である。そのため、両岸人関係条例に代表されるように、様々な法律を駆使して彼らを「国民」とは別カテゴリーとして区分して管理している。それを整理すれば以下のようになる。

 第一は、台湾に居住する(実質的に「国民」)「台湾地区住民」(定義は「台湾戸籍を有している者」)である。第二は「華僑」および海外に移住した台湾人にあたる「無戸籍国民」、第三は中国人にあたる「大陸地区住民」(定義は「大陸戸籍を有している者」)、第四は香港・マカオ住民にあたる「香港・マカオ地区人民」である。彼らを完全に「国民」として包摂してしまっては国境管理などの点で問題がある一方で、「外国人」として定義してしまうとそれはそれで中華民国憲法に抵触してしまう恐れがあるため、このような奇妙なカテゴリーが生まれたのである。

 少々分かりにくい「無戸籍国民」には、外国で生まれ、台湾戸籍を取得したことのない台湾人の実子や、帰化によって台湾国籍を取得したものの台湾で戸籍登録をしていない者、1949年以前の中国大陸や香港・マカオから海外に移住した中国系移民の後裔が含まれている。1992年の戸籍法改正によって、台湾では戸籍登記に「出生地主義」が導入されたため、海外で出生した台湾華僑は基本的に戸籍に「台湾省」とは記載されなくなった。「無戸籍国民」とは、そういった戸籍法改正の中で生じたカテゴリーである。

 さらに、「香港・マカオ地区住民」を詳細に説明すると、香港は1997年に、マカオは1999年にそれぞれ英国・ポルトガルから中華人民共和国へと返還されたが、中華人民共和国自体を認めていない中華民国はこの事実を当然承認していない。そのため、中華民国憲法上は、両地域はいまだに「列強によって割譲させられた中華民国の版図の一部」であるため、当然これらも「特殊地域」として別カテゴライズする必要があるというわけである。

 

 と、このように台湾(中華民国)における国籍制度の流れをざっとまとめてみたが、国の形が明瞭でないこの地域では、国境・国民管理がなかなか複雑に整備されていてわかりにくい。さらに、特に両岸人民関係条例は制定から現在まで何度も改正が行われており、その過程には中国政府による「台湾同胞政策」の影響が深く絡んでくるため、台湾内部での議論だけを見ていてはやはり実態を把握することは難しいだろう。