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マックス・ウェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』

 久しぶりの投稿、血沸き肉躍る。

 今回はマックス・ウェーバーの有名な論文『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(いわゆる「客観性」論文)について。

 

社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫)

社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫)

 

 言わずと知れた名著ではあるが、実は読んだことがなかった。。。

 今回、意を決して(さすがに読まんといかんだろうという焦りもありつつ)読んでみたわけだが、どうしたことかこれがなかなか面白い。ウェーバーは『プロ倫』なんかを大学2年生の時に読んで勝手に苦手意識を持っていたんだが、いやはや人間ってのは成長するもんだなぁと感慨にふけっている。

 

 さて、この「客観性」論文だが、有名な「理念型」や「価値自由」といった概念がどのように分析の中で使われるのか、ウェーバー流「文化科学」(ウェーバーが言うところの「理解社会学」)の説明とともに論じられている。また、後半にはウェーバー研究で名高い折原浩先生による丁寧な解説がついており、一冊でほとんどウェーバーの思考体系を概観することができる、実はかなりありがたい本なのである。

 今回は個人的に読んでいて重要だと思った個所を簡単に取り上げて整理しておきたい。

 

 まず、ウェーバーがこの本を『アルヒーフ』という雑誌に寄稿しようとした背景には、当時の社会科学全般が陥っていた方法論的限界が存在する。一例として本書の中で頻繁にとりあげられている「歴史学派」が挙げられるだろう。私は詳しい学説史的経緯をあまり把握できていないが、歴史学派は現実の世界にあまた存在する歴史的な事象を個別的に検証、解明していくというフェーズから抜け出し、それらの個別的検証をもとに「一般的法則」を構築して、最終的にその法則・理論から演繹的に現実世界の物事を説明する、という壮大な夢を掲げていた。

 だが、ウェーバーはこのような壮大な一般的法則から演繹的に物事を説明するという方法論に真っ向から反対する。なぜなら、現実の事象はそういった一般的な理論ではカバーできないほど多種多様で、無限だからである。それを理論を用いて説明したとしても、それは単なる科学者の欺瞞でしかない。

 さらに言えば、無限の現実群の中から研究者が必要だと思った要素を抽出し、理論を構築するという作業は、抽出する時点で研究者の恣意性が介在してしまうため、それは「客観的に妥当な」理論とは言えないのである。

 

 では、どうすれば社会科学における客観的に妥当な方法を確立することができるだろうか。ウェーバーは、その問いに「理念型」と「価値自由」という概念を用いて説明する。

 ウェーバーは「理念型」とは仮説ではなく、「手段」であると述べる。つまり、分析を行う上での「道具」でしかないのである。これはどういうことか。

 現実の世界には無限に経験的事実が存在していることは上述したが、理念型とはこれらの事象の中から「理想としての要素」、つまり分析を行ううえで重要であると判断される要素を抽出して再構成したものに過ぎない。そのため、理念型は必ずしも現実のすべてを反映したものではなく、理念型の構築をもって研究のゴール(目的)では決してないのである。よって、理念型を構築した後は、研究者は再度現実世界に立ち戻り、その理念型を分析の手段として使用しなければならない。それが、理念型≠一般的法則の所以である。

 その点で、ウェーバーマルクスとは一線を画する社会科学者である。なぜなら、マルクスが目指したのは、「唯物史観」に代表されるように、人間の歴史を物質と生産手段に還元する一般法則の構築だったのであり、それこそまさにウェーバーが戒める社会科学の態度だったからである。

 また、上記のことをもって、ウェーバーはやはり「比較(歴史)社会学」の創始者とされるべき人物である思われる。なぜなら、理念型を使った社会科学の分析方法は、絶えず「モデル」とフィールドの「経験的事実」とを比較することをその中に内在しているからである。ウェーバー社会学にとって「比較」というのは一つの重要なキーワードなのである。

 

 では、具体的に社会科学において「比較」を用いた分析方法とはいかなるものなのだろうか。本著解説を担当した折原の論稿では、まず自然科学における「実験」の方法を足がかりに論じられている。

 自然科学においては、実験室での実験は重要な分析手法の一つである。ある事象Yに一定の変化を与えるものは何なのかを検証するためには、想像されうる条件X₁、X₂、X₃、X₄、、、といくつかの条件を設定し、その中で人為的に制御を加えることでYに影響を及ぼすXを特定する。例えば、YとX₁との関係を調べたいのであれば、それ以外の条件X₂、X₃、X₄、、、以下を制御する、といった具合である。

 また、これは「比較対照実験」と呼ばれる手法でも同様である。比較対照実験では、まず諸個体を同質的な二群(実験群、対照群)に分ける。さらに、その中で実験群のX₁にのみ変化を加え、X₂以下を一定に制御したうえで、そこに生じる変化を観察して対照群と比較するのである。ここでもし、対照群にはない変化Y=1が生じれば、変化X₁=1が原因であるということが分かるのである。

 しかし、社会科学においては自然科学のように実験の対象を自由に制御したりすることはできないことがほとんどである。ここに社会科学の分析上の一種の「限界」が存在する。では、どうすればいいか。ウェーバーはこの限界を『プロ倫』の中で超えようとする。

 

 言わずもがな、『プロ倫』はプロテスタント、とくにカルヴァン派の教義が西洋において近代資本主義の発展に寄与したことを解き明かした論文であるが、この中で、上述の表記に従うならば、Y=近代的営利追求熱が、どんな条件(X)によって醸成されたのかを解き明かしているといえる。そして、ウェーバーはこの条件として、X₁=当事者の所属宗派(カトリックorプロテスタント)の社会的地位(彼らが所属集団の中で少数派か多数派か)、X₂=信仰内容の恒久的特質、をそれぞれ一方を制御し、交互に検証することで、YはX₁よりもX₂の変化に大きく影響を受けることを解明したのである。

 さらに、ウェーバーは『プロ倫』を執筆後、さらに比較対象の範囲を広げ、「西洋文化圏」以外の地域にまで分析の範囲を拡大したが、これは上述の「比較対照実験」の社会科学的応用に他ならない。つまり、実験群を「西洋文化圏」に設定し、西洋文化圏以以外(例えば「儒教文化圏」)を対照群として設定しているのである。ウェーバーの考えではプロテスタントの教義(X₂)が近代資本主義の創出に寄与したので、西洋文化圏以外の地域がX₂以外の条件が一致しているならば(または一致していると仮定して)、比較の対象となりうるのである。

 だが、多くの場合、比較をする上で異なる地域が見事に条件が一致するようなことはほとんどない。そのため、対照群は思考実験をもとに創出されることもある。そのさい、ウェーバー歴史学者エドゥアルト・マイヤーの概念を引きつつ(詳しくは『歴史は科学か』通称「マイヤー論文」を参照)、①史実的知識(史料に基づく特定の事実に関する知識)、②法則的知識(人々に流布した特定の経験則についての知識「人間はAという状況下においては通例Bという反応をするものである」)の二つを用いて対照群は反実仮想的に思考上で創作される。

 例えば、古代の国家が戦争を契機として繁栄を築いたという仮説が存在するとき、その繁栄の原因を戦争に帰属できることを証明したいのであれば、まず戦争が起きなかった場合にいかなる結果を生み出したのかを反実仮想的に想像することが必要になる。だが、その際にただ単純に夢想するのではなく、②法則的知識に基づいて(例えば、戦争が起こらない場合、民衆は一体的感情を抱くことはない、といった具合に)、さらに①史実的知識(それが実際に史実として起こりうるか)を用いて対照群を構築しなくてはならない。そしてこの対照群と実験群を比較することで、事象の因果帰属が解明するのである。

 

 さて、以上の方法がウェーバーがライフワークとした研究方法である。ウェーバーは無限の経験的事実の中から帰納的に事象を抽出し、誇大な一般理論を構築することには否定的であった(これは後年パーソンズによって試みられたが)。むしろウェーバーは、科学者は「理念型」を携えて、そのつどそのつど経験的事実の中に立ち戻っていなければならないとする。なぜなら、豊富な含意を持つ経験的事実の中から分析に必要な概念を抽出して再構成された「理念型」もやはり、その科学者が置かれている社会的環境、規範、無意識的な趣味嗜好、時代背景などによって拘束されているからである(第一、それが「社会問題」であると認識すること自体、恣意的で時代に要請された感覚にもとづいている)。

 つまり、「価値自由」という言葉でウェーバーが表したかったのは、決して科学者は自らの「価値理念」に対して自由になれるというわけではなく、それを自覚することでまやかしの「客観性」から解放されるということなのである。折原は「価値自由」という言葉には「価値からの自由」と「価値への自由」という二つの含意があると述べているが、後者の「価値への自由」、つまり無機質な事象と事象との間の因果説明を時には捨象して自らの「価値理念」に訴えることもまた科学者に許された「価値自由」なのである。

 しかし、だからといって科学者は完全に「客観性」を失っているということでも、社会政策を担う政治家などは科学者の仕事を無視して、自らの「価値理念」のみにもとづいて実践を行えばよい、というわけでもない。「理念型」と経験的事実との往還こそが時には危うく見失ってしまいがちな「客観性」を保つ、唯一の方法なのである。

 

 最後に、後年のウェーバーの結集点ともいえる「理解社会学」について少し言及しておくと、折原によれば、理解社会学とは、①社会的行為を解明しつつ理解し、②そうすることで当の行為の経過と結果がなぜそうなって別様にはなりえなかったのかを因果的に説明する科学である。つまり、ここには二つの分析の段階が含まれている。①は「解明的理解」で、これは「明証性」を基準として検証される。「明証性」とは、行為の当事者が主観的に抱いている意味が理にかなっていて明瞭に分かる度合いのことを指す。そのため明証性が高いと、誰でもその当事者の経験を追体験することができる。

 しかし、当事者の主観的な意味は経験的に妥当でない場合も存在する(というかその場合がほとんど)。例えば、有名なマートンの例を参照すれば、ある部族の雨乞いの儀式は当事者にとっては「雨を降らせる」という主観的な意味を持った行為ではあるが、違った結果(潜在機能、意図せざる結果)をもたらすこともある。そういった場合、これには当事者ではなく、科学者による「経験的妥当性」を基準とする説明を要する。これが②の「因果的説明」である。

 言い換えれば、理解社会学とは明証的に理解された意味連関(①)をまずは因果「仮説」として立て、その経験的妥当性を科学一般の論理・語彙にしたがって検証し(②)、①・②をともに満たす、つまり明証的に理解でき、かつ因果的に妥当な説明を目指す社会学的アプローチであるということができるだろう。

 折原が言うように、その際、理にかなっていて理解できる「合理的行為」を「理念型」として構成し、これを実際の経験的行為と比較するという手法を取ることになる。だが、これをもって、世界が最終的に合理的行為によって満たされるという事をウェーバーが言っているというふうに解釈してはならない。むしろ、世界は非合理的なこと、行為にあふれている。それらの非合理性を理解するのもまた、合理的に構成された「理念型」を通してしかできないのである。

 また、「理念型」は「理念(理想)の理念型」と混同してはならない。例えば、「国家」の「理念型」は、ウェーバーの定義によれば、「強制的暴力手段を保持する政治的装置」であるが、実際に国民(=当事者)が理念(理想)として心に抱いている理念型は異なるもの(例えば、「国家は人民の意志にもとづいて構築される」といった具合に)である。だが、両者はしばしば相互に関係しあいながら(多くの場合は後者が前者を参照しながら)、結びついている。そのため、科学者は当事者の「理念の理念型」をさらに分析し、必要とあらばさらにそこから「理念型´」を構築しなければならないのである(ここら辺の議論は知識社会学に接続可能な気がする)。