ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争』

めちゃくちゃ久しぶりにブログを書く。

というか、もうかなり長いこと「書く」という行為をしていなかったので明らかに文章力が低下していると思うが、ご愛嬌ということで。

 

さて、今日はブレイディみかこ著『子どもたちの階級闘争』という本について書く。

 これは出版されてから、すでに各新聞社の書評欄に登場し、巷では三か月ほど前からもう話題で持ちきりになっていた本である。

イギリスのEU離脱を受けて、日本国内でも「国民投票」、「民主主義」というものの危うさが喚起された。だが、日本でずっと暮らしていた私は、イギリス社会がなぜこんなにも分断しているのかが分からなかった。それは大部分の日本人も同じことだと思う。メディアでは分断が起こっている現在の状況を説明しているが、そこに至るまでのプロセスが詳細につかめなかった。いきなりこうなったのではないはずだ。そこに至るまでにひっそりと病理が潜んでいたはずである。

そういった経緯を「緊縮」というワードとともに、託児所の中で繰り広げられた日常をつぶさに見ていくことで活写しているのが本著である。著者曰く、「地べたにはポリティクスが転がっている」。イギリスで政権が交代し、政策がガラッと変わった時に最もラディカルに生活が変化したのが、そういった「地べた」(作中では「アンダークラス」や「移民」などの社会的階層のことを指す)で生きる人々である。つまり、「地べた」を見ることで社会の病理が見えてくるのである。

本著は大きく分けて、二部構成になっている。一部が保守党が政権を握っていた時代の2015-2016年「緊縮託児所時代」、そして二部がそれ以前の2008-2010年「底辺託児所時代」である。著者が言うように、この一部と二部では描かれる人々の雰囲気も大きく異なっている。簡単に言えば、どちらもいわば社会の底辺層が登場するのだが、二部と比べて一部では人々に「諦め」というか「悲壮感」が漂っているのである。

これはどういうことか。2010年に保守党が政権を取り、大規模な財政緊縮政策を採用する前も、すでに「ブロークン・ブリテン」という言葉が示すように、社会のアンダークラスは崩壊しつつあった。しかしそういった状況で、親のドラッグやアル中の影響により託児所に預けられた子供たちはアナキーながらも、喧嘩をしながら互いに折り合いをつけていた。

〔底辺託児所では〕レイシスト的なことを口にする白人の下層階級も、スーパーリベラルな思想を持つインテリ・ヒッピーたちも、移民の保育士や親子も、同じ場所でなんとなく共生していた。 違う信条やバックグラウンドを持つ人々は、みんなが仲良しだったわけでも、話があったわけでもないが、互いが互いを不必要なまでに憎悪し合うようなことはなかったのである。そこには、「右」も「左」も関係ない、「下側の者たち」のコミュニティが確かに存在したのである。(p182)

底辺託児所はいわば、いろんな人間が集まる坩堝である。だから当然そこに集まった子供たちは互いに衝突することは不可避である。だが、それは日本の幼稚園や保育園でも起こりうる喧嘩で、衝突の後には和解もある。彼らは心の底からお互いを憎んでいるのではなく、自分の境遇に対する不満を相手にぶつけているだけに過ぎないのだから。

そういった状況が緊縮託児所ではガラッと変わる。まず、政府からの援助金が下りなくなったので託児所自体の存続が危ぶまれる。そして、生活保護の許可も下りにくくなる。興味深いことに、託児所に集まってくる人種構成も変化した。緊縮時代には子供たちの数が減り、移民向けの「英語教室」を開催したため、移民層の子供たちが増加した。そして、移民がマジョリティになり、イギリス人アンダークラスがマイノリティになると今までの状況が一変する。

移民の人々のほうが貧しい土地から脱出し、イギリスという新しい土地で成功を夢見ている分、上昇志向の強い保護者が多い。そのため、粗野で身だしなみや言葉遣いで出身がばれてしまう英国人アンダークラスの保護者のほうが移民にさげすまれ、排除の対象になるのだという。これはよくメディアで取り上げられる「伝統的な英国人が移民排除を訴えている」という構図とは全くの逆である。そのコミュニティで誰がマジョリティなのか、そして誰がマイノリティなのかによって排除する側とされる側という構図は大きく変化することになる。エスニシティによって、絶対的に排除ー被排除の関係が決定されるわけではないのである。

底辺託児所時代も楽ではなかった。しかし、そこには緊縮時代にはなくなった「アナキズム」があった。そのアナキズムには命を削り合いながら、人間の尊厳を確認し合うような力強さがあったのだ。

最後に、著者は自分が託児所というぬかるみに足を突っ込みながら、政治を見てきて体感するようになったことを以下のように述べている。

政治は議論するものでも、思考するものでもない。それは生きることであり、暮らすことだ。(p282) 

この言葉は実際に現場を知り、そこで悪戦苦闘してきた人が言うからこそ響くものがある。